
【追加あり】「薩摩・島津の捨てがまり」が言われ出した起源の考察

「薩摩の捨てがまり」(が語られた)起源について、いろいろ考察されています。いまからまとめます 画像はみなもと太郎「風雲児たち」より pic.twitter.com/pV2y63eSvt
2020-09-26 10:05:00


豊久:兵子ども!撃ち方構えぃ!!死ぬるは今ぞ!!敵は最強 徳川井伊の赤備え 相手にとって不足無し 命捨てがまるは今ぞ!! #drifters #ドリフターズ pic.twitter.com/pwUEGfFW39
2016-10-07 23:05:58




アルメニア国防省長官「今日、私たちはカラバフで戦術的に撤退し、敵はその放棄された場所を占領しようとして罠にはまり撃退され、最後には逃げ出しました」 アルメニアが戦術的撤退したとされる地域に残した軍事物資等、アルゼ軍がこれらを鹵獲して勝利を確信しているところを包囲・逆襲したと…。 twitter.com/ParssPlus/stat…
2020-10-06 02:45:45
Ermenistan Savunma Bakanlığı Sekreteri: "Bugün Karabağ'da taktiksel şekilde geri çekildik. Düşman terk edilmiş konumları işgal etmeye çalıştı ve tuzağa düştü. Düşman kaçtı." 🟩Ermenistan'ın sözde taktiksel olarak geri çekildiği bölgelerde bıraktığı askeri ekipmanların bir kısmı pic.twitter.com/Pm9DXz7B91
2020-10-06 02:23:14
山梨在住の歴史学者。健康科学大学特任教授。ポニーキャニオン所属。著作は、『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)、『天正壬午の乱』(戎光祥出版)、『武田氏滅亡』(角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)など多数。

拙著『戦国の忍び』についての、コメントをぼつぼつ見かけるようになりました。その中に、「すてかまり」は島津の戦法であり、「かまり」は関東、中部、東海地域でしか管見されない呼称だという拙著への疑問が提起されています。それについては、ぜひ史料的根拠を掲げていただきたいですね。
2020-09-24 17:20:52
アタクシは、実は島津の文書や、『薩藩旧記雑録』なども一応みましたが、どれにも登場しないのです。島津は、桐野作人さんがすでに研究に手を染まられておられるので、アタクシは今回は回避したのです。念のため、桐野さんにご教示を乞うたところ、アタクシとおなじ見解で、たぶん創作です‼️
2020-09-24 17:25:24
では、誰が創作したか?桐野さんは、司馬遼太郎ではないかとのこと。確かに、漫画なども、司馬さん以後に、「すてかまり」が登場するのです‼️じゃあ、「すてかまり」は創作かといえば、管見の限り、最古の記述は、『甲陽軍鑑』に一ヶ所だけ登場する「すてかまり」でしょう。なので、地域は一致し、
2020-09-24 17:29:09
任務も伏兵の一種といえ、拙著の指摘は変更に及ばずということになります。一行書くのに、どれほどの苦労と、準備をしているか、おわかりいただけましたでしょうか?でも、もし一次史料で、発見できれば、それは喜ばしいことです。その時は、修正したいと思います。
2020-09-24 17:33:00この議論からつながる「司馬遼太郎論」はこちらで


鹿児島県出身。歴史作家。武蔵野大学政治経済研究所客員研究員。主に織田信長、鹿児島の歴史に関心あり。 ブログもやっているので、のぞいて下さい。

薩摩島津氏の「捨てがまり」が話題になっている。この言葉は日本国語大辞典にも立項されている。 「戦場で、軍勢が退却する時、一部の兵を伏兵として残しておき、近づいて来る敵兵を遠矢や鉄砲で狙撃させるもの」という意味。 この辞典は出典も記されているが、軍記物は『甲陽軍鑑』だけである。
2020-09-25 21:14:36
あとは、江戸期の滑稽本や誹風柳多留などに比喩的に用いられているだけである。管見の限り、「捨てがまり」を島津氏の軍法と結びつけたのは、司馬遼太郎の小説『関ヶ原』ではないかと思う。島津の退き口の場面で「島津の退却戦法に、座禅陣という特殊なものがある。ステガマリ、ともよばれた」
2020-09-25 21:14:36
司馬氏がどこから引いてきたかは小説なので不詳。この小説は1960年代『週刊サンケイ』に連載された。目に付く限りではこれが初見か。次いで立石定夫氏『関ヶ原決戦記』(新人物往来社、1984年)に「島津の軍は終始乱戦の中にあった。島津はここでステガマリ戦法に出た。薩摩特有の戦法である」
2020-09-25 21:14:36
これはドキュメント風だが、やはり出典を書いてくれていない。ほかにもあるかもしれないが、とりあえず気づいた点のみ。戦国島津氏の基本史料として『鹿児島県史料 旧記雑録』があるが、これでも関ヶ原合戦の部分はもちろん、他の合戦の記事にも「捨てがまり」は見ていない。
2020-09-25 21:14:37
江戸後期の軍学者徳田邕興が『島津家御旧制軍法巻鈔』で戦国島津氏の軍法を詳細に紹介、分析している。そのなかに「釣り野伏」の解説はあるが、「捨てがまり」は出てこない。 現状、島津氏関係の史料で「捨てがまり」は見つけられないでいる。現時点ではその実在は確認できないというのが一応の結論。
2020-09-25 21:14:37
平山優さんも指摘しているが、「忍び」用語には地域性があるという。「かまり」はどうも東国の言葉のようである。数万語の薩摩弁を集成した方言辞典『鹿児島方言大辞典』があるが、これにも「かまり」は立項されていない。やはり、鹿児島ではなじみのない言葉だったか。
2020-09-25 21:20:53
司馬遼太郎が史料のママ書いたせいで、『関ヶ原』において、真田隠岐守が直田隠岐守になってしまったことは語り継いでいきたい。(いきません)
2020-09-24 23:14:57
司馬遼太郎は冊数で数えたら100冊ぐらい読んだと思うけど、ほぼほぼ内容忘れた。あと、歴史小説を読むんだったら、史料や研究書を読めばいいやとなって、伝奇小説に走っていったのであった。
2020-09-25 00:03:37
史実かフィクションか、という話を見ると、やはり今週号の「逆説の日本史」を読むべき、と主張したくなるのである。特に4ページ目を見れば、井沢氏はミステリを書くべき人だと分かるので。
2020-09-25 00:26:09
歴史小説に聞いたことない史料が出てきたら「民明書房刊!」と考えることで雑念を捨てるライフハック。(客席より「ググればいいのでは?」という声)
2020-09-25 00:32:13
桐野先生のツイートを拝見して、一つ気づいたのですが、おそらく司馬さんは、師匠筋である海音寺潮五郎の著作から「捨てかまり」を取った可能性があるかもしれません。と言うのは、司馬さんが『関ヶ原』を連載する約3年前の昭和36年に、海音寺さんは岩波書店の「世界」という雑誌に(続) twitter.com/kirinosakujin/…
2020-09-25 22:45:36
『史伝 西郷隆盛』という作品を連載していますが、この中に「義弘は「捨てかまり」という家に伝わる退陣法で、ことごとくこれを撃退して無事に戦場を離脱した」とあります。海音寺さんが何を典拠にしているのかは分かりませんが、司馬さんはそれを使った可能性もありますね。
2020-09-25 22:50:26
@ishin_saigou 貴重なご指摘有難うございます。海音寺さんも書かれていましたか。時代が違うので西郷の本まではなかなか手が回りませんでした。
2020-09-25 23:06:54