- kenpo_shibuya
- 3665
- 0
- 0
- 1
初台駅南口前の緑道(玉川上水の暗渠)は「改正橋」という橋。ちょうど61番バス停留所の鼻先。近隣では初めて手すりがついた立派な石橋であり、とても有名だったという。
2011-07-10 18:42:28大政奉還後、失業した武士の子が農家の庭先に捨てられており、農家が養って大きくなると作男として使ったという。当時の代々木山谷(代々木3丁目近辺)の作物は大根里芋茄子胡瓜など。田は少なかった。
2011-07-10 18:46:23代々木山谷は明治中期、武家屋敷に農家が50軒ほど。品川弥次郎子爵、秋田映季子爵(文化服飾学院の場所)、山内侯爵などがいたよう。新日鉄寮のところに牛舎、文化服飾の裏・初台駅南口バス停そばにそれぞれ牧場があった。
2011-07-10 18:54:58代々木公園に練兵場ができたのは明治42年。品川弥次郎邸、久米民之助氏(工学博士)邸などを糾合。ちなみに、久米民之助氏の書生が東急の五島慶太氏。だから渋谷にこだわったのかな。…西参道は砲兵がUターンするために十三間の幅をとったそう。
2011-07-10 19:00:57日本の自動車、NO6を持っていたのが代々木山谷の久米博士。結構すごい人だったんだな…当初の自動車運転試験は明治神宮の入り口から西参道の十三間通りを中心に、初台の坂道などをつかったそう。のちに品川に移転。
2011-07-10 19:05:15大正・昭和の代々木山谷には著名人が多数居住していた。軍人でいえば将官級が真崎甚三郎をはじめ15人ほど。文化人では田山花袋、高野辰之、鈴木三重吉、菱田春草、岸田劉生、藤原義江…って凄い面々。
2011-07-10 19:09:44明治のころの町村会議員選挙について。有権者に1級と2級があり、直接国税を収める1級は代々木山谷には5、6名しかいなかった。議員候補者も1級と2級に分かれていて、1級であれば5票で当選していた。
2011-07-10 19:13:40京王は大正二年調布・笹塚間、四年新宿まで開業。小田急は昭和二年開業。…開業前の時期、参宮橋駅の西側に二階堂体操塾という女子ばかりの塾ができ、代々木練兵場で練習していた。のちの日本女子体育大学。
2011-07-10 19:16:51以上、「思い出の代々木山谷(元澤常蔵・渋谷区教育委員会)」より。なかなか面白かったです。図書館にありますので、代々木山谷エリアの方はぜひ。
2011-07-10 19:19:05