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2020年10月2日

「日本学術会議」をどう考えるか-個人的な見解

日本学術会議をどう考えるか。この問題について現状では、あまり報道されていないように思われる。そこで、日本学術術会議というものについて、私が理解している範囲で解説を試みた。
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MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

日本学術会議は学者の国会と呼ばれて戦後新たに発足。日本の「科学アカデミー」的な組織。研究とは、マスメディア情報のフロー型情報に対して、ストック型情報。まさに蓄積と批判的検討の蓄積で発展。繰り返し検証を重ね、よりよい知識体系に成長を継続。その基礎の学問を代表する機関が日本学術会議。

2012-09-17 02:45:31
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

日本学術会議の会員指名問題は、一般生活に政治的な党派性がある以上、学術の世界にも党派性があることを、無視できないと、お相いに腹を括ったらいいんじゃないですかね。歴史的に言うと、特に1960年代は学術会議の反対決議が多くて、その後、徐々に今のように骨抜きになった歴史を踏まえて。

2020-10-02 11:11:13
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

2)学術会議は、決議も政府への勧告さえも、政府は無視して構わない(法的根拠がない)。そ当初は勧告に従って大学附置研究所も多数、設置されたが、長年を経て附置研は改組転換。国立研が増加。学術会議は対応できず。反対決議ばかりで役立たずと政府からは無視され、その改組を強要され、今に至る。

2020-10-02 11:45:19
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

3)一般マスメディアも、こんな時だけではなくて、日本学術会議が、今まで、どういう経緯を経てきたのか、どういう決議を出しているのか、例えば東日本大震災の時でも良い、何を社会に向けて発信したのか、一度でも報道したことがあるのだろうか。 もっと報道してはいかがだろうか。

2020-10-02 11:49:34
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

4)例えば1950年代に学術会議は、科学研究基法を提出して努力した。しかし「科学研究」に人文科学、社会科学を含めたため政府から反対され(今と似てる?)、国会で審議未了廃案。代わりに出来たのが科技庁の科学技術会議だった。当然、これにも反対決議。総理府の一行政機関なのに煙たがられ続けた。

2020-10-02 12:10:46
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

5)学術会議の解説を続ける。1960年代には日本物理学会(後援:学術会議)も巻き込んで半導体国際会議での米軍闇資金が大問題となり、学会の反対決議(決議三)。当時は米ソ冷戦が激越で、学術会議の会員の選挙になると、政党の党派性を代表するような応援支援の葉書がよく研究室に届いていたものだ。

2020-10-02 15:26:45
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

6)戦前には、学者・研究者の代表機関は2つあった。1つは帝国学士院で権威の象徴、もう一つが学術研究会議で会長は長岡半太郎(世界的物理学者)だった。それが戦後、解体され、学士院は単なる名誉機関化。1949年に発足した日本学術会議は「学者の国会」と呼ばれ、選挙制度を導入、期待の星だった。

2020-10-02 15:33:17
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

7)学術会議は選挙制度の中で、党派性の形骸化だと私は理解したが、1983年代に選挙制度を廃止。学協会による推薦制として蘇った。それでしばらく続いていると思ったが、1990年代の旧ソ連・東欧崩壊とバブル崩壊の混迷の中、1990年代の末、とうとう廃止論も出て、再改革を吉川弘之会長の委員会で議論。

2020-10-02 15:58:44
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

*)その辺りからは、私は京都女子大学での授業(学術情報総論という科目名)の中で、学術会議の重要性を強調してきた。しかしその問題については、全く触れなかったなぁ。当時、学術会議という名前を聞いても、全く知らないという学生は多かったと思う。無反応だった感じ。感想にも無登場だった記憶…

2020-10-02 16:26:39
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

8)私がその後、1990年から所属した大阪大学核物理研究センターも、日本学術会議の政府勧告で誕生した、国立大学共同利用機関の一つだった。設置は1970年でいわゆるKEK(高エネルギー物理学研究所)と同じ年の誕生だ。なぜ同年だったか。それは1960年代に素粒子研究所という提案があったから。

2020-10-02 16:31:18
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

9)本論と離れるが、学術会議の理解に有用なので、紹介したい。1960年代には、欧州CERNや米国LBL、BNL、あとコーネルやSLACでの電子加速器の大活躍で、素粒子物理学は大発展。日本でも東大原子核研究所の次期加速器に素粒子研究所を、学術会議が提案する段階で政府は1/4縮小案を提案。これが大混乱。

2020-10-02 16:40:15
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

10)学術会議の勧告通りに出来れば、世界最先端の陽子加速器。それを1/4縮小案!学術会議が認めて1/4のエネルギーの加速器でも(我慢して)建設するか、あるいはそれでは意味がないとして拒否するか。当時の記録は「総合事務局報」という雑誌に出ていた。私は1974年、大学3年頃に読んで知った。

2020-10-02 16:53:58
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

11)「総合事務局報」とは、日本学術会議の事務局が出していた事務局報告という意味の印刷物。白い表紙が今も目に浮かぶ。ググると例えば物理学者の坂田昌一記念館にある。私はその時以来、学術会議に興味を持ち、その重要性に驚愕した。 話を戻すと、その情報そのものが出なくなってしまったのだ。

2020-10-02 17:08:50
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

私の誤解があったので訂正します。「総合事務局報」は、学術会議の出版物ではなく、学術会議の研究連絡委員会の1つの原子核特別委員会に協力して、素粒子論G、原子核談話会、高エネルギー同好会、宇宙線研究者会議の4事務局が関係研究室に配布した不定期サーキュラーでした。お詫びして訂正します。

2020-10-03 01:19:18
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

私のこの誤解を指摘してくださった、素粒子物理学者の小沼通二先生(慶應大学名誉教授)に感謝します。(小沼先生は学術会議の会員を1957~1963、1969~1997、2016~2021にされているとのことです。)

2020-10-03 01:28:01
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

もう一つ、私の理解不足は「学術会議から情報が出なくなってしまった」の部分。正しくは『日本学術会議月報』が1996年に廃刊、代わりに『学術の動向』に引き継がれ、今もある。ただし内容は随想等で、学術会議も名誉機関化の印象。メール連絡も一般研究者に来ることは少なく、話題にならない状況です。

2020-10-03 01:55:06
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

12)何回かの学術会議の改革を経て、その報告が、今は学会(学術会議登録の学協会約2000団体)にしか配信されなくなったと思う。各学会事務局は各学会員に再配布しないことが多い。これが学術会議の骨抜きでなくて何なのか。そもそも研究者は学術会議をあまり知らない。一般マスメディアはどうか。

2020-10-02 17:19:10
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

話を戻す。素粒子研究所1/4縮小案から(1968年頃)。 13)結局、学術会議は縮小案を受け入れ、できたのが高エネルギー物理学研と阪大核物理研究センターだった(東大核研の将来計画を二分した)。このため発足時の高エネ研の加速器は1/4の陽子8GeVだったし、阪大核物理研は関西核研とも呼ばれた。

2020-10-02 17:29:08
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

14)私個人の価値観をいうと、学問は元々、アリストテレスの自然哲学みたいに、分野分けは便宜的なことであり、そもそもの社会問題、解決したい問題自体は、文系・理系の分類など関係がない。だかこそ、問題が問題になる。そう考えている。だから若い頃から、日本学術会議の理念に共感してきた。

2020-10-02 17:40:24
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

15)理想主義的な分野横断的価値観は、実現が難しいことは誰でも分かる。しかし日本の科学アカデミーはそこが特徴だ。つまり本気で科学=学問だと捉えた上で、科学研究=人文科学+社会科学+自然科学だと考えてきた。それが形骸化しやすいことも分かる。しかしそれを諦めるわけにはいかない。

2020-10-02 17:44:38
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

16)最初の方で紹介した1950年代の日本学術会議の「科学研究基本法」案。これこそ日本の、学術会議の分野横断的な学問精神の体現となるはずだった。しかしそれは1960年頃に審議未了廃案となったと述べた。それが何と1995年に蘇った。それが今に繋がる科学技術基本法だ。「科学技術」だけに限定した。

2020-10-02 17:51:09
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

17)「科学技術基本法」は、当然、日本学術会議の理想「科学研究基本法」を意識した。その冒頭で、わざわざ「この法律は、科学技術(人文科学のみに係るものを除く。)の振興」と明記する。これをどう扱うか、1995年当時の学術会議でも問題になった。結局、魂を売り渡して妥協したと私には思われた。

2020-10-02 18:02:07
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

18)なぜなら1995年の法案(「科学研究」基本法ではなく「科学技術」基本法)の成立直後に、当時の伊藤正男会長が会長談話を出しただけで、結局、認めてしまったからだ。それは勿論、一種の政府機関として仕方がなかったし、理研に脳科学研究センターが直後にできる等、タダでは起きない面もあった。

2020-10-02 18:18:30
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

19)科学技術基本法は、1995年成立、1996年施行。今、基本法で検索すると52本の基本法がある。基本法の特徴は①事務局が付き、②予算が付き、③基本計画がセットであること。つまり国家官僚が推進するので、絶対に進むことだ。かくして、第1期の科学技術基本計画1996-2000年以降、第5期を終えた。

2020-10-02 19:10:03
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

20)失礼、今は第5期科学技術基本計画の最終年度。しかし科学技術基本法の議論も報道も少ない気がする。実際、同法第2条は「自然科学と人文科学との相互のかかわり合いが科学技術の進歩にとって重要であることにかんがみ、両者の調和のとれた発展について留意」とされる。それをどう考えるのか。

2020-10-02 19:26:34