都市と地方と人口移動と年代と世代と近隣の親密さとか
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読書。松本康さんの「都市度と友人関係」(2005年、『社会学評論』56-1)。友人数が都市度に正に相関するというフィッシャーの仮説に対して、名古屋近辺での調査データの分析結果をふまえて、移動履歴を考慮しないと都市度の影響は正確に取り出せないと批判。いろいろ興味深い点はあるのだが、
2011-07-09 23:51:55都市圏出身者にとって、都市度は友人数と負の相関を示し、しかもこの関係が年齢によって左右されないという知見が興味深い。若者の間での地元つながりの強まりといわれてきたものが、実際には年齢(世代)のみの効果ではなく都市度の効果かもしれないということだ。たしかにヤンキー文化論は若者論
2011-07-09 23:55:05であると同時に地方社会論でもあった。ケータイ小説論もしかり。他方、友人数全体でいうと年齢と負に相関しており(若いほど友人が多い)、この点では世代の効果が示唆されているようにも思える。
2011-07-09 23:57:34@tasano 拙稿(2010)でも、年齢をコントロールしても、「友人における近隣友人の割合が、幸福度を高める効果」が、「国の経済水準」によって高められていました。つまり高所得の国では、どの年齢の人でも、「近場に友だちがいたほうが幸福」の傾向が(低所得の国よりも)強いんですよね。
2011-07-10 00:16:48@_h_japan _h_japanさんの論文でも松本さんのこの論文、引用されていましたね。世代の効果(だけ)ではなく時代効果というかもう少し大きな変動の枠組を考慮すべきところなのかもしれないなと考えています。
2011-07-10 07:27:53@tasano お読みいただき、恐縮です。都市化や経済発展などによって生活環境や価値観が変わることで、友人関係の価値観や実態が変化していくのかもしれないですね。どう変化しているのかが問題になりそうです(なかなか複雑なのかもしれません…)。今後も関連実証研究の登場が楽しみです。
2011-07-10 11:20:47@_h_japan とても勉強になりました。友人関係の脱埋め込み/再埋め込みを正面から実証的に検討しようとする貴重な研究だと思いました。ギデンズ、ベック、バウマン等々のいっていることは実証ベースでもっとしっかり検討されてよいと思うので、こういう研究があることを心強く感じます。
2011-07-10 12:04:31@tasano もったいないお言葉、たいへん痛み入ります。今後も友人関係の実証研究が登場するのを楽しみにしたいですよね。ぼくも(最近では友人関係を包含しうるコミュニティの機能にも着目しながら)友人関係や親密性の分析をしていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2011-07-10 12:12:24再読。森岡清志さん編『都市社会のパーソナルネットワーク』。10年ぶりくらいか。都市度の友人数への寄与が、フィッシャーの想定していたほど単純なものではなく、友人との物理的距離によって異なっているというのは松本さんの議論と同じ方向。興味深いのは本のタイトルとはずれるが社会経済的変数が
2011-07-10 23:32:40友人数に正に相関すること。雑にいえば、学歴、職業威信、所得等が高いほど友人数が多い傾向。もう一点。年賀状を用いて、機関を介して知り合ったさほど親しくないつながりについても検討しているのがおもしろい。今から考えてみると、パットナム型の社会関係資本論が二次的結社への所属を重視している
2011-07-10 23:35:48のはこの年賀状調査と同じ方向性を持っているということになろう。実際、パーソナルネットワークが広いとある種の非通念的な事柄に対して寛容度が高まる傾向もみられ(これは少々単純すぎるまとめだが)、これは周辺的な関係がそれなりに重要な意味を持つことを示唆しているようにも思える。
2011-07-10 23:42:46村や階級を離れて個人となったはずの近代人は、自由になるどころか国家や会社や家族の一員として再編され、少なくない人が社畜や専業主婦になった。その意味で、渋家的な生き方は、ポスト近代に見えて、近代化の徹底なのかも知れない。
2011-07-11 00:56:46翻って問われるべきは、近代化にはいくつかの可能性があったはずだけど、その中でなぜ現在のような家族が一般的となり、その解体が叫ばれながらも、中々揺るがないかだろう。
2011-07-11 01:03:56フクシマ論にもあったけど、近代のすぐ裏側には前近代が隠れている。家族→教育→労働市場→家族みたいなトライアングルの成立には、労働力の供給源としての地方が恐らく大きく関わっている。事実、そのトライアングルは一世代くらいで歪んだ訳だから。
2011-07-11 01:29:59社会工学的に考えるならば、中国のように農民戸籍を設けて、都市に出稼ぎはできるけど、定住はさせないという制度は、ある意味よくできている。外部を外部のまま固定できるんだから。
2011-07-11 01:45:03@poe1985 重要な視点ですね。地方には、「過去」との相対的な差異においては近代の側面をもつけど、「中央」との相対的な差異においては前近代の側面をもつ、ということかな。そういう人口(労働者)の都市部流入という現象そのものが、近代(人口流動時代)的な現象ではあるんだろうけど…。
2011-07-11 01:57:27@_h_japan 地方っていう変数が頭の中で抜けていたなあと最近思うことが多くて。確かに移動自体が近代特有の現象ですね。それが永続的には続かないというところに興味があります。
2011-07-11 03:06:10@poe1985 そっかーたしかに、県間(&県内)移動率は1970年をピークに下がってきているもんね(http://t.co/83kt0Wt)。1970年以降は「近代=人口流動時代」とは言えないよなあ。地方でも便利に暮らせるようになったわけで。移動だけじゃ近代は見えないですねえ。
2011-07-11 03:18:54こないだの藤村くんとの対談でも思ったのだけど、僕らは90年代的な郊外病理論と同時に、郊外に資源を集中させた時代的な流れにも批判的な距離感があって、それを彼は新全総、僕は三全総の検討から述べようとしている。
2011-07-11 04:58:22集団就職の時代の後の地域間人口移動には、産業と交通の問題が関わっていて、一度労働力を供給してしまうと、一方通行でヒトは帰ってこない、モノは入ってこない、産業は高度化しないという地域が生まれた。そこで「国土の均等な発展」を名目に、収容能力を超えた都市の資源を分散する必要があった。
2011-07-11 05:03:21その資源配分は、はじめ重化学工業の全国配置として構想されたけど、公害問題の噴出で猛烈な批判を受けた。そこで物流のネットワークに加えて情報のネットワークを作り、情報時代にふさわしい新産業を興そうという話になる。情報ネットワークなら中心はいらないから、というわけだ。
2011-07-11 05:09:59現代から見れば、そのビジョンが成功した事例もあるとは思う。ただこうした産業はそれこそ人材の有無に依存するものなので、放っておけば都市部への人口集中を加速させるし、行政で育成しようにも、投資→リターンの効果を求められるビジネスの理屈とは噛み合いが悪い。結果アートの方に資源は流れる。
2011-07-11 05:16:21もうひとつ、90年代以後に顕著な傾向として、低賃金、高流動のサービス労働が、地域間だけでなく世代間で供給されるものになったということがある。つまり若者へのしわ寄せ。田舎の人が都市に出稼ぎに出て実家に仕送りするのでははく、田舎の若者が田舎の大人にサービス提供して食うようになった。
2011-07-11 05:20:00まだ一部の地域でしか検証してないけど、地域によっては大都市ではなく地域の中核都市に人口が流入している。色んな理由が考えられるけど、あまり指摘されないこととしてサービスの地域性があるのかもしれない。感情労働を伴う対人業務は、実際には「誰でもいい」わけではない。低流動の土地では特に。
2011-07-11 05:26:30