カントリーマアムがだんだん小さくなっている事実から、将来の消滅を感じとれる一方、過去に遡るほど大きくなってゆく傾向を外挿すれば、明治時代には直径10センチ、江戸時代には25センチのカントリーマアムが実在しており、聖徳太子は直径1光年ほどのカントリーマアムを食べていたと結論付けられる。
2020-10-03 20:36:48大西科学の中の人です。ジャッキー大西とも呼ばれています。むかしから、いろんなところで、いろんなことを書いてきました。今後も書いてゆきたいと思っています。
@onisci やっぱりなぁ! カントリーマアムが発売された時、「こんな美味しいんだもの、聖徳太子の時代はやっぱり大きかったのだろうなぁ」と思ったこと、あってたんだ!!
2020-10-04 09:26:12やっぱり小さくなっていたのか…… てっきり私が大きくなったのかと思ってました twitter.com/onisci/status/…
2020-10-04 22:21:25昔のカントリーマアムはこうだった
確かに昭和のカントリーマームは直径7cmくらいあったよね…(こうして虚実は曖昧になってゆく) twitter.com/onisci/status/…
2020-10-04 11:43:40@onisci 江戸時代には「勘鳥居魔亜無」という直径約25センチ程のカントリーマアムのようなものが有って魔除けとして食されていたんですよね
2020-10-03 22:29:00@nucleotideinkya @onisci 民明書房刊『カントリーマアムの全て〜〜ステラおばさんじゃねーよ!』より
2020-10-03 23:27:15「サックリとしっとりの2重構造、一般的なクッキーよりも低温下で焼成され、原材料には白あんが使われている。 ほとんど手作り感覚のクッキー。 三国志演義には諸葛亮が生贄の”人の首”の代わりに勘鳥居魔亜無を川に投げ込み、氾濫を鎮める場面がある」 twitter.com/onisci/status/…
2020-10-05 02:37:22縄文クッキーのサイズを見れば、拡大縮小を繰り返している事は明白。 明治までは資料があるが、それ以前の…例えば聖徳太子のころは食生活と体の大きさや調理器具のサイズから直径70~80mm程度と言うのが私達の世代が習った歴史。 ただ、最大の問題はその振れ幅と周期がまだ分からないという事。 twitter.com/onisci/status/…
2020-10-04 17:22:49有志による指摘
明治時代と江戸時代をそれぞれの年代の中点とすると、1890年と1736年で、差は154年。その間に0.4倍になったのだから、半減期の式N(t)=N0exp(-λt)の崩壊定数λは5.9×10^-3程度(tは年単位)。聖徳太子の時代を593年とすると、差は1297年だから、当時のカントリーマアムは2.1m程度の筈。 twitter.com/onisci/status/…
2020-10-03 23:02:41ぐわぁ。間違えた。211メートルだ。cm単位からm単位への換算を逆にしてしまった(最初から全てMKS単位にしておけば良かった)。 グラフを添付します。申し訳ありません。 pic.twitter.com/VgCdjDiEw4
2020-10-03 23:23:516300年くらい遡れば1.4光年くらいにはなる。最初の江戸時代と明治時代の年代設定が、大西科学氏と異なっているのかも知れぬ。論文で発表されるまで待とう。← 発表されるのか(^_^;)?
2020-10-03 23:55:39