とある最終学歴中学校中退者の心情とその後 ~部活カーストと居場所コミュニティと学校で教えてくれるコト教えてくれないコト
剣道部と柔道部の練習場所がほぼ隣り合ってて練習風景も見えてたからか、一部の柔道部員とは学校生活上でも仲が良かった気がする。 まあ同じクラスだったってこともあるけど。
2020-10-04 23:01:08部活や外部の習い事を全否定するわけではないが、その存在にはあまりいい気がしない。 自分が学校を中退したのはなんとなくだったからだけど、部活や習い事をやっている場合たぶん親はそれらも中退に合わせて辞めてしまうことに反対するだろうからさ。 そんなに気負うものならわやめちまえ。
2020-10-04 23:03:56学校をやめて行かなくなって淋しかったかどうかでいえば、うつろとしていた。毎日をのんべんだると。のんべんだらりと。 ただ。部活には顔を出してみようかなー?となんどもあぐねたことがある。考えた。迷った。結局できなかった。 たった1年いなくなるだけで新参部員に顔合わせできなくなるからだ。
2020-10-04 23:07:33何こいつ、誰だ?コイツはみたいに見られるのがこわかった。 なにより顔合わせできないのはいままで見知った部員たちに、だ。彼らとどう話をしていいかわからない。
2020-10-04 23:10:21この提案は無理なのかな。 学校中退しても部活にだけは行ってもいい、みたいなの。まあそこまで剣道好きだったかというと家ては自主練習しないほどだったからそうでもないんだけど。 コミュニティはあったほうがいいとおもう。問題は受け入れる側だと思うが。どうなのだろう。
2020-10-04 23:15:28部活動と部活動における成績の順位差によって学校長のランク分けが起きるかというと比較的目には見えてこないもんかとは思うが。 ただ――見知った間柄の人との間に微妙な温度差を感じてしまうことは否定できない。自分はそういうのもたぶん本当は嫌だった。
2020-10-04 23:25:43なぜ学校を中退したやつが部活動にだけは顔を見せるのか?みたいな問い 部活動来るくらいなら学校授業にも いけよwみたいな統制の問い そうじゃないんだよ。 どっちか片方行くかぐらいしか気力がないんだよ。余裕がない。 それがだめなら部活制度自体を廃止してもいいんじゃないかと自分は思ってる
2020-10-04 23:29:41自分が期待してるのは 「学校生活が嫌になっても部活には行ってもいい、そのなかでリハビリしながらほかの部員たちと交流を深めて、そこからまたあわよくば学校生活に戻る糸口を探す」みたいな感じ 理想ではありますが
2020-10-04 23:33:33そういえば部員同士が殴り合い?ケンカをした事件とかもあったな。あれは部員同士だっただろうか。そこまで血の気の荒い人達てはなかったと思うけど。 結局ささいな争いだったのか和解してすっぱりしてた気もするが。後には引かなかったというか。
2020-10-04 23:37:38剣道部員でも喧嘩するときは殴り合いなんだよな。たぶん。 剣道部員だから竹刀を使った試合果たしうちじゃなくて。 なんかギャグみたいだなw まあ腕力はそれなりにはあるとは思うよ。格闘術に向いた筋肉かは知らないけど。
2020-10-04 23:41:24なんでか不思議なのわからんかったのが、母は俺が学年上がっていくごとにちょっとずつ成績気にしだしてたんだけど、その割には塾とかには通わせなかったんだよな。 ある時冬季講習かなにかで一時的にレッスンを受ける機会があったけど、意外と同じ学校の子らもいてぴっくりした。
2020-10-04 23:48:10みんな習い事は自分で決めたのかそれとも親に言われてやらされ始めたのか。そこはちょっとだけ気になってる。 塾以外なら剣道や英語や書道や水泳には行った。どれも二年くらいは続いた。自分で希望してはじめたものだ。 でもそれらはいまは継続してないっていうか。継続できる習い事ってなんだろう。
2020-10-04 23:51:15母親は習い事や部活の成績よりも学校の授業の成績を気にしだしてたんだよね。ただ、習い事や部活も「継続」は大事だと考えてたみたいで容易にはやめさせてはもらえなかった。 でもそれって習い事を通した友達付き合いが薄れてゆくのを憂慮してくれてるんじゃなく、ただキャリアを気にしてるからだよな
2020-10-05 00:09:49父は比較的あんまり成績とかには口出さない人だったな。でも肝心なところで教えてもらおうとしたら自分で勉強しろと言っては遠ざけられた。 良くも悪くとも放任型主義だったんだよな。本人も半ばそう言ってたし。 でもなせかゲームソフトやおもちゃは買ってくれた。本人が欲しかったのだろうか…
2020-10-05 00:15:37学校行かなくなってから友達が家にこなくなったとはいえ、もうだいぶ受験シーズン勉学打ち込み学年学級してる時期だったから、そう遊ぶ仲間も機会もなかった。だからそれを当然のこととして映った。受け入れた。 ただ母親と喧嘩をする機会が多くなっていった。
2020-10-05 00:20:29運動部員だった人間が急に運動やめて自堕落な生活送ってりゃ、自然と筋力も落ちるはずで。その落ちた筋力の分が今でもアザのような皺となって太ももに跡がついてる。自慢でもありコンプレックスでもあった太い足が今では贅肉になっちまった。
2020-10-05 00:23:54父親は自分を叱ってる暇なんてなかったんじゃないかと思う。仕事してから休日帰ってきて様子を見守るだけのローテーションというか。そこにいちいち叱るとかを入れる気はなかったんだと思う。 仕事しろともあまり言われなかったな。そりゃ言われたけど。切迫まではされなかった。
2020-10-05 00:28:10引きこもってるあいだでも散歩くらいはしてたよ。母から新陳代謝日光浴びてきなさい的にさ。 地域の人とか学生に見られたらどうしよう的なことを考えていたけど、それも気にしなくなったな。まあ畑ばかりの風景だったからな。 ただプチ家出は繰り返したな。警察沙汰にはならなかったのが幸いだけど。
2020-10-05 00:31:52引きこもってる間パソコンでネットをする機会があって今に至るわけだけど。 でも当初はそんなにディープなオタクギークになったり、そういう友達付き合いをネット上でくみ交わしていたわけてはなかった。ようするに時代世代が違っていたわ。 掲示板文化とかにも慣れなかったなあ。
2020-10-05 00:35:28親戚ん家に居候させてもらってた時、そこまで自分を責めることはなかったっていうか。まあそれでずるずると長居したけれども。 部屋もひとつ貸してもらったしそこで寝たりパソコンやゲームもやったりしてた。 たまに祖父の生きがい的な漁業に関する資料の整理的な手伝いはしてた。
2020-10-05 00:43:55一度学校に行かなくなってしまうともうそれからは母もだんだんとガミガミ学校へ行け登校しろとはあまり言い出さなくなってったんだよな。このあたりが女性?のわからないところなんだよな。 母もパートアルバイトやめてた時期なんだよな。家事はやってくれてたけど。
2020-10-05 00:46:57コミュニティという意味では―― デイケアサービスに行ってたくらいかなと。ちょっとワケありそうな20代前後の人たちが、そこで先生らといっしょになんか小型部品の解体をやったり昼飯食べたりして過ごす、っていう。祭り的なイベントもあったよ。 まあうつ病治療のために行ってた場所なんだけれども。
2020-10-05 00:52:55