日本における食堂車と等級制の関係

食堂車があるのに駅弁を買ってる人がいるのはなぜか?というあたりからの、日本における食堂車と等級制の歴史と解説です。
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【コラム:食堂車と等級制】 さてこの度サロシ786という新形式が誕生し本線に現れた訳ですが、等級制時代の20系を除く長距離列車の編成について勉強した人はよくある『食堂車が編成に付いてるのに車両の窓を開けて歩き売りの駅弁を買う』という風景に疑問を抱いているかもしれません。(続

2020-10-09 18:44:45
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これには単純な「移動が面倒」という理由だけではなく、当時の等級制に由来する「仕来り」があった為です。 まず、日本における食堂車は山陽鉄道の急行列車に1899年,一等車の乗客向けとして連結されサービスが開始されたというのが定説であります。13時間にも及ぶ旅程であるのだから一等車の乗客を(族

2020-10-09 18:44:45
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空腹にさせる訳にはいかない、というのが発端でありました。山陽鉄道の例に続き1901年,官設鉄道(後の鉄道省)及び関西鉄道にも同じく一等車の乗客向けとして食堂車の連結が開始されます。 こうし普及するにつれて空腹を満たす場としての機能から一等客、即ち上流階級層の社交の場へと変化します。(続

2020-10-09 18:44:46
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この「食堂車=上流階級層向け」という社会認識は車両設計に如実に顕れる事になります。キングスホビーの食堂車キットを眺めた事のある人であればお分かりの通り、戦前のボギー台車の食堂車はほぼ全てが乗り心地の向上を主として開発された3軸台車を履いています。また塗装に関しても(続

2020-10-09 18:44:46
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黒漆塗りを施される等、外装に関しても一等車や展望車と同様に扱われ、そして戦後に至っては冷房装置の実装も行われる迄になりました。 1906年、1レや2レ、はたまた「名士列車」と呼ばれる贅を尽くした編成による列車に対して大衆向けである三等列車にも食堂車が連結されるようになります。(続

2020-10-09 18:44:46
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一二等列車に連結される食堂車は洋食を提供する「走る社交場」に対して三等列車に連結される物は和食を提供する「走る大衆食堂」でした。これらは同じ食堂車であれど全く別の部類として前者は記号として「シ」を当てられたのに対し、後者は和食提供食堂車「ワシ」を当てられました(続

2020-10-09 18:44:46
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この三等向け食堂車は以降も2軸ボギー車を改造するなどして製造されるなど大幅にコストカットされて登場することになります。これらは大正末期になり食堂車の新造が3軸ボギー車に統一化されるまで続きます。また各等列車(一等,二等,三等の全部が揃っている列車)に関しては食堂車を境に三等と二等を(続

2020-10-09 19:00:53
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分ける等の配慮が1950年代まで続く事となります。これほど迄に優等列車の食堂車は大衆から離され、三等客にとっては高嶺の花であったのです。 そこで三等車の客は「編成に食堂車はあるが、使えないので機関車交換の時間を利用して駅弁を買う」という手に出るのでした。(続

2020-10-09 19:00:54
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この文化が急速に緩和を見せたかのように見えたのが東海道本線の全線電化でした。昼飯時の長時間停車が無くなり駅弁の購入機会の減った三等客を放置する事は流石に出来ません。そこで「検札時に一等から順に注文を聞いて行き、最後に三等客に余ったメニューを選ばせる」という手段が取られます。(続

2020-10-09 19:04:49
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各等優等列車において、閑散時間帯であれば食堂車を三等客にも使用可能にする(但し二等車、一等車の通り抜けは禁止、停車時にホームでシェフからの検査や指示を受けるなどしてから乗り込む事など制限付き)という制度は一応1903年からありましたが、ここで漸く大幅緩和がされたのです(続

2020-10-09 19:08:38
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しかし、この一度は緩和の色を見せた食堂車利用も一等車の廃止及び格下げ、20系電車と20系客車の登場時に再び差別化へと舵を取ります。スハ44等の汎用旧型客車を繋げる編成から固定編成へと推移し、列車の高速化と共にサービスの拡充を行えるようになった国鉄は「売店コーナー」を車内に設けます。(続

2020-10-09 19:14:12
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「つばめ」「はと」の電車化以前、「こだま」ことビジネス特急,即ち二三等列車として登場した20系電車はビュッフェのみでしたが、つばめの電車化に伴って一等客(旧二等)向けの食堂車を連結。二等客(旧三等)はビュッフェを利用するようにと形態が作られていきます。この際にその発想を受け継いだのが(続

2020-10-09 19:19:35
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「サハシ153」「サハシ455」だったのです。優等用途ではなく、あくまでも急行の利用層にはコレで充分として宛てがわれたのが「ビュッフェ・普通合造車」でした。 さて話を戻して20系客車ですが、この客車、等級制の名残を強く残した車両でありナロネ20に至っては旧一等寝台車と同様の設備か(続

2020-10-09 19:25:18
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それ以上の環境でありました。「公の場に顔を洗いに行く事は許されぬ」という一等客の思想を元に全室に洗面台が設けられた程です。さてそんな「上流階級」と(登場時)三等の客を同じ食堂車に呼ぶ訳にはいきません。しかしこの客車、窓が完全に固定されている上に停車時間も長くありません。(続

2020-10-09 19:27:54
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そこで食堂車の利用をロネ利用客に限定しました。しかし三等客へサービスが提供されないのは不評の元になります。ということでナハフ20/ナハフ21に設けられたのが「売店」だったのです。ナシ20がハネ利用客にも開放されるのは等級制の廃止を待ってからの事でした。これらはキハ81でも同様で(続

2020-10-09 19:30:39
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一等車(キロ80)の客向け食堂車(キシ80)に対して車端部の利用客向け売店(キハ81)という具合で差別化が行われていたのです、この考えは0系でも同様に扱われる事となります。 そんなややこしい仕来りも1969年5月10日の等級制廃止、モノクラス化を以って幕を閉じるのでした。

2020-10-09 19:36:41
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追録: 485系や14,24系の食堂車は当初から全客に解放されていた部類であり、若い年齢層には「食堂車」の位置付けの歴史に関して中々思う所が薄い面があると思います。 2020年現在、豪華列車向け食堂車であるキシ86,E001-6,マシフ77に対して(割と)大衆向けのサシE261,サロシ786,クシ718があります。

2020-10-09 19:49:52
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「社交の場」として発展したが一度歴史の潰えた前者と「空腹を満たす場」に現代のアレンジを加えた後者、両形態の辿ってきたそれぞれの歴史をこの機会に是非見てみるのはいかがでしょうか。憧れの食堂車が復活している現代ですので、そういった歴史に関して興味を持って頂ければ幸いです。(完

2020-10-09 19:49:52

追加

被弾芸人❄❇🎀🐶🍸🌙💍🕊 @Asahi_kozu

こんなことがあったこともあり、当時デビューの窓が開かない20系やらキハ81には売店があったのよね twitter.com/JOYO231/status…

2020-10-09 19:07:38
被弾芸人❄❇🎀🐶🍸🌙💍🕊 @Asahi_kozu

@JOYO231 151は当初サシなしモハシのみだから除外してた

2020-10-09 19:13:26