長篠合戦図屏風のマルチクロス。 推しがいるから買った。 殿のグッズは掃いて捨てるほどあるけど、若のグッズはほとんど無いからなぁ。 pic.twitter.com/0IE9eV1MKp
2020-10-12 09:24:27城郭、甲冑、武器・武具、武術、戦史などの武的なものが大好き。特に日本の中世~近世のそれに興味があります。ツィート内容はだいたい素人の空想遊びなのでご注意ください
バート・S・ホール「火器の誕生とヨーロッパの戦争」読了。以下長くなるが興味深かった点をまとめてみたい。まず前提として、16世紀の西欧の野戦術は野戦築城と火器の併用や鈍重なテルシオ方陣の出現等によって防御偏重のデッドロック状態に陥っており、この世紀の「精密な計画に基づいて行われた」
2020-10-17 13:41:3832の戦いのうち、攻撃側の勝利はわずか5例に過ぎないという。テルシオ方陣における槍と銃の比率が一対一になるのは17世紀初めになってからで、それまでの長い期間三対一から二対一の比率だった。なぜかというと戦場には依然として重騎兵が存在していたので、歩兵が彼らの急襲戦術(密集隊形による
2020-10-17 13:41:52突撃)から身を守るために大勢の槍兵がどうしても必要だったからだ。しかし歯輪点火式ピストルの普及により16世紀半ばからピストル騎兵が増え始めた。ピストル騎兵は歩兵に対しては効果がなかったものの重騎兵に対しては優位に立つことができたので(槍よりもリーチが長い、乱戦になると長い槍よりも
2020-10-17 13:42:08ピストルの方が有利、最良の鎧でなければ銃弾を防げない等の理由から)重騎兵は減っていき、重騎兵の脅威が減少したために歩兵は銃の比率を高めることができるようになった、また鈍重な大方陣からより機動力のある(そしてより高度な訓練を必要とする)細長い梯形スタイルの隊形への移行も可能となった
2020-10-17 13:42:19つまりこの時期の歩兵戦術の変化は従来言われてきたような火器の改良によるものではなく、長らく歩兵戦術の進化を「抑制」してきた重騎兵が廃れたためだというのである。またチェリニョーラの戦いに代表されるようなこの時期の野戦における火縄銃の活用は、革命的というよりはむしろ従来の城壁を守る
2020-10-17 13:42:29弩や手銃の戦術の延長上にあるもので、野戦では城壁がなかったので、城壁に拠って飛び道具で戦う人々のために野外に城壁を作った(野戦築城)。このあたりは攻守城戦や野戦築城で鉄砲足軽を活用した同時代の日本とよく似ている。やはり西欧でも日本でも銃兵は攻撃的兵種ではなく防御的兵種だったという
2020-10-17 13:42:40ことだろう。しかし以上長々と書いてきたような事情を踏まえると、西欧の槍兵・銃兵は攻撃兵種・防御兵種に単純に分類できるものでもないらしい。背景をよく理解しなければ西欧軍事史の流れを日本の戦国時代に投影できないのはもちろん、まともに比較することすらままならないと痛感した。
2020-10-17 13:42:59参考
近世ヨーロッパ軍事史好き。「小説家になろう」で社畜が戦列歩兵になる小説も書いてます。 歴史系では、騎兵合同誌で近世ヨーロッパの騎兵戦術の変容を寄稿。「私家版近世欧州軍事史備忘録」シリーズを刊行中。BANZAIまがじん様にも寄稿中。最新はVol.15号の「ワーテルロー会戦における騎兵」。サロン・ダルメ所属。
>RT 時々思うのだが、戦国日本とヨーロッパが軍制や戦術の点で比較される際に、基本的な点で世代を間違っているように思う。私個人は、比較対象は百年戦争末期~ブルゴーニュ戦争までにもっと焦点を合わせるべきだと思う。
2020-10-17 17:04:44たとえばブルゴーニュ公国軍の槍組と、戦闘毎にそれを兵種別に編成し直すやり方なんかは、最近話題になる戦国日本の兵種別編成の考え方や、備の編成の考え方と比較し検討できる絶好の素材だろう。この絵に示されるブルゴーニュ軍の隊形など、実に日本的な陣形に近い考え方だと思う。 pic.twitter.com/BF6LB6eAJb
2020-10-17 17:05:30一方でイタリア戦争の頃になると、例えばブルゴーニュの崩壊から約半世紀後の1512年のラヴェンナの戦いは、当時の諸兵種連合のお手本のようなものであるが、騎兵と歩兵が独立して戦いながら、ぎこちないながら相互に支援する形がよく見える。 pic.twitter.com/IrztpNLAR2
2020-10-17 17:06:21これは備のような侍と各兵種が入り交じる部隊編成とは明確に異なるので、この時代以降を戦国日本の比較対象として、第一に挙げるには一寸違う気がするのである。
2020-10-17 17:07:16なお、ブルゴーニュ公国軍の軍制は頻繁に、その先進性が評価されるが、その実態は中世的であり、前にもどこかで述べたがデルブリュックの評価のように、中世の通常の組織を洗練させたものに過ぎないとする考え方が正しいように思っている。
2020-10-17 17:07:43ブルゴーニュの槍組にバラバラに徴集された長槍兵が、一つに纏められて、騎士ユニットの壁役になるなんて、実に日本の長柄足軽的な運用じゃないですか。こう言う考察を余り見かけないけど、何故だろう?
2020-10-17 17:08:38@Hatashirorz 確かにブルゴーニュ軍はアタッカーとしては騎士及びジャンダームに頼りきってますね 突撃前はパイク兵に守られた投射兵が射撃、頃合いを見て騎士が突撃、後方からは長弓兵が援護射撃、みたいな感じで pic.twitter.com/0JH9gCoGy8
2020-10-17 17:44:34@Hatashirorz 欧州最強って言われてたぐらいだから、他国よりはシステムは整ってたかもしれませんね 敵情偵察はガバガバですが
2020-10-17 17:48:34ブルゴーニュがと言うよりも、槍組の考え方そのものが騎士を中心とし、その槍組においては、騎士以外の兵は補助兵種であり、独立して運用するものではないという基本があって、その上でのバリエーションだという理解だと思う。 twitter.com/Re_113_Gnu/sta…
2020-10-17 18:06:36でこのような概念と、「武器と甲冑」の言葉を借りると、武士の武士による武士のための部隊が、比較対象として検討するカウンターパートになるのではないかと思う訳です。
2020-10-17 18:06:37@Hatashirorz 仰る通り、ヨーロッパ戦史を調べるうち日本の備はどちらかというと同時代よりも中世後期のヨーロッパの軍隊に近く、日本の場合幕末に至るまで中世的な「主力の戦士階級+その他大勢」の軍制が続いたのかなという印象を受けました。そうするとやはり同時代での兵種の比較などは難しいですね。
2020-10-17 19:14:30お城と歴史と世相と猫(順不同)
>さて、こういう分析が広まると「火縄銃の装備率が高い戦国期日本は世界最強」という思い込みからスタートした妄想やトンデモやエンタメが説得力を失いますけど、どうなるでしょうね。(たぶんどうにもならない、何故なら虚構だから)
2020-10-17 21:15:48和甲冑は手足剥き出しで防御力が弱いとか妄想を練ってた件のアホボンは知識不足も有って自論に都合の良いシーンしか想像出来なかったに過ぎないが、あそこまで低劣じゃなくても似た様な想像による戦国語りはまま見かける。
2020-10-17 21:27:43