高知県物部村にある、消滅寸前の「堂平集落」 数回にわたる訪問による、近隣地区の住民からの聞き取りや現地の様子、祭事の記録

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R774@まとめ屋 @kendou774

スレッドにします。 『物部の山奥にある小さな集落』40年ほど前の航空写真では、数軒の家屋と耕作地が見える。そして現在の航空写真。集落まで車道が延びているが、既に住む人はいないという。山奥にある小さな集落には何が残されているのか。集落の今を記録するために、『堂平集落』へと向かった。 pic.twitter.com/pHhMM9Z589

2020-10-17 21:08:26
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堂平集落を知ったのは、10年以上前のこと。ウオッちず(現・地理院地図)を見ていた時、険しい山上にある集落に気づいたのだ。その存在は、明らかに他の集落とは異なっていた。時は過ぎ、2017年、高知新聞のこの記事を見て、堂平に行くことを決めた。『限界集落から“消滅”へ 香美市物部町の中津尾』 pic.twitter.com/miDOmAjZm0

2020-10-17 21:09:40
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堂平集落は、高知県物部村(現・香美市)の中津尾地区にある二つの集落のうちの一つである。もう一つは下中津尾と言う。物部村の集落は物部川流域に位置するが、この中津尾地区だけは安芸川流域に位置する。山深い物部村でも特に山奥の地区で、堂平にいたっては、標高約750mの山上にあるのだ。 pic.twitter.com/I96Q8JiwtG

2020-10-17 21:10:35
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堂平集落へは複数のルートが存在する。安芸市から向かうルート、香我美町(現・香南市)から向かうルート、そして物部村から向かうルート。いずれも深い谷間を通り、更には未舗装区間が存在する。山深い場所だけあって、どこを通っても険しい道程である。今回は安芸市からのルートで向かった。 pic.twitter.com/oN5yNv1STo

2020-10-17 21:11:35
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まずは、旧・畑山村の中心部であった畑山地区へと向かう。安芸市街地から安芸川沿いに車を走らせると、程なく山間部に入り込む。四国山地の特徴とも言える"標高の割に険しい谷間"はここも同様である。四国らしい隘路が延々と続く。この険しい谷間の先に、村の中心部が存在してたのだろうか。 pic.twitter.com/l9mFeYKHg9

2020-10-17 21:12:35
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『畑山村』 安芸市街地から約20kmの畑山地区。狭い谷間を抜けると、明るい耕作地が広がった。旧・畑山村では、S.25年に2071人いた人口が現在177人。畑山地区は36人になってしまったが、当時は林業を生業として多くの方々が住み、賑わいを見せていた。それを裏付けるかのように立派な蔵が残っている。 pic.twitter.com/MUNosQTQdE

2020-10-17 21:13:35
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『水口神社』 畑山地区の産土神を祀る水口神社。広い境内には、多くの人がお参りに来ていたのだろう。しかし、今は神社だけでなく、周囲にも人影は少ない。このように、畑山地区は限界とも言える状況だが、土佐ジローをはじめとして、様々なアイデアで地域再生に取り組む地区でもあるのだ。 pic.twitter.com/3z7DdgP8nd

2020-10-17 21:14:41
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地区内にお婆さんがおられたので、堂平集落について伺った。聞くところによると、お婆さんは堂平に住んでおられた方の従兄弟だというのだ。『堂平には5、6軒あった』、『(元住人の方が)週末になると堂平に来ている』、『祭りは2、3年前までやっていた』堂平に通う方がおられるのか… pic.twitter.com/Eb24Tv43Ws

2020-10-17 21:15:57
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畑山地区からは、県道(畑山栃ノ木線)が林道へと変わる。相変わらず狭く険しい谷間だが、廃屋、廃吊橋など、暮らしの跡が見られる。先程のお婆さんも、この沿道にあった柿ノ久保集落(S.45年離村)出身だった。緑が生い茂る急斜面に集落が存在していたとは、今となっては想像することが難しい。 pic.twitter.com/8aQ4ituZgc

2020-10-17 21:17:14
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『下中津尾集落』 畑山地区から約5kmの下中津尾。谷間ゆえに平地は無く、家屋は斜面に張り付く。それらの家屋から物音が聞こえてくることはない。下中津尾を含む中津尾地区の人口は、営林署事業所があったS.35年に123人を数えたが、H.28年に堂平に住む最後の住人が亡くなったことで実質無人なのだ。 pic.twitter.com/LFryLcVdAC

2020-10-17 21:18:37
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『中津尾分校』 明改小学校・大栃中学校の分校跡。小さな石碑が、この地に学校があったことを証す。S.34年開校、S.44年閉校と、分校があった期間は僅か10年であった。ここができる前は通学に難儀していたという。既に校舎は無く、元教員住宅は集会所となっているが、最近になって使われた形跡は無い。 pic.twitter.com/2RnKmKlYSB

2020-10-17 21:19:56
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地理院地図では、川の向かいに神社があるが、橋は無い。どうやって渡るのか不思議に思っていたが、実際には小さな橋が架かっていた。神社へと続く急な石段を登っていくと、 比較的新しい鳥居が立ち、巨木の下には整えられた社と祠があった。集落から人は消えたが、神社は今も大切にされているようだ。 pic.twitter.com/8negKdRfkL

2020-10-17 21:21:10
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『薬師堂』 同じ中津尾地区でも、下中津尾集落から堂平にかけては300m近くの標高差がある。下中津尾から離れると、道路脇には地理院地図に記載のない薬師堂があった。薬師堂の側には巨木が聳え、最近と思われる焚き火の跡もある。そして、穴の空いた石が大量に置かれている。これは一体何なのか… pic.twitter.com/zVq6tuQatt

2020-10-17 21:22:39
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『堂平集落』 下中津尾から約2kmの堂平。標高550~750mにかけて、家屋と耕作地が点在している。とは言え、その殆どは失われている。家屋が散らばっていて集落という感じはしないが、以前は8軒あったそうだ。木々に覆われた斜面にはどこまでも石垣が続き、当時の方々の苦労が偲ばれた。 pic.twitter.com/sDj0blapFi

2020-10-17 21:24:40
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『どなたかいらっしゃるのだろうか』集落上部に来ると、人の温もりがする家屋があった。同時に、茶白のワンコが勢いよく近づいてきた。何故ワンコがいるのか。先に行こうとするが、ワンコにブロックされて進むことができない。ここまで来て戻るしかないのか。そう悩み始めた頃、家屋の方に人影が見えた pic.twitter.com/2Tcx4P2wMs

2020-10-17 21:25:57
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声をかけると、こちらに気づいてくださった。すると、ワンコも大人しくなった。ご挨拶して、堂平集落、そして社寺を見に来た旨を伝える。人影の主は、高知新聞に載っていた堂平出身のKさんであった。中津尾地区(堂平)に住んでいた最後の住人は、Kさんのお父さんだったのだ。 pic.twitter.com/Lj02mTtLN9

2020-10-17 21:27:21
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Kさんから、堂平に関する様々なことをお聞きした。『堂平に聖武天皇の勅願寺があったこと』、『先祖は平家で桓武天皇をルーツとすること』、『今も堂平に通い、シキビの栽培をされていること』どれもこれも、現地でなければ知ることのできないお話であった。(お聞きした内容は後のツイートに纏める) pic.twitter.com/oaz9rTAOer

2020-10-17 21:28:33
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『観音様と氏神様』 集落の奥まったところには、観音様と氏神様が祀られていた。それにしても広い境内だ。ここには眞牧山平等院長谷寺(槙寺)があったと伝えられている。1300年前、聖武天皇の勅願をもって行基により建立され、いつしか羽尾(香南市夜須町)に移ったのだとも言われている。 pic.twitter.com/FxpjKiN6Rv

2020-10-17 21:29:58
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確かに、天保8年の地図には、槙山村(物部)に槙寺が描かれている。加えて、堂平という地名は"お堂のある平らな土地"が由来だろう。そう考えると、ここに槙寺があったことは全く不思議ではない。ふと、気配を感じる。振り向くと、再び茶白のワンコが現れた。どうやらワンコに監視されていたようだ。 pic.twitter.com/fwZNAiaRgJ

2020-10-17 21:31:07
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再び堂平集落を歩いてみた。どの家も主がいなくなってから月日が経っている。しかし、雰囲気は明るい。南向きで日当たりがよく、何より、今もKさんが通われているのだ。平家の子孫が辿り着いたと言われる堂平。その長い歩みは止まっていない。Kさんにお礼を言って堂平を離れた。 pic.twitter.com/3j3779C5JL

2020-10-17 21:32:07
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だが、これで終わりではない。1ヶ月後、再び堂平に向かった。前回訪問時、Kさんに堂平観音様の祭事があることをお聞きしたのだ。ただ、堂平へ向かう前に、羽尾の長谷寺(ちょうこくじ)に行ってみる。先のツイートにある羽尾に移った槙寺というのは、現在の香南市夜須町羽尾にある長谷寺にあたる。 pic.twitter.com/jm6KE57VHM

2020-10-17 21:33:17
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『長谷寺』 標高500m。太平洋を見下ろせるくらいの山中に長谷寺はある。緑が生い茂る中に佇む様は、隠れ寺のようにも見えるが、室町期からと言われる仁王像をはじめとした、魅力溢れる古刹なのだ。長谷寺の由来には諸説あるが、由緒ある歴史を誇り、堂平の槙寺と関係があることは間違いないだろう。 pic.twitter.com/R1MmLEH7cP

2020-10-17 21:34:24
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再びやってきた堂平集落。前日まで悪天候が続いていたが、この日は快晴だった。長谷寺の和尚さんによると、堂平で祭事をやる時は、雨が止むのだという。Kさんのお父さんは生前、『ここはいつもそんなもんよ』と仰っていたそうだ。『霊が宿っているというか、霊域なんでしょうね』 pic.twitter.com/fWRPKS0WAd

2020-10-17 21:35:20
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堂平では年2回、観音様、薬師様の縁日に祭事が行われている。この日は、Kさん、長谷寺の和尚さん、長谷寺、堂平関係者の方々が参加された。祭事の準備を整え、氏神様、観音様にお祈りする。蝉しぐれの中、全員で読供、焼香し、宴席を囲んだ。この時ばかりは、堂平に往時の賑やかさが戻っていた。 pic.twitter.com/xTGuAZlxYd

2020-10-17 21:36:31
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祭事が終わり、観音様、氏神様の扉が閉められる。次の祭事まで、堂平には静かな時間が流れることになる。 pic.twitter.com/kHUXeFJmOp

2020-10-17 21:37:16
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