長いおまけのそのまたおまけの話(#えるどれ)
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この物語はエルフの女騎士が奴隷に戻り、主人のもとに辿り着きめでたしめでたしとなった、その後の話。 略して #えるどれ 過去のエピソードは見やすいWikiからどうぞ wikiwiki.jp/elf-dr/
2020-10-24 19:40:29
冥府にあって魑魅魍魎が巣食う影の国では、妖精の奴隷が、八人の黒の乗り手から代わる代わる、時には一度に寵愛を受け、煩悶と悦楽のうちに取り戻したはずの騎士たる矜持の最後の一片まで手放し、美酒の涙と共に永遠の屈従と奉仕を誓う頃。 人間の暮らす狭の大地では大戦が終わった。
2020-10-24 19:47:02
ひとつの帝国の瓦解が始まり、新たな国々が産声を上げつつあった。かつて影の国を取り巻く環状山脈があた黒き海のほとりには、さすらいの民の王が建って天下に名乗りを上げたが、列強が認めるかどうかはまだ定かではなかった。 主戦場となった世界の西北だけでなく、遠く離れた暑き香料の地でも、
2020-10-24 19:50:15
独立を求める志士の声はいや増していたが、未だ西方の支配の軛(くびき)から逃れるには時を要するようであった。 多くの武勲と、さらに多くの無意味な死とが、どちらも美しい言葉で飾られ、あるいは悲劇を装って紙面に踊った。
2020-10-24 19:52:29
勝利した側の一員となった戦斧の共和国の中心、花の都では、人々は己の吐いた勇ましい文句に酔い、またたいそうな悲しみにも浸って、世界を覆った狂騒から抜け出しつつある今、出来事に何がしかの意味を与えようと忙しかった。 酒杯が重ねられ、調子はずれの凱歌が辻々に響き渡った。
2020-10-24 19:55:31
戦争は荘厳な儀式であるか、悲惨ではあっても偉大なできごとであるというのが、衆目の一致するところだった。 そうして勝利した側の兵士は、一応はすべて英雄であった。戦場帰りの若者は、花の都では肩を叩かれ、祝福を受けた。
2020-10-24 19:58:07
当の本人達がどう受け止めたかはまた別だ。賑やかな祭りに一緒になって加わるもの、一刻も早くすべてを忘れたいと願うもの、「名声」を生かして何らかの利得を得ようとするもの、恋愛であるとか、商売であるとか、さまざまだった。 まったく不機嫌そうにすべてを拒絶するものもあった。
2020-10-24 20:00:45
場末の酒場では、一人の青年が、酒瓶の間に埋もれるようにしながら、酔眼をめったに瞬かせもせず、葡萄酒でも火酒でも次から次へと呷っては、時折獣のように唸りを立てる。 暗い膚に獰猛な猫科の肉食獣を連想させる相貌。部屋の隅で椅子に沈み込んでいても周囲を圧するような巨躯は、
2020-10-24 20:04:07
酔客のあしらいになれた給仕にしても、めったに声をかけづらかった。おまけに金なら幾らでも持っているらしく、恐ろしいというだけで文句もつけにくい。 青年は店に入った時から酒臭かったが、最初に面倒くさそうに紙幣の束をぽんと投げてよこし、あるだけ瓶を持ってこいと命じ、後はただ飲むだけ。
2020-10-24 20:06:43
膚は白くないにせよ、尊大な態度と武張ったいでたちからして、明らかに戦場帰りの兵士とあって、時勢柄追い返すのもやりづらい。いや暴れられたら店が危ういかもしれない。 となれば好きなように飲ませておくのが一番だ。ほかの客が寄り付かなくなるのもしばらくは甘受するよりない。
2020-10-24 20:08:51
「くそが…」 絶滅請負人の異名をとる傭兵、牙の部族のガウドビギダブグは何度目かになる罵りを吐き出すと、また瓶を喇叭飲みした。中身が赤葡萄酒なのか白葡萄酒なのか、火酒なのかももう解っていない。どうでもいい。
2020-10-24 20:10:48
都中が浮かれようとも、ガウドは沈み込む一方だった。 負けたからではない。勝った。戦勝側についてさんざんに暴れ回り、正規兵ならば勲章は広い胸にも吊るしきれないほど貰えるだけの働きはした。殺した敵の顔が目に浮かぶ訳でもない。浮かんだところで屁とも思わない。そういう気質ではない。
2020-10-24 20:13:03
「面白くねえ…」 面白くないのだ。 戦争が。 少年時代から馴染の遊び場として過ごしてきた殺しの巷が。 とりわけ今度のは過去最大の派手な催しだったというのに。まるで塩だけの冷めた羹(スープ)のように味気なかった。
2020-10-24 20:14:55
「面白くねえ!!!」 かといってガウドには何が物足りないのかうまく言い表せなかった。 ただ塹壕を吹き飛ばしても、軍用列車を横転させても、巡洋艦を内部から撃沈しても、ぜんぜんすかっとしない。理由ははっきりしない。
2020-10-24 20:19:25
兎に角気持ちがくさくさする。 だからさほど好きでもない酒を飲んでみるが、一向に改善しなかった。傭兵仲間とも馴れ合う気にもなれない。 たいていは馬鹿ばかりだし、たまに頭のあるやつはうっとうしいごたくを並べるからだ。
2020-10-24 20:21:32
「旦那。そりゃ恋患いじゃねえか?」 戦争も終わりの頃、煙草を吸いながら、さすらいの民出身の男が言ったものだった。 同じく汚れ仕事を担う雇われものだが、割り振られた軍人としての階級は向こうの方が上だったはずだ。とはいえ互いにあまりこだわる性格でもない。
2020-10-24 20:24:38
「気持ち悪ぃんだよてめぇ」 「仲間に何人もそんな目をしたやつを見たがね。たいていさっさと死んだな。恋患いの中でも、女にふられて望みがなくて、無茶をやる男の面だ」 「…うるっせえな!それ以上言ったらぶっ殺す!!」 「おっとっと」
2020-10-24 20:26:59
実際ガウドはつまらないことを喋る相手を、例え味方だろうと構わず殴り殺すことはあるが、あの時はそうしなかった。 これまた本人には理由が解らなかったが、ひょっとしたら、向こうの顔も、自分とあまり変わらなかったせいかもしれない。
2020-10-24 20:29:38
「…俺もさ、この戦争が終わったら結婚する…つもりだったんだがな」 「知るか」 「…お妃がいなくちゃ王様もしまらねえってのに」 「死体とでもやってろ」 「生きてるさ…俺の女は…どっかいっちまっただけで」 「…気持ち悪ぃんだよ」 「そう言わず聞いてくれよ旦那。いいだろ?」
2020-10-24 20:32:54
うんざりしたので、国を建てるから一緒に来て将軍でもやらないかというたわごとはいなして、その男とはさっさと別れた。 もともと群れるのが嫌いだというのに、無駄に長く行動をともにしすぎた。
2020-10-24 20:35:08
「ちっ…何が…」 青年は酒瓶を握り潰して粉々にすると、めんどうくさそうに放り捨てる。手は特に傷付いていない。 「お客さん…」 主人が意を決して近づいてくる。こちらも元兵士らしく、骨っぽい顔をしているが、さすがに怯えの色をにじませている。 「あ?」 「すまねえが。看板だ」
2020-10-24 20:37:52
「いいから酒持ってこい」 「…この店の酒は全部お客さんが飲んじまった」 「知らねえよ。いいからもってこい」 「次の仕入れまで三日はある」 「…るっせえな!!」 拳で卓を上板をひしゃげさせると、むっつり押し黙ってから立ち上がる。 「…済まねえな。共和国万歳」 主人が背に声をかける。
2020-10-24 20:40:42
ガウドは壁を殴って穴を開けると、ふらふらと外へ出た。 辺りは夕暮れのようだった。あてどもなく歩いてから、ぱんぱんになった膀胱を空にすべく立ち止まり、適当な塀に向かって用を足し始める。激流のような勢いだ。
2020-10-24 20:42:08