「しかなさ」と「ざるを得なさ」についての議論のまとめ

@halchingさんと@MuhoNoelkeさんと@yumihiki2010との「しかなさ」と「ざるを得なさ」についての議論が盛り上がったのでまとめました。
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halching @halching1

“空”には、いちど知覚したが(実は)違ったという本人による誤認の 追認というプロセスが必要。空耳は聴こえたはずの音が実はなかったという有/無の対立、空目は似ているものを見間違えたという真(?)/偽の対立。味覚の場合はどちらかな。どちらもあるかな。 twitter.com/hitoshinagai1/…

2020-10-26 12:48:14
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中 @hitoshinagai1

空耳は昔からあり、空目はこの頃よくいわれるようになったが、空舌もあるかな。

2020-10-25 21:15:03
雪観英治 @Yumihiki2010

@halching1 youtu.be/lWA0SBoGnd0 たぶん空耳も真ー偽問題なのでは? そしてソラミミストは偽の方にリアリティを感じようとする嗜好。

2020-10-26 15:21:11
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halching @halching1

@Yumihiki2010 なるほど、無ー有も、本当は何もない(真)ーあるように聞こえた(偽)の対立ということですね。そっちのほうがシンプルですね。「空耳アワー」の比喩はわかりやすくパンチが効いてていいです笑 この(偽はともかく)「真」という言葉の的外れ感が自分では気になって仕方がなくて、よい言葉ないかなあ

2020-10-27 06:50:55
雪観英治 @Yumihiki2010

@halching1 感覚(認識や認識対象も)の不確実性を仏教では空と表現したんですよね。 空耳の語源も仏教的な空を含意していたのかもしれませんね。

2020-10-27 06:53:54
halching @halching1

@Yumihiki2010 「感覚の不確実性を仏教では空と表現する」は「色即是空」であってます?その解釈は一般的ですか、それともYumihikiさんのものですか? 僕はとてもわかり易くシンプルでよいなと思いました

2020-10-27 08:14:18
雪観英治 @Yumihiki2010

@halching1 そうですそうです。色即是空の一般的な解釈のつもりでしたー。

2020-10-27 09:12:14
halching @halching1

@Yumihiki2010 ところで、空(くう)も「奇跡」なんかとおなじ、一般的に想起される意味のつよさと、そこからくる誤読を感じますね。うまく言えるかわかりませんが、川上未映子さんが言われていることと同じことを感じました。 twitter.com/mieko_kawakami…

2020-10-27 11:13:01
川上未映子 Mieko Kawakami @mieko_kawakami

けど「奇跡」という意味が発揮するパワーってわりと凄くて、ここに肯定とか否定の欲望がからんでくると青山さんの「奇跡」の部分が妙に輝いて青山さん自身が行為者としても生まれされられた側としても生を肯定したい立場の人にみえるところが面白かった。

2020-10-25 11:04:21
halching @halching1

@Yumihiki2010 「肯定の欲望が絡むと“奇跡”が妙に輝いて見える」とか卓見ではないでしょうか

2020-10-27 11:14:48
halching @halching1

奇跡の構造そのものを精確に把握することと、そこになんらかの物語(意味/価値、肯定/否定)を見出すことをきっちり分けておきたいなあ思う。一方で、分けてしまったときに構造そのものから果たして意味や価値は自然に生まれくるものなのだろうか?をずっと迷い続けている。 twitter.com/mieko_kawakami…

2020-10-27 11:25:41
halching @halching1

永井先生と山下良道師の決定的な違いはここなんだろうなとずっと思っている。藤田一照師、ネルケ無方師はそこを意志で語られているように思っているが、お二人にも当然差異はあって(続)

2020-10-27 11:28:25
halching @halching1

(承前)一照師は自ずと湧き出てこざるをえないとされる立場、無方師はもう少し自覚的に、覚悟をされるという立場にお見受けしている。うまくいえているか相変わらず自信がないけど、4象限のアップデートはこんな感じでまとめることになるかしら?(続)

2020-10-27 11:33:32
halching @halching1

(承前)一照さんの「ざるを得なさ」を構成的なものと捉えられそうに思ってもいて、だからこそ永井先生に一照さんは惹かれるのではないかなと…だんだんぼんやりとした感想めいたものになっちゃいました

2020-10-27 11:35:08
雪観英治 @Yumihiki2010

@halching1 スピリチュアル系の方なんかは特に、空の思想を意図的に解釈しますからね。 奇跡というのも、私は開闢の奇跡意外は信用しません(笑) それ以外の奇跡は科学で代用可能な奇跡だと思います。

2020-10-27 11:43:33
雪観英治 @Yumihiki2010

@halching1 開闢の事実だけでなく、受肉の事実が強烈にありますから、そこから「ざるを得なさ」は、出てこざるを得ないですよね。 受肉に対しての自覚や覚悟というのは東洋思想や身体論の大きなテーマになってきたものであると思います。また、そこから、開闢のヨコ問題的視座をこぼれ落としてはならないですね。

2020-10-27 15:31:42
雪観英治 @Yumihiki2010

@halching1 特に東洋思想や身体論は安易で単純なワンネス思想に走りがちなので注意したいです。 でもそこに、開闢のヨコ問題的視座を組み合わせるのはまったくの新しい試みだと思いますし、それこそが仏教が取りこぼし、言い損ね続けている所なのだと私は思うのです。

2020-10-27 15:56:18
halching @halching1

@Yumihiki2010 とすると、一照さん(無方さんも?)のなさろうとしていることは、身体を通して受肉の事実とそこから立ち上がる「ざるを得なさ」を自覚するだけでは飽き足らず、そこに“しかなさ”としての開闢のヨコ的視座をも組み込もうとしている、と言えばよいですかね?

2020-10-27 16:50:13

ここから、弓道の話の中から無方師との進みと安らいの議論が始まります。

雪観英治 @Yumihiki2010

私が坐禅と出会ったのは、弓の師が坐禅をする人だったからです。 弓を極めたいならお前も坐禅をしろと言われました。 弓をやっていなければ間違いなく仏門には入ってなかったでしょう。 なお、私が学んだ本多流は、尾州竹林派の流れを汲み、その開祖「竹林坊如成」は戦国時代の真言宗の僧でした。 pic.twitter.com/gmDmM4FJ1O

2020-10-25 16:35:33
雪観英治 @Yumihiki2010

弓道は坐禅に対して立禅とも呼ばれます。 それは「的を狙う」ということに執着する自己から離れる行だからです。ですから、弦から指を離すことを「離れ」と言います。自分が「離す」のではなく、自ずから「離れる」のを待つのです。 「はなてば手にみてり」 「生死をはなれ仏と成る」 ということですね

2020-10-25 16:42:17
雪観英治 @Yumihiki2010

何かを為そうとしている時には、けして仏にはなれない。 的を狙ったり、手先に意識を向けたりしてる間は全体性は機能せず途端に停滞する。集中力とはそもそも1点への集中のことではないのだ。全体性の受け取りなのだ。 人間を辞めていくと、仏が姿を現す。 Doingの時はけしてBeingにはなれない。

2020-10-28 07:52:59
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 「何かをなそうとせず、全体性を受け取る」 このお言葉も、人を戦場に送り出すのに悪用されそうですね。 「敵を打っても、お前が打つのではない。仏がお前の指を動かしたに過ぎない・・・」 そう考えると、本当の意味で受肉するのに、やはり自由意志が? (続)

2020-10-28 09:26:57
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 「Doingの時はけしてBeingにはなれない」 たびたび議論されている一照さんと私の考え方の違いはここだと思います。私はむしろ「Doingの中に、初めてBeingは現れている」と言いたい。 Don't do, just beこそワンネスなのでは?

2020-10-28 09:29:46
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke そこに敏感に反応する感性はとっても重要ですね。ありがとうございます。 全体性に安易に逝ってしまう危険性を常に自覚しないといけませんね。これは仏の側からの「ざるを得なさ」です。 それと対に機能させなければいけないのは、自覚で、自覚と言えば、やはりヨコ問題的な「しかなさ」の自覚です。

2020-10-28 09:30:39
雪観英治 @Yumihiki2010

@MuhoNoelke 「Doingの中に、初めてBeingは現れている」を西田哲学で言うと行為的直観でしょうか。 道元的に言えば修証一等でしょうか。 それも深く理解します。 ただ、〈私〉というのは立ち止って、ヨコ問題的視座で隣人を眺め思惟することによってしか出て来ないと思うのです。これが進みと安らいだと思うのです

2020-10-28 09:37:30
ネルケ無方 @MuhoNoelke

@Yumihiki2010 「進み」と「安らい」を同一視するは無理ですよね。 立ち止って、ヨコ問題的視座で隣人を眺め思惟するのが安らいなら(比類なき〈私〉への気づき、落ち着き)、それと同時に他者を築いて、その他多数の「私」の一人としてゲームに参加すのが「進み」なのでは? 同時成道とは言え、進みと安らいの… 続

2020-10-28 10:01:16