備忘録:ベンジャミン・リベット/下條信輔・訳『マインド・タイム』感想

ベンジャミン・リベット/下條信輔・訳『マインド・タイム 脳と意識の時間』初読後の自分の感想をまとめました。
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相楽 @sagara1

[1/24]ベンジャミン・リベット/下條信輔・訳『マインド・タイム 脳と意識の時間』読み終えた。ところどころ挟まっては結構な自己主張する訳注と合わせて一つの作品とも思えた一冊。内容紹介は横着して、amazonレビューの1,2位あたり参照でhttp://t.co/olyoYGk

2011-07-15 01:05:34
相楽 @sagara1

[2/24]著者が徹底して「○○は××である」で済まさず「そして▲▲ではないのだ」を念入りに語ることに努めているため、人によっては無駄に似たような内容が反復されているように感じてしまいそう(実際にそういう評も見掛ける)。大いに意味がある反復だと思うけどなぁ。

2011-07-15 01:05:43
相楽 @sagara1

[3/24]最終章「結局、何が示されたか?」がとても親切。仮想の対談相手としてデカルトを召喚、「現在の発見と意見のある部分が、四〇〇年以上も前のデカルトによる基本となる考え方と比較して、どのように発達したかが明らかになることでしょう」(p219)と比較説明していく下りが楽しい。

2011-07-15 01:05:52
相楽 @sagara1

[4/24]ここはおそらくリベットによる多方面への物凄い批判でもあるのだろう。仮想対談中で引用される科学哲学者カール・ポッパーの「反証可能な実験検証を必ず考案できなければならない(そうでない仮説は意味がない)」という主張に忠実に従う場合(続く)

2011-07-15 01:06:01
相楽 @sagara1

[5/24](続き)デカルト以来、リベットが手掛けたような一連の知見に連なるもの以外は「まるで意味がない」と言っているようなものだから。例の反復はこの大批判を下支えするための仕込みともいえそうだな、と。

2011-07-15 01:06:11
相楽 @sagara1

[5/24](続き)デカルト以来、リベットが手掛けたような一連の知見に連なるもの以外は「まるで意味がない」と言っているようなものだから。例の反復はこの大批判を下支えするための仕込みともいえそうだな、と。

2011-07-15 01:06:11
相楽 @sagara1

[6/24]ともあれ。リベットが最後に提示する「統一された意識をともなう精神場(Conscious Mental Field)」はえらく苦しい仮説。それこそ「反証可能な実験検証の考案を待つ」段階のものだし。「そういう考え方もあるよね」程度に受け止めておきたいところ。

2011-07-15 01:06:20
相楽 @sagara1

[7/24]より気になるのは、自身の実験に基づく<アウェアネス(意識/気付き)は感覚より0.5秒近く遅れて訪れ、無意識はそのずっと以前、100ミリ秒前後で行動決定を為している。その決定はプロスポーツ選手の反応や数学者の難問からの解の導きなどが含まれることからも分かるように(続く)

2011-07-15 01:06:31
相楽 @sagara1

[8/24](続き)高度かつ複雑なものも含む>という前提を元に。(従来、意識を前提としていたようにも思える)自由意志の意義を<無意識の行動決定と運動活動の間に意識が歯止めを掛け、決定を拒絶することが出来ること>に見出す流れ。引用すると。

2011-07-15 01:06:42
相楽 @sagara1

[9/24]「デカルト「それでは、自由意志が(行為の)自発性に、何らかの役割を果たす可能性は少しでもあるのですか?」リベット「あります。意識を伴う意図は、運動活動の約150ミリ秒前後に確かに現れます。

2011-07-15 01:06:50
相楽 @sagara1

[10/24]この(四〇〇ミリ秒前から一五〇ミリ秒前までの)間、意識機能がプロセスに干渉する十分な時間が生じます。これが自発性のプロセスを引き起こす引きがねとなるのかもしれません。しかし、このことについての直接的な証拠はありません。

2011-07-15 01:06:57
相楽 @sagara1

[11/24]しかし、何も行為が生じないよう、意識的な意志がプロセスを止めたり、拒否したりすることができることになるという証拠はあります。このような場合、自由意志がその結果をコントロールすることができるのです。

2011-07-15 01:07:04
相楽 @sagara1

[12/24]このことは、倫理体系が私たちに促していること、つまり実際に私たちは自分自身をコントロールするという行為ができる、という感覚と合致します」」(p233)

2011-07-15 01:07:10
相楽 @sagara1

[13/24]これに関連して面白いと思うのは。まず<無意識の行動決定>にスポーツ選手なら反復される<正しい身体の動き方>のトレーニング、数学者なら解を求めるための数学的な論理を徹底して自身の思考に染みとおらせる繰り返しなどが背景になっているだろうということ。

2011-07-15 01:07:17
相楽 @sagara1

[14/24]となると、ある時点での無意識の行動決定の在り方には意図的なトレーニングなり教育なりで方向付けが大いに可能なのだろう。

2011-07-15 01:07:25
相楽 @sagara1

[15/24]ある時点での決定において自由意志が果たせる役割がせいぜい「拒絶の自由」であっても、無意識の行動決定は遺伝子ベースの本能など動かし得ないもの「だけ」に縛られるわけではなく、傾向として干渉可能なのでは。

2011-07-15 01:07:36
相楽 @sagara1

[16/24]例えば、優れたスポーツ選手や数学者になるための方向付け同様、本や漫画、アニメ等の優れた受け手になるための無意識レベルに及ぶ方向付けというのも意図的になし得る筈で。

2011-07-15 01:07:46
相楽 @sagara1

[17/24]<ある一つの作品にどれだけ集中して接し「その時に」考えてみたか>より<接触までの間にどれだけ無意識レベルで適切な方向付けを成し得て来たか>の重要性、という考え方が出来るようにも。自分のここら辺http://t.co/xCi9Snw の感覚とも繋がる話かな、と。

2011-07-15 01:07:54
相楽 @sagara1

[18/24]そこら辺から例えば<とりわけ好きで、優れていると思う映像作品を何度も何度も繰り返し(食い入るようにというより自分の中に染み込むように)観ておくようにする>といった習慣の意義や意味を考えてみたりするとなにやら面白いなぁ、と思えたりもする。

2011-07-15 01:08:19
相楽 @sagara1

[19/24]<ある時点での行動決定を独立して切り取って重視する>考え方は中長期に渡る意志もそうした行動決定の延々とした積み重ねから為る以上、当然といえば当然なのだけど。

2011-07-15 01:08:36
相楽 @sagara1

[20/24]そこでの「拒絶の自由」の背景に(他の箇所では十戒だなんだと引きながら)「倫理」を持って来たりしてしまう(しまわざるを得ない)なら、その拘りもその時点で崩れてしまっているよなぁ、と。「倫理」はそれこそ無意識レベルに及ぶ長期に渡る方向付けだろうから。

2011-07-15 01:08:45
相楽 @sagara1

[21/24]また<ある時点での行動決定を独立して切り取って重視する>考え方は、とりわけ「罪と罰」「特定の行為に対する責任」という問題を考えるとき決定的に重要にならざるを得ないもので。

2011-07-15 01:08:57
相楽 @sagara1

[22/24]ここで「ある時点の決定より中長期の傾向が遥かに大事だよね」という発想を敷衍させてしまうと「罪を憎んで人を憎まず」あたりと正面衝突する構図が見えてしまいそうだし。

2011-07-15 01:09:11
相楽 @sagara1

[23/24]また<キリスト教圏というか<倫理にも深く踏み入る(というかまず倫理にこそ踏み入る)唯一絶対神の一神教背景の文化圏>では、そこら辺へのこだわりは思想的にも強くならざるを得ないところなのだろうなぁ>と思わされたりもする。

2011-07-15 01:09:22