茂木健一郎さん連続ツイート 『「仮想」』

茂木健一郎(@kenichiromogi)さん連続ツイート
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茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(1)ある年の歳末、私は羽田空港でカレーを食べていた。近くで、5歳くらいの女の子が、3歳くらいの妹に、「ねえ、サンタさんていると思う? 私はこう思うんだ・・・」と話しかけていた。私は、思わずスプーンを止めた。拙著『脳と仮想』の構想が生まれた瞬間である。

2011-07-13 16:02:28
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(2)たとえば、初対面の人に会う時、「こんな人かな」と思い描いていく。その人が手を上げて立ち上がった瞬間、自分の中にあったいきいきとした仮想は、消えてしまう。鮮明で、いきいきとした何かが、現実に肩すかしを食らって、どこかにいってしまうのである。

2011-07-13 16:04:00
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(3)思春期の始まりに、恋愛ってこういうものなのかな、といろいろと思い描く。異性についても、さまざまなことを考える。そのような「仮想」の中には、人間にとっての切実な思いがある。そして、そんな「仮想」を捨てて現実に着地することを、「大人になる」というのである。

2011-07-13 16:05:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(4)仮想は、常に現実によって肩すかしをくらう運命にある。しかし、だからと言って意味がないわけではない。むしろ、現実に着地しようがない仮想の中にこそ、私たち人間にとっての切実な意味がある。仮想は、自分自身のあり方を映し出す鏡なのだ。

2011-07-13 16:06:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(5)「もの思へば 沢の螢もわが身より あくがれ出づるたまかとぞ見る」和泉式部の歌にあるように、「螢」に日本人はさまざまな仮想を託してきた。現実には奇妙な姿をした節足動物。しかし、現実の螢と、仮想の中の蛍のリアリティは、全く違うものである。

2011-07-13 16:08:07
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(6)ゲーテは「詩的真実」ということを言った。現実の世界が、因果的に運行していること、実際的な配慮が必要なこと。それは避けられないとしても、「詩的真実」が胸の中にいきいきとした源泉としてなければ、その人はやがてきっと烈しい運動体としての勢いを失う。

2011-07-13 16:09:15
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(7)仮想にとりつかれて生きることは、一つの芸である。周囲の人にやり切れない思いをさせる「天文青年」(空の星がさあ・・)になってはいけない。現実に着地しつつ、自分にツッコミを入れるユーモアを持ちつつ、いきいきと仮想の泉を保つことができる人は最強である。

2011-07-13 16:10:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(8)サンタクロースは、ハリウッド映画のCGの中にいるのではない。目の前に、ホーホーホーホと笑う赤い服のでっぷりとした人を連れてくればいいのでもない。ましてやNASAの「サンタはここにいる」サイトでもない。サンタのリアリティは、仮想の中にしかない。

2011-07-13 16:12:08
茂木健一郎 @kenichiromogi

仮想(9)「ねえ、サンタさんていると思う? 私は、こう思うんだ」。そんな風に目を輝かせて言う5歳の女の子の胸の中にある仮想こそが、人間にとって最もラジカルで創造的なエネルギーの源泉である。私たちは、自分の仮想をちゃちな現実にやすやすと置き換えてはいけないのだ。

2011-07-13 16:13:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、「仮想」についての連続ツイートでした。

2011-07-13 16:13:43