- kintoki_naruto
- 223290
- 103
- 15
- 50
そんなマツオさんの元に「あのぉ、航空券のお礼がしたいので会えますか?」という電話がかかってくる。現れたのは50歳くらいの清楚な女性。「いやぁ、ホンマに偶然でしたわ」とマツオさんが答えると「あ、関西の方なんですね! どうして上京を?」「いやぁ俳優になりたくて」「あら! 実は私…芸能プロダクションをやっておりまして」と名刺を渡された。航空券を落としたのは1953年創業の老舗のモデル事務所FMGの社長だった。所属タレントに当時駆け出しの井川遥さんがいた(ちなみにお礼はビール券3000円分ですぐに金券ショップへ持って行った)。
プロダクションの社長は「こんな面白い顔2度とお目にかかれない!」とモデル事務所にもかかわらずマツオさんを採用。しかしそんな簡単に役者としての仕事があるはずもなく、悶々としたまま2年が経過。ちょうどその頃、井川遥さんの人気が爆発。井川さんの車移動のためのドライバー兼ボディーガードとして白羽の矢が立ったのがマツオさんだった。ケビン・コスナーの『ボディガード』を擦り切れるまで視聴し、元傭兵が日常で様々な戦闘術を実践する浦沢直樹さんの漫画『パイナップルARMY』で知識を得た。
ルイ
@tundratiger
同じ事務所の井川遥のボディガードを命じられ、そのやり方を映画『ボディガード』と漫画『パイナップルARMY』で学ぶ松尾諭 #激レアさん
2020-11-03 00:02:34献身的にサポートするマツオさんは、癒し系の頂点である井川さんから「まっちゃんは“癒し系だね”」と言われた。つまり間接的にマツオさんが日本全体を癒していたわけである。