- yasu_osugi
- 7078
- 0
- 0
- 0
末期の日本海軍が基地航空隊主力になっていったのってやっぱりそれまでの山本長官が進めた基地航空隊戦力の整備もさることながら、海戦で艦隊を失ったから今揃えられる戦力として航空機を選んだのかね
2011-07-09 20:06:40そう考えたらあれだな、日本海軍が本来陸軍の分野である本土防空を局地戦でやるようになるってのも頷けるか? 何しろ空母がないので艦上戦闘機を作っても意味がないし、空襲はどんどん激化してせっかく揃えた基地航空隊が地上で潰されるからと
2011-07-09 20:10:01@t2kai2 そうですね。実際に戦時計画を見るに艦艇の建造は軒並み中止か縮小され、航空隊の拡充に全力を注いでるのが分かります。 まあ日本海軍の場合、井上成美が唱えた新軍備計画も画餅だったのですが。
2011-07-09 20:10:34井上さんは新軍備計画論で海軍の空軍化を主張したが、日本の国力で太平洋の島々全部を基地整備するなんて到底無理だったし、仮にできたとしたらそれって要するに太平洋のマジノ線だよね、という片岡徹也氏の指摘はさすがだと考える。
2011-07-09 20:20:28今資料を見てみますと、海軍はすでに昭和16年度の立案された○5と○6計画において、基地航空兵力整備の前倒し拡充と艦艇整備の旧来の対米7割維持方針撤回が打ち出されてますね。 @t2kai2
2011-07-09 20:24:37ワシントン・ロンドン軍縮条約から脱退して無条約時代に入った日本を待ち受けていたのは、旧来の対米7割兵力維持など夢のまた夢の、米国の圧倒的な建艦計画。スターク案可決時点で、昭和21年度には対米4割7分になる試算なんだから悪夢だわな。
2011-07-09 20:28:44興味深い話なのよね、だって艦隊決戦をやるつもりだった組織、一般には大艦巨砲主義だったと思われてる日本海軍が基地航空隊に主力を移そうとしてたってのが
2011-07-09 20:28:59@t2kai2 シフトチェンジした理由は別に書いた通り、対米7割維持など不可能になったからというものです。漸減作戦が完全に瓦解した以上、新たな戦い方でやっていく他なく、それが海軍の空軍化だったわけですね。
2011-07-09 20:32:03かくして海軍の空軍化に舵を切り始めた日本だったが、悲しいかな太平洋戦争開始時に手元にあるのは漸減作戦に則った○3計画以前の兵力。つまり日本海軍は、成立しない漸減作戦にしか望みを賭け得ない戦をやる羽目になってしまった。ここに一つの悲劇がある。
2011-07-09 20:36:04@obiekt_JP 日中戦争で痛い目見たんだから護衛ぐらい、と思ったら史実でも昭和17年2月にラバウルに急襲した空母レキシントンを主体とする部隊に対し、裸の陸攻隊出して大損害出してましたね・・・
2011-07-09 20:47:07@t2kai2 そこは様々な見解があります。日米必戦論から日米戦争回避可能論、果ては日米戦運命論まで。個人的には、回避可能なターニングポイントはあったと思っていますが。
2011-07-09 20:52:44@norikainigata 運命ってのはなんか違う気がするなぁw まぁ、私は開戦の決断を取った当時の日本を責める気にはなれませんね。よくやった、とも絶対言わないが。
2011-07-09 20:55:39@t2kai2 あるんですよw 「太平洋の両国が大洋の覇権を賭けて激突するのは運命であった」式の主張が。 まあ、1941年の段階じゃほとんど詰みに近いですわな・・・南部仏印進駐でゲームオーバー。
2011-07-09 20:57:53日米戦に至るまでの道筋を見るに、色んな岐路があった。ざっと挙げると、日露戦争の帰趨そのもの、小村=ハリマン協定の締結、満州事変、浜口首相暗殺未遂、永田鉄山暗殺、五・一五、二・二六、日中戦争、三国防共協定、ノモンハン事変、三国軍事同盟、日ソ中立条約、仏印進駐、これぐらいか。
2011-07-09 21:05:32