父親の父親、つまり祖父が亡くなった。父親の家族は祖父の遺言に従い、超お高い料亭で通夜の晩餐。母親と自分、妹は喪服のまま、2万円を渡されて「これで美味しいものでも食べてきて」と言われ、逗子に放流されたのであった。
2020-11-14 23:57:43母親は違う土地からやってきたので、逗子の店など判らず、子供二人を率いてさぞかし大変だったろう。そして回転しない寿司屋を見つけて「まぁ2万円もあるし、妹は胃下垂で食べないし、大丈夫だろう」という事で、逗子にある寿司屋に入った。
2020-11-14 23:59:30不思議な雰囲気の店だった。古い店構えだけど、巨大なガラスのネタケースがあって、そこには巨大な真っ白な魚のブロックと、真っ黄色の魚のブロック、そして白身や海老等のネタが置いてあった。
2020-11-15 00:01:39中学生の自分は「何だろうこの得体の知れない魚」って思っていたが、今なら判る。白いのは巨大マグロの腹カミ一番、黄色はキハダマグロの腹カミだと思う。 それをどん、とネタケースに置くのはかなり粋な店だと思う。
2020-11-15 00:03:35そして、その店の寿司は美味しかった。 数の子を頼んだら、いつもより異様にポリポリしていて、数の子の内巻きに外に厚切り鰹節をまぶした巻物が出てきた。 そう、伝統に囚われない自由な発想、かつ、ネタへのこだわり。すごい店だったのだ。
2020-11-15 00:05:41胃下垂の妹も、ここのお寿司は美味しい、とバクバク食べていた。 自分は遠慮なく食べた。食べ盛りの中学生だ。 そして会計。9800円だった。 「随分安く済んだわ」と母親はほっとしたように言った。
2020-11-15 00:07:02今だから判るのだけど、本来はもっと高かったんだと思う。 しかし、自分達は「喪服を着た母親と中学生の兄妹」であり「ねぇパパどこ行ったの?」「あとで教えるから今は美味しいお寿司を食べなさい」なんて会話をしていたのだ。 恐らく、父親を亡くしたばかりの母子に見えて、安くしてくれたんだと思う
2020-11-15 00:09:38で、大人になって振り返り、今まで食べた寿司屋の中で一番美味しかったお店はどこだ?と考えてみると。その寿司屋なのだ。 しかし当時家族自体が逗子に行く事が稀で土地に疎く、店の名前も判らない。年代も年代だ。 もう、あの寿司屋は何という店だったのかさえ分からない。
2020-11-15 00:12:32逗子は海が近いので、寿司屋はたくさんある。当時もかなり古い店構えだったので、あったとしてもとっくに建て直しているだろうし、店主も代わっているだろう。 そう、後で振り返ってみても、その味はもう二度と味わえないのだ。
2020-11-15 00:13:38