- cornelius0321
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早稲田大学講師の中野京子さんは、ユニークな視点で西洋絵画を読み解く『怖い絵』シリーズで好評を博し、さまざまな絵画を素人にもわかりやすく解説している人だ。その『怖い絵3』の中に、レッドグレイヴという画家の描いた「かわいそうな先生」という作品がある。
2011-05-25 03:53:53この絵の中で、黒い服に身を包んだ「先生」が悲しげな表情で佇んでいる。足元には「赤い毛糸の玉」のようなものも描かれている。
2011-05-25 03:53:40この先生を英語で何と言うかというと、ティーチャー(teacher)ではなくガヴァネス(governess)という。「住み込みの女家庭教師」という意味である。
2011-05-25 03:53:30しかし、このガヴァネスはそうではない。もともとは貴族や名家の娘だったのに何かの事情で落ちぶれて「働かざるを得なくなった」女性のことなのである。
2011-05-25 03:53:04「先生」でありながらその家の主人に金で雇われ、その家の子女をやがて自分よりも格上の「淑女」に育て上げねばならない役割を負っているのが、西洋画に見られる「女家庭教師」の生き方なのである。
2011-05-25 03:52:54映画では神尾秀子(岸恵子)は、「先生」と呼ばれながらも、生徒を「琴絵様」と呼び、大道寺家の当主に対しては「わたくしの不行き届きでした」と座して深々と詫びている。「女家庭教師」の地位の低さをよく表している。
2011-05-25 03:52:36映画では神尾秀子(岸恵子)は、「先生」と呼ばれながらも、生徒を「琴絵様」と呼び、大道寺家の当主に対しては「わたくしの不行き届きでした」と座して深々と詫びている。「女家庭教師」の地位の低さをよく表している。
2011-05-25 03:52:36市川崑が谷崎潤一郎の『細雪』を映画化した際、船場の旧家蒔岡の四女妙子(古手川祐子)が人形制作の仕事をしたいと言った時に、長女鶴子(岸恵子)が、「何で蒔岡の娘がそんな職業婦人めいたことせんならんの?」と妙子を批判する場面がある。
2011-05-25 03:52:11由緒ある家の娘が働くのは卑しいことである、そう言いたいのだろう。お嬢様育ちの女性が「手に職」を付けた瞬間、それは落ちぶれた女のすることであるという烙印を押されてしまうのだ。
2011-05-25 03:51:58「落ちぶれた女」を本気で相手にする男はいない。だから琴絵(萩尾みどり)と蔦代(司葉子)がいる銀造(仲代達矢)は秀子に「君の気持は以前から知っていたよ。でも、どうすることもできない」と言うしかないのだ。
2011-05-25 03:51:47映画では、月琴の里の山本巡査(伴淳三郎)の口から、神尾秀子が「静岡のちゃんとした女学校を出た」けれど好きな相手と駆け落ちしたとかなんとか…、まあいろいろあって大道寺家に世話になった人物であることが語られる。
2011-05-25 03:51:37自由恋愛などまず許されなかった時代だ。神尾秀子はここでも、もとはちゃんとした境遇だったのに、落ちぶれてしまったという「女家庭教師のセオリー」にきちんとはまっている。
2011-05-25 03:51:23「女家庭教師」という境遇は、雇われている主家から離れられない「飼い殺し」である。敬称の「先生」でありながら、身分は「低い」という二重性の中で生きている。
2011-05-25 03:51:11とすると、こう思う。やはり二重性の中で生きていた銀造(原作では欣造)と同様に、神尾秀子も自身もまた、「蝙蝠」だったのではないか、と。<この話題終わり>
2011-05-25 03:50:56