日垣隆氏と町山智浩氏の意外な邂逅
- manakahiro
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韓国系ヤクザが「宝島」編集者時代に、彼から私は原稿依頼を受け、原稿料が安すぎたため断ったことがあった。恨みの原点。ストーカー体質は、人格障害の一種。このたび百万円を払うべき本が大量に受け取ったにもかからず、見栄を切った手前もあるのにそれすら払えず、無視とウソをかななている。哀れ。
2011-07-18 21:12:43その後、別の「宝島」編集者に原稿を頼まれ、またしても安かったので断ったら、即座に単価が3倍に上がった。 ふと思い出した、きわめてちいさな歴史の一コマ。
2011-07-18 21:13:45日垣隆さんってホントに、自分から喧嘩を吹っかけるのが好きなんだろうなぁ。惨敗したはずの町山智浩さんに対して「韓国系ヤクザが「宝島」編集者時代に、彼から私は原稿依頼を受け、原稿料が安すぎたため断ったことがあった。恨みの原点。」とまた挑発。「原稿頼んだ事なんて無いよ」と言い返される?
2011-07-18 21:40:31@nnakai ごくろうさまです。僕が「宝島」編集者だった頃、「宝島」はパンク・ロック・カルチャー雑誌でした。彼はパンクなど何もわからないと思います。その部分で突っ込んではどうでしょう。
2011-07-18 23:31:20たしかに「宝島」が依頼する理由がわからないですね。RT @TomoMachi: @nnakai ごくろうさまです。僕が「宝島」編集者だった頃、「宝島」はパンク・ロック・カルチャー雑誌でした。彼はパンクなど何もわからないと思います。その部分で突っ込んではどうでしょう。
2011-07-18 23:46:42@nnakai あ、ごめんなさい。昭和天皇崩御の年だから89年まででした。どっちにせよ、彼はまだ駆け出しだったから、向こうから売り込みに来ない限り、原稿を依頼する可能性はありません。そもそもパンクロック雑誌だし。
2011-07-18 23:53:59それは致命的な誤りですね。なんでこんなにずさんな嘘をつくんでしょうか?RT @TomoMachi: @nnakai あとですね、僕が「宝島」編集者だったのは87年までです。彼がライターになったのはその年なので噛みあいません。
2011-07-18 23:48:53たしかに、宝島が欲しがる人では無い。RT @TomoMachi: @nnakai あ、ごめんなさい。昭和天皇崩御の年だから89年まででした。どっちにせよ、彼はまだ駆け出しだったから、向こうから売り込みに来ない限り、原稿を依頼する可能性はありません。そもそもパンクロック雑誌だし。
2011-07-18 23:57:04@nnakai あと、当時、宝島という会社は大作家でも駆け出しのライターでも原稿料はみんな同じで400字4000円でした。大作家だから3倍払うなんてことは当時、編集長が許可しませんでした。しかも、当時の彼はライター始めたばかりですよ。
2011-07-19 00:01:2088年当時の日垣さんは「長野の社会派ライター(新人)」だったはず。ますます頼む理由が無いですね。RT @TomoMachi: RT @nnakai: 僕は88年12月まで宝島編集者でした。
2011-07-19 00:03:26日垣さんは、「軽井沢で、読書の夜。涼しい。」(現在軽井沢は天気が悪いですが…)リゾート満喫中らしいのだけれど、ちょっと聞いてみようか…どうしようか。「ツイートした途端に、嘘がバレる」ってとんでもない才能だとは思う。(何も考えていないんでしょう。)
2011-07-19 00:10:45@nnakai あと、その「別の編集者」って誰でしょうね。宝島社は当時、どの雑誌も編集者が少なく、しかも同じフロアだったんです。また、3倍の原稿料で書いたのはどんな記事か? 断ったならその理由は? 当時の彼は駆け出しだったのに? 僕は名前を出されてないので自分で聞けないんですが。
2011-07-19 00:07:45僕は宝島社(当時JICC)新卒入社が85年で88年いっぱいまで宝島編集部、89年から別冊宝島で、93年だけ宝島30編集部で94年には洋泉社に出向しました。日垣隆大先生はその間まったく無名でした。原稿なんて依頼するはずがありまへん。
2011-07-19 01:25:55@TomoMachi 国会図書館の雑誌記事索引で検索してみたところ、日垣隆先生が書いた最古の記事は1990年10月(岩波書店『世界』546号)に世に出たものでした。89年当時は、原稿料が安いと断る以前に、そもそも雑誌で仕事をしてなかった可能性があります。
2011-07-19 00:33:13日垣隆公式サイトのプロフィール欄に、「1988年生まれて初めての聞き取り取材」、と”はじめてのおつかい”的な事が書いてあるのに、どうして原稿料が三倍とか言えるのでしょうw @TomoMachi @nnakai
2011-07-19 01:00:44松代大本営の講談社現代新書で初めて名前が知れたと思います。僕はその頃、既に宝島社にいませんでした。 RT @heroyoukey12:
2011-07-19 01:31:22Wikipediaの「日垣隆」のページより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/日垣隆
著作
- されど、我が祖国 中国残留帰国者物語(信濃毎日新聞社、1988年)
- 信州教育解体新書(信濃毎日新聞社、1991年)
- <ルポ>高校って何だ(岩波書店、1993年)
- 「松代大本営」の真実 隠された巨大地下壕(講談社現代新書、1994年)
「宝島」から意外な展開が
あら、そんなに払ってたっけ? RT @TomoMachi 当時、宝島という会社は大作家でも駆け出しのライターでも原稿料はみんな同じで400字4000円でした。大作家だから3倍払うなんてことは当時、編集長が許可しませんでした。
2011-07-19 00:10:57@TomoMachi 82~83年頃は、さらに(笑)。部数の伸びの比率から言えば、87~89年ぐらいは相対的には安いかも。しかし、お疲れ様ですなあ、ガッキー関連。
2011-07-19 00:35:54@MakeItFunky 88年終わり頃は毎号の広告収入が億を超えて、広告のスペースがないので台を増やし、それでも全体のページ数の半分が広告というバブルな時代でした。
2011-07-19 00:38:31