高所の葡萄
かつて、東方で高所といえば、万人が憧れるものだった。高所とは、その名の通り、高い所にある土地の名であり、その土地に住む豪族の名であり、その土地で産出される葡萄の名であった。東方で葡萄がとれるのはそこだけであり、高所の葡萄は高値で取り引きされ、高所の土地も一族も隆盛を誇っていた。
2011-06-03 21:19:27ところが、ある頃から、西方の葡萄が輸入されるようになった。最初は質が悪く、値も高かった西方の葡萄であったが、流通が確立していくに従って、どんどん安く、しかも品質もよくなっていった。
2011-06-03 21:19:52「ほらほら、そんな事を言うのは、高所の葡萄が本当は欲しいからだ。それを手に入れるために努力する事から、逃げているだけなのだ」
2011-06-03 21:20:59時は流れ、若い世代の中には「高所の葡萄なんて、食べたことない。安くておいしい西方の葡萄があるから」と言うものまで現れ始めた。
2011-06-03 21:21:18「それみたことか。高所の葡萄と西方の葡萄の双方を食べ比べた上で、西方の葡萄がうまいというなら、それは好みの問題だ。ところが、高所の葡萄を食べたことのない連中が、西方の葡萄をうまいという。これは苦し紛れのやっかみ、負け惜しみというものだ」
2011-06-03 21:21:39そのうち、西方の葡萄はすっかり定着し、高所の葡萄は市場から駆逐される寸前になった。見かねたある人はもう高所は葡萄を作るのを控えた方がいいと苦言を呈した。
2011-06-03 21:22:11これ以上、高所の葡萄を作っても、西方の葡萄との競争には勝てない。赤字になるだけだ。幸い高所にはこれまでの隆盛で蓄えた財産があるのだから、それで生活していけるだろうーーと。しかし、
2011-06-03 21:22:22「ふん。おまえも高所の葡萄が食べたいけれど、そのために努力することから、逃げている一人だな。だから、そのように必死に高所の葡萄を貶めるのだ。儂は違うぞ。儂は努力することから、現実から、逃げたりはしない。一所懸命に頑張るのだ」
2011-06-03 21:22:41そう言って、なんと高所は葡萄畑を一気に拡張する工事を始めた。大規模設備投資というやつだ。おかげで、これまで蓄えた財産はスッカラカン。しかし、高所は逃げたりはしない人だった。
2011-06-03 21:23:14高所は日に日におかしくなっていった。今時の若者は人生経験乏しいから、本当の葡萄の味を知らないとか、失敗を恐れるあまり努力することを毛嫌いしているとか、幼少期のトラウマが原因だとか、コミュニケーションスキルが足りないとか、おファンタンジアなことを言うようになっていった。
2011-06-03 21:24:25「ご主人様、要するに高所の葡萄は『高い』から買われないのではないでしょうか? 『高所の葡萄は酸っぱく、西方の葡萄は甘い』という噂にしたところで、高所の葡萄を酸っぱいと言っているだけで、高所の葡萄を否定するものではありません。酸っぱい葡萄ならではの加工品もありえます」
2011-06-03 21:25:25「西方の葡萄なみに安値でならば、買う人もいるはずです。ならば、値下げをすべきです。幸い、先の大規模設備投資で高所の葡萄は在庫だけはたっぷりあります。思いっきり、安値にして一気に放出……いえ、いっそ無料で配布すべきです。勿論、赤字ですが、大きな宣伝になるでしょう」
2011-06-03 21:25:53「そうすれば、これまで高所の葡萄に興味を持たなかった人にも、高所の葡萄をよさを知って貰えます。それで皆が高所の葡萄を買うようになるとは思えませんが、しかし、潜在的な顧客を取り戻す事は出来ます。このまま在庫を腐らせるよりは余程ましです。ここは勝負に出るべきです」
2011-06-03 21:26:15「それは【防衛機制】というものだな。高所の葡萄は『高い』? そうやって、顔を真っ赤にして、高所の葡萄を買わない理由を並べるのは、実は高所の葡萄を是非とも買いたいという心理の表れなのだ。なるほど、高所の葡萄は確かに高い。だが、多くの人間にとっては、貯金すれば、買える程度のものだ」
2011-06-03 21:28:55「ところが『高所の葡萄は酸っぱい』と決めつけて、最初から貯金をしない。蓄積がないまま年月を重ねれば、いつまでたっても高所の葡萄は手に入らないに決まっている」
2011-06-03 21:30:06「勿論、実際に高所の葡萄がなくとも生きていける者もいるだろう。また短期的な適応としてはそれでもいい。だが、そうやって高所の葡萄から逃げていては……」
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