2020年12月9日

よくわからないけどこれいいと思うなぁ(近藤和敬さんのツイート)

私は英文法のレベルで同じようなことを考えています。形容詞句を最初に説明して、つぎに分詞構文、そして前置詞のwith、ここで一旦閉じて、これだけの専用文法を作る。そして次に、名詞句になるようなのを「みかけの」という括りで整理する。この段階で説明できない項目って何だろうか?と立ち止まる。 多分大事なことは2つだけ。形容詞句が主文の主語に係るか、主文の最後の名詞に係るか。結局カンマのこと。
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近藤和敬 @kakond3

【メモ】量から質への転化は、単純な量の変化ではなく、システムの許容量とそのオーバーフローした供給物のシステムへの作用の質的変化によって生じる。

2020-12-07 15:33:54
近藤和敬 @kakond3

同様に、供給量の減少によってシステム自体を維持する下限を下回ることによって、現れが相転移することによっても量の変化が質の変化に転化する。

2020-12-07 17:29:39
近藤和敬 @kakond3

3日前ぐらいにふとやってきたのが以上のアイデアで、しかし、さっき授業でベルクソンの質の話をするまで、すっかり忘れていて困っていたので、授業中に慌ててメモした。もちろん、熱力的な発想なので、独創性はない。

2020-12-07 17:29:39
近藤和敬 @kakond3

状態ではなくてプロセスで考えようとうことです、まとめると。あらゆる実質的な形容詞は、全部このプロセスに還元できるんじゃないですかね。桜の花の色とかですら。もみじの紅葉とかも行ける気がする。

2020-12-07 17:29:39
近藤和敬 @kakond3

形式的形容詞というか抽象的形容詞、たとえば「絶対的」や「相対的」などがこれでいけるかどうかは、今後考えてみます。イメージとしてはいけてるんですけどその場合思考の運動性や図式性みたいなものを措定しないと言えないように思いますね。

2020-12-07 17:29:39
近藤和敬 @kakond3

形容詞はプロセスが随伴させる相の識別子であり、副詞は、プロセスの運動性(速度、加速度、減速、反復性など)の識別子ではないかと考えられます。名詞は、これとは別にもう一枚(同一性を評価する何か)を入れないとだめですね。そのあとに名詞間の関係性として前置詞を考えられるようになる。

2020-12-07 17:29:40
近藤和敬 @kakond3

てことは、副詞が一番基本でその次が形容詞、その上に名詞があって最後に前置詞が来る。動詞は?プロセス自体の識別子ですかね。しかしプロセス自体の識別は、その上位のシステムの評価と不可分になるでしょうから、単純に先にあるとは言えないのかもしれない。いずれにせよ言語的分節は、

2020-12-07 17:29:40
近藤和敬 @kakond3

全体の分節化とセットになるので単純に言語的な順序が守られるというわけではないでしょう。

2020-12-07 17:29:40
marr @su_9qu

@kakond3 形容詞は、名詞に、先立つということでしょうか?

2020-12-07 22:28:59
近藤和敬 @kakond3

@su_9qu そういう趣旨ですが、そういうふうに考えられないかなという程度の思考実験の段階で、なんら確定的ではないです。思考を運動性のイメージを原基にして考えられないか、というのが初発の動機になります。

2020-12-08 07:10:10
近藤和敬 @kakond3

スピノザの自然権、自然法、法概念について演習で扱っていて、気が付いたのだけど、スピノザの自由概念は、『エチカ』、『神学政治論』、『政治学』を通してみると、5つぐらいに分類できるのではないかと思うのだけど、そういうの書いた論文ってないですかね。

2020-12-08 10:27:29
近藤和敬 @kakond3

1.自然状態において、自然権の許す自由 2.国家状態において国法の許す範囲での自由 3.国家状態を維持するために必要とされる思想の自由(主権・国法に優越し、主権・国法の有効性の条件となる) 4.倫理学=『エチカ』において肯定される、理性の自由、必然的なもの=神と自己の合致による自由

2020-12-08 10:27:29
近藤和敬 @kakond3

5.倫理学において否定されるところの、幻想としての自由意志の自由 ぐらいのイメージなんですけど。3って実は、国法に優越するという表現にすると自然法の問題になるよね。ただスピノザはそうは言わず、jus naturaeとjus belliの問題系で考えてると思いますが。つまり、問題系自体を置き換えている

2020-12-08 10:27:30
marr @su_9qu

@kakond3 ご返信いただきまして、ありがとうございます。 昨日、お書き込みをされた所説へ興味を持ちましたのは、少し理由がありました。なんといいますか、救い主が現れたかのような気持ちを持ちました。このような機会は、もう、無いのではないかとも思えましたので、

2020-12-08 11:21:51
marr @su_9qu

@kakond3 ご迷惑になるのかもしれないとも考えましたが、 思い切ることにさせていただきました。 以下に、妙なことを述べさせていただきます。 宮崎駿の、もののけ姫の中に 「たたり神」「ディダラボッチ」 という一種の新概念が出てまいります。 ディダラボッチにつきましては、

2020-12-08 11:22:21
marr @su_9qu

@kakond3 我が国に昔から存在する空想の怪物でありますが、ここでは、宮崎駿チームが創造した、数分間単位の映像過程を指すということにさせていただきます。

2020-12-08 11:23:18
marr @su_9qu

@kakond3 「たたり神」「ディダラボッチ」 の現出の仕方は 形容詞なのではないか? 形容詞と区別できないのではないか? 形容詞に近いのではないか? という疑問を持っております。

2020-12-08 11:23:41
marr @su_9qu

@kakond3 形容詞と区別できない、というような言い回しを行う際、区別する規準(=書き下された自明な規準として存在していないものを含む。) のようなものの存在が仮定されると申しても、よいと考えますが

2020-12-08 11:24:47
marr @su_9qu

@kakond3 お書きになられている「プロセスが随伴させる相の識別子」を、まず、適用してみますと、 その適用時点では(=後に名詞を考えるステップまでに至っていない段階)

2020-12-08 11:25:25
marr @su_9qu

@kakond3 「たたり神」「ディダラボッチ」の現出の仕方は もみじの紅葉などの 形容詞と 「プロセスが随伴させる相の識別子」という点では、[区別ができない] のでは? 同じなのでは? それならば、形容詞と言ってよいのでないか? と思った次第でした。

2020-12-08 11:26:05
近藤和敬 @kakond3

@su_9qu おっしゃっていること、多分理解できたと思います。「たたり神」、「しし神」、「ディタラボッチ」の関係は、実体的変化ではなくて、同一の力の運動性の変化として考えられないか、という趣旨だと理解しました。この運動性がそれが貫通する環境との関係において、相転移することで、各々のフェイズが

2020-12-08 13:27:19
近藤和敬 @kakond3

@su_9qu 区別されるということだと。わたしとしてはそのように理解してよいのではないかと思います。非実体的な力の現れ方=運動性のあいだの質的差異が、名詞化することで、区別された名を持つことになるということだと思います。この力への畏怖と敬意と親しみが、宮崎的な主題の一つではあるとも思います。

2020-12-08 13:30:55
marr @su_9qu

@kakond3 ありがとうございます。 プロセスという概念を基盤にして 「同一の力の運動性の変化」という見方をくわえ 「プロセスが随伴させる相の識別子」「プロセスの運動性の識別子」などで 出来事を眺めて、区別すれば、「たたり神」「ディダラボッチ」を

2020-12-08 15:17:26
marr @su_9qu

@kakond3 形容詞と称することは正当性を得られるのか!と、昨晩からの驚きが消えません。 当方が、「たたり神」「ディダラボッチ」を形容詞ではないかと、当初思った際には 「実体的変化ではなくて、同一の力の運動性の変化として考える」という考え方は 持っていませんでした。

2020-12-08 15:18:00
marr @su_9qu

@kakond3 「同一の力の運動性の変化」という見方には、 通時的な、同一のものの存在、が 前提とされるように思います。 猪 → たたり神に変化した猪 しし神 → ディダラボッチ というように、元に同一なものがある、という 見方であるのではないかと思います。

2020-12-08 15:18:25
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