宗教からオカルトまで、歴史的な文化と認識し、信仰と懐疑の両側面から眺めるシューキョウ学です。『亜宗教』(インターナショナル新書);『宗教図像学入門』(中公新書);『24の「神話」からよむ宗教』(日経ビジネス人文庫)他
一口に《宗教》といっても、救済を標榜する《古典的な教理》の次元(仏教やキリスト教などの神学的部分)と、超古代から連綿と続く部族的な社会の《習俗的な宗教現象》とがあります。今日「宗教」の看板を掲げる文化はいずれも両側面を備えており、民衆レベルではどの宗教も大差ないものになっている。
2020-12-12 11:46:58いわゆる「枢軸時代」というのは《古典的な教理》がぼこぼこ出現した時代のことです。前5世紀~後15世紀。古代~中世ですね。この時代、部族社会が崩壊し再編成され、王国や帝国が出現した。根無し草になった民衆を呼び集めて統合したのが、エリート先導で作られた新興の宗教システムでした。
2020-12-12 11:49:07孔子、釈迦、イザヤ、ソクラテスといったエリートたちが部族的原理を超えた「普遍的」原理を「見出した」。それが数世紀のち本格的に帝国(ローマとか漢とか)が生まれたころに帝国民組織化のレトリックを提供した。太古から人々は神や呪術を信じていたので、それを改変して神学や教学が生まれました。
2020-12-12 11:49:58前にも書きましたが、「神とは何か?」と問うても無駄です。歴史的に人々は伝来の惰性的信念を受け継いできた、あるいは社会の中で強制されてきただけであり、遡れば、仏教やキリスト教が生まれた時点ですでに民衆は旧来の部族的な神話に縛られており、それを新たな教理に移行させただけだったからです
2020-12-12 11:50:34人々は新来の神や仏の戒律に服しました。なぜ? そもそも昔の人々はムラや部族の伝統的な掟に――呪術や神話とともに――服していたので、上位の者が伝える規則の権威に服従するのは、ごく自然なことでした。近代になってその権威が近代法や科学や学校に移ったから、現代人には不思議に見えるわけです。
2020-12-12 11:51:35我々は、宗教は「人生とは何か?」「死んだらどうなるのか?」みたいな際限のない問いに「答えてくれる」ものと想像します。しかし実際には答えるのではなく「問いを封じる」のです。「死んだらどうなる?」「神の審判がある。それ以上問うても無駄じゃ! 問うている暇があったら身を正せい!」
2020-12-12 11:52:41そもそも小さな子供は「人生とは何か?」なんて問いに悩まないものです。その時期に、昔の人は神仏を礼拝することを習慣づけさせた。成長し思春期・青年期になって「人生とは?」みたいにハムレット的に悩んだとき、自然に「聖書(コーラン等)に答えを求めよう」となるよう、すでに訓練済です。
2020-12-12 11:53:02そんな具合にして宗教は連綿と受け継がれてきました。宗教の中に「答え」はない。しかし究極の答えであるという標榜なので、信者は「よし、分かるまで修行を続けるぞ」となる。そして一生涯その宗教を続けることになる。まあ、四十にもなると若い時代の宗教的問いはどうでもよくなり、あとは惰性です。
2020-12-12 11:53:24もちろんこれは賢いシステムでした。なぜなら「人生とは何か?」「私は誰?」「死後はどうなるか?」「善悪の起源は?」なんて問いは一部の哲学的資質のある人にしか耐えられない不毛な問いであり、人々が求めているのは心情的な落ち着きだからです。なら、宗教システムに絡めとってしまうのは上策です
2020-12-12 11:54:21