#SA新着情報 予告なしの緊急リリース!坂本龍右 @contra2nd ジョン・ダウランドのリュートソング3曲が公開となりました!中の人も大好きなFlow my teares(通称フロマイ)を含むいずれも超人気曲、お得なセットも同時販売!古楽声楽家のレパートリー決定版!ぜひどうぞ! filmuy.com/smartaccompani…
2020-12-07 23:19:06ジョン・ダウランド(1563-1626)の、リュート伴奏つき歌曲のレパートリーから、歌曲集第2巻(1600年刊)に収められた最初の3曲、すなわち「I saw my Lady weepe」「Flow my teares」「Sorrow sorrow stay」のマイナスワン動画を提供させていただきました!#SA #ダウランド #リュートソング twitter.com/smrtaccompanis…
2020-12-08 01:40:14ラテン語の副題「ラクリメ」、あるいは「流れよ、わが涙」という日本語訳のタイトルでも良く知られている第2曲を筆頭に、これら3曲はみなダウランドの渾身の作品と言えます。#SA のサイト内の説明に書いたように、本人は「全てがA面曲」という意識でこれらの出版に踏み切ったようにように思えます。
2020-12-08 01:46:27歌曲集第2巻の最初の3曲は、作曲者にとって渾身の作品!
歌手にとっても、リュート奏者にとっても人気曲・定番曲とされる3曲。しかしそれらを別個の「名曲」としてでなく、一続きの「チクルス」として、味わうことはできないでしょうか?むしろそれが、ダウランドの望みに叶うはず・・というわけで、以後私なりにこの3曲の分析を行っていきたいと思います! pic.twitter.com/b8okehopem
2020-12-08 01:54:54まずは、続いて並ぶ3曲のタイトルをじっくり眺めてみましょう。「weepe 泣く(嘆く)」「teares 涙」という互いに関連するワードが登場しています。ダウランドの他にも、このテーマを織り込んだ歌は当時多く作られました。にも関わらず、この3曲が圧倒的に威容を誇るのには、何か理由がありそうです。
2020-12-09 10:02:24歌曲集第2巻が出版された背景について。
ダウランドの歌曲集第2巻の扉ぺージです。これが出版されたのは、日本だと関ケ原の戦いの年にあたる、今から420年前の1600年。16世紀の最後にして、1600年代最初の年に、後々まで愛唱される曲を含んだ曲集が出たのは、まさにエポックメイキングですね! pic.twitter.com/re2ujTrXHG
2020-12-09 10:22:23このタイトルページから読み取れることは、他にもたくさんあります。例えば、ここに記されたダウランドの称号は「Batcheler of Musick, and Lutenist to the King of Denmark」 になっています。つまり彼の活動の拠点は、この時点ではまだ英国内ではなく、デンマークの宮廷だったことが分かります。
2020-12-10 01:16:38作曲者による献呈の辞に続いて、今度はダウランドのリュート演奏を褒め称えた詩があります。その各行の頭の文字を取り出して縦読みすると、献呈相手の名前になっているという、ご趣向です!いつぞや話題になった、「た○しあいしてる」に通ずるものが・・(笑) pic.twitter.com/hGiNlao0ys
2020-12-10 01:22:58ダウランドの歌曲集第2巻の献呈相手である、ベッドフォード伯爵夫人ルーシー・ラッセルは、この時まだ二十歳になるかならないかの若さ。ダウランドの主要なパトロンの一人でした。彼のリュート・ソロ曲のタイトルに見られる「My Lady Russell」は、彼女のことを指していると考えて間違いありません。 pic.twitter.com/3h77tEyyv2
2020-12-10 01:39:19この頃働き盛りを迎えていたダウランドは、念願だったエリザベス一世付きのリュート奏者の地位を得るべく、焦りも徐々に出てきていたようです。女王に近い立場の貴族たちに作品を献呈することで、少しでも口効きの機会を狙ったのかも。ちなみに1600年時点での彼の年齢は、おそらく今の私と同じです。
2020-12-10 01:47:13曲集の目次の全体を見てみましょう。この3年前に出していた歌曲集第1巻では4声の作品に絞っていたダウランドは、第2巻ではじめて、2声そして5声の歌曲を発表します。特に2声の作品は、それ自体彼にとっては充分革新的であり、冒険でした。今回ご紹介するのはまさに、その最初の3曲にあたるわけです。 pic.twitter.com/czVDnktwci
2020-12-10 08:21:31注意したいのは、ダウランドの言う「Songs to two voices」は、単に2パートからなる曲の意味ではなく、歌詞付きのパートが2つある曲のことです。曲全体では概ね4声のテクスチャが用いられるため、内声を司るのはリュート(またはオルファリオン)のみとなり、それゆえ伴奏者の責任はとても大きいです!
2020-12-10 08:29:35第一曲「I saw my lady weepe」の分析。
こうした前振りを経て、歌曲集第2巻の冒頭の曲「I saw my Lady weepe」の譜面を見ると、ダウランドが込めた思いというのが、徐々に透けて見えてはこないでしょうか?左上に記されているように、この曲は当時英国で大変影響力のあった作曲家の一人、アンソニー・ホルボーンに捧げられています。 pic.twitter.com/rV4BijYoBF
2020-12-10 08:35:54意外なことに、この曲のアイデアがダウランドのオリジナルでないことは事実です。全く同じ年に出版されたトーマス・モーリーの歌曲集にも、この歌詞を持つ曲があります。曲の調性、最初に厳かなリュートの前奏が付く点でも全く同じ。歌詞の相違は weepe→weeping、keepe→keptなど、ほんの僅かです! pic.twitter.com/Nd5gaQnYi6
2020-12-10 08:56:16モーリーのこの曲は、同じ歌詞によるダウランドの作品にひけをとらないばかりか、部分的にはそれを凌ぐ箇所さえあると正直思います。今年惜しくも亡くなったジュリアン・ブリームのリュート伴奏による演奏をお聞き下さい。一体、両者の創作の背後には何があったのでしょうか?youtube.com/watch?v=Hd9YiL…
2020-12-10 09:00:45謎を解く鍵は、ニコラス・ヤング編纂で1588年に出版の「Musica Transalpina (アルプスを越えた音楽)」にあります。イタリアの作曲家たちによるマドリガーレが、全て英訳の歌詞で収められている中に、原曲の歌詞が「Vidi pianger madonna」だった曲が、「I saw my Lady weeping」になっています! pic.twitter.com/K6fPiP3HBi
2020-12-11 03:56:09このアルフォンソ・フェッラボスコ作曲のマドリガーレの歌い出しは、ダウランドやモーリーのそれと非常によく似ています。おそらく、両者はこれを直接のヒントとしたはず。英国人の誰かが一行目以降の歌詞を自由に展開し、それをモーリーは通作形式で、一方ダウランドは有節形式で作曲しました。
2020-12-11 04:02:59ダウランドの「I saw my Lady weepe」で最も重要なのは、バス声部が最初に歌う、ラ→ソ→ファ→ミと全音階で下降する音型ではないでしょうか。フェッラボスコにも、モーリーにもなかった、この下降モティーフをさらに展開させることによってできた曲が、これに続く第2曲「Flow my teares」なのです! pic.twitter.com/YAo7m1sggS
2020-12-11 04:19:33第二曲「Flow my teares」の分析。
「Flow my teares」は、「流れよ、我が涙」の邦題でもお馴染みの名曲で、作曲者の在世中から高く評価されていました。ラテン語で「涙」を表す「ラクリメ(LachrimeまたはLachmae)」の副題もダウランド自身によるもの。前曲から受け継いだラ→ミの下降音型は、ここでは流れ落ちる涙そのものを表します。
2020-12-12 08:32:42勘の良い方なら、「ラクリメ」という語の最初と最後の音節「la」と「me」が、下降音型の両端の階名音「la」と「mi」と対応することに気づかれることでしょう。ダウランドが、自筆の署名にわざわざ「ラクリメのダウランド」と記したように、この曲の作者としての自信と自負は相当のものだったようです。 pic.twitter.com/kStAGE9buV
2020-12-12 08:42:00歌曲集第2巻の出版よりも、先行する時期に成立した資料に、リュートソロやアンサンブル曲としての「ラクリメ」が見られます。果たして歌曲版と器楽版のどちらが先か、という論争が古来絶えません。これはダウランド研究の先駆けであったダイアナ・ポールトンが、最も古い「ラクリメ」と推定したもの。 pic.twitter.com/E1zl75LYmd
2020-12-12 08:52:22