じゅんさんの大学教育エピソード

はじめてのつげったーです。 さの先生の大学教育エピソードまとめ。 いいなぁと思ってほのぼのしました。 教育って、やっぱいいよネ!
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sj @sanojun53

そうそう、六本木のデニーズ。学生を引き連れて、何度か行ったなぁ。三島広小路の鰻の桜家の裏から、川沿いというより、川の中にある飛び石を伝って、六本木の交差点まで行ける。冬などは濡れたところが凍って危ないが。デニ裏の屋台ラーメン幸野で食べてからデニーズで深夜まで学生たちと語ったなぁ。

2011-07-20 19:51:01
sj @sanojun53

あの頃は、補講をするときには二日連続で日程をとっていた。東京から三島まで通うよりも、三島のグリーンホテルとか昭明館とかに泊まった方が楽だったから、そうしたときには学生との懇談会をしていた。まだ、三島に東横インが出来て居なかったころのことだ。

2011-07-20 20:41:42
sj @sanojun53

大学では七時半まで授業を持っていた。そこから、出て来ない学生の家庭訪問や、アルバイト先訪問を始める。ときには月曜日の授業の前に、日曜日から行って、愛鷹球場で試合をしている学生の応援をしたこともあった。大学の講師としては異例なことだが、そうした生活指導まで含めてこそ、教育だと思う。

2011-07-20 20:46:23
sj @sanojun53

沼津のライブハウスに出ていた学生の応援に行ったときには、思いもかけずステージに上がらされて、シャウトした。ちょっと恥ずかしかったが(笑) 大学の教室には、受講していない学生たちがいつも覗きに来ては、「ちょっといいですか」と様々な相談を持ちかけてきた。

2011-07-20 20:49:20
sj @sanojun53

午後の授業に出てくるのが危ない学生たちを起こしに、自転車で廻ったこともあった。みんな朝までバイトしている。三島駅南口には無料の貸出自転車があって、それを借りて、三島市内から沼津、ときには韮山や裾野までまわった。アパートの扉を叩いていたら隣から警察を呼ばれたこともあった(;^_^A

2011-07-20 20:52:29
sj @sanojun53

学生さんたちは、自分のことだけでなく家族や友人や知人の相談事も持ち込んでくる。家族ぐるみで付き合った学生さんたちも数多い。いつの間にか、静岡県東部が第二の故郷のようになって行った。富士を仰ぎ見ながら学べることが、とても嬉しかった。それが当たり前の生活になっていた。

2011-07-20 20:55:57
sj @sanojun53

今年の三月で静岡の大学の一年ごとの契約が切れて、延長はありませんと一片の封書で大学から通知されたときには、天地が崩れる思いだった。静岡に骨をうずめても構わないとまで思っていたほど、徹底して学生のために走り回った天地だった。大学非常勤講師の非情さを改めて思い知った。

2011-07-20 21:00:47
sj @sanojun53

安倍川餅で有名なやまだいちの沼津店にも、随分お世話になった。夏休み前と、正月休みの前、学生さんたちが帰省などでそわそわしだす頃に、「駿河小判」というお菓子を大量に買い込んで学生さんたちに一人一箱渡す。通常は店に置いてない10枚入り200円の箱だが。それを実家に持って行ってもらう。

2011-07-20 21:05:50
sj @sanojun53

そして親御さんにこう言うように伝える。「お父さん、お母さん、いまは脛を齧るばかりの学生で申し訳ありません。いつかしっかり働いて、本当の小判を持って帰りますから、いまは、これで勘弁してください」。休み明けで帰って来た学生たちには、「うちの親が泣いてました」と報告してくれる人もいた。

2011-07-20 21:08:45
sj @sanojun53

やまだいち沼津店のおばさんは、毎年、その時期になって私が店に顔を出すと、「あ、さの先生!」と覚えていてくれて、本店への注文をその場でしてくれていた。200円の小箱とはいえ、担当する学生全員分を用意すると、段ボール箱四つ分ほどになる。それを自転車の荷台にくくり付けて大学まで運んだ。

2011-07-20 21:11:32
sj @sanojun53

三島の大学に勤めていられたのは、結局十年だけだったが、その十年で多くの人と関わり合いを持つことが出来た。本当に自分が思う理想の教育を継続して出来た大学だった。同僚にも、良い人が多かった。そして、誰よりも食堂のおばちゃんや掃除のおばちゃんや警備員さん達が別れを惜しんでくれた。

2011-07-20 21:17:35
sj @sanojun53

掃除のおばちゃんの一人が、お菓子の箱に千代紙を張り付けて、キレイなチョーク箱を作って教室の黒板に置いてくれていた。学生さんたちに、works behind the sceneという英語の曲の歌詞の聞き取りをするとき、おばちゃんの善意を語った。誰が本当に大学を支えてくれているかも。

2011-07-20 21:33:35
sj @sanojun53

しばらくして、その掃除のおばちゃんから言われた。「さの先生の学生さんたちは、本当に良く挨拶をしてくれますね。こないだなんか、肩を揉んでもらっちゃって・・・」本当に良い学生さんたちだと思った。あの大学で働けたことを、あの時ほど感謝したことはなかった。

2011-07-20 21:36:16
sj @sanojun53

大学の学食のおばちゃんたちは、最初、私のことをキャンパス内で撮影をしていたドラマか映画かの俳優だと思っていたらしい。カレーの大盛ばかり注文する私に、これでもかというくらいに大盛にしたカレーを出してくれて、「お仕事ごくろうさまです」と声を掛けてくれた。

2011-07-20 21:39:00
sj @sanojun53

後に、私が教員だと知ってからも、大盛の度合いは変わらなかった。そして、「もったいないねぇ、そんな声してるんだったら、俳優にでもなったらいいのに」と良く分からないことを言ってくれたが、非常勤講師がどんな待遇かを知っての善意だったんだろうと、いまになって思う。

2011-07-20 21:41:18
sj @sanojun53

最後に大学の食堂で食べたとき、おばちゃんたちに別れの挨拶をした。「元気で居なさいよ。ちゃんと食べるんだよ」「いつでも入ってきていいんだからね、あたしが大学に文句なんか、言わせない」「先生がいなくなると淋しいよ」。本当に泣かれてしまった。温かさが胸に染みた。

2011-07-20 21:44:35
sj @sanojun53

顔なじみの警備の人は、最後に挙手の礼で、送ってくれた。いつも遅くまで学生と語り合っている教室に来て、「さの先生なら、戸締りはお任せして大丈夫ですね」と声を掛けてくれていた。直立不動の、とても均整のとれた敬礼だった。私も敬礼で返した。回れ右して歩きだしてから、不意に涙がこぼれた。

2011-07-20 21:50:31
sj @sanojun53

学生たちの中には、「さの先生にぜひクラブの顧問になって頂きたい」と大学に嘆願書を出してくれた人もいたようだ。しかし、非常勤講師では、それは認められない。正規の顧問ではないが、彼らはいつも相談に来てくれた。私も全力で応えた。地域と大学を結びつけようと本当に頑張る学生が多かった。

2011-07-20 21:56:09
sj @sanojun53

就職で悩む学生がいた。一緒に浅草で待ち合わせて、とある芸能関係者に引き合わせた。彼は、結局、その道には進まなかったが、卒業してからも、事ある毎に、報告に大学の教室までわざわざ来てくれていた。彼は、私が大学にもう居ないことを知らないはずだ。それが気がかりだ。

2011-07-20 22:02:42
sj @sanojun53

正月休み、東北の実家に帰りたくてもお金がなくて帰れないという学生がいた。青春18切符をまるごと渡した。彼は実家から米を抱えるようにして持ってきた。その日の内に、学生さんたちの家庭訪問をして、自炊している学生に分けてしまった。それを聞いた親御さんから、また10kg貰った。食べた。

2011-07-20 22:06:28
sj @sanojun53

遠くから通ってきている学生さんもいた。一本電車を逃すと、次は一時間とか一時間半後になる。電車の時間30分前に、「そろそろだよ、準備出来てる?」と電話して、なんとか出席日数を確保させたこともあった。親御さんはガールフレンドではないかと、ずいぶん心配したようだったが(;^_^A

2011-07-20 22:11:48
sj @sanojun53

帰省したまま戻って来ない学生がいた。彼の地元へ自転車で行った。北関東の田舎町だった。彼は家業を手伝っていた。私も手伝った。二週連続で手伝いに行ったら、翌週、彼が大学に戻ってきた。親に大学に行くように言われたのだと言う。長くかかったが、彼も卒業させた。

2011-07-20 22:16:59
sj @sanojun53

本当に様々なことがあったあの大学に、いま自分がいないということが、不思議でならない。いまでも学生たちと談笑している夢を見る。明日の朝は、このアパートとあのアパートを廻ろうと思い描いて、目覚めたあと、もう、大学の仕事がないことに気づいて悲しくなる自分がいる。

2011-07-20 22:21:42
sj @sanojun53

大学の教員で居られること以上の幸せは、もうないだろう。そんなふうに思えていた最高の大学教員生活だった。東京からの通勤は、ちょっとした旅だったが、その道すがら、ずっと学生たちを激励するメールやメモやハガキを書き続けていた。それが、とても楽しかった。

2011-07-20 22:27:14
sj @sanojun53

本当に心配をかけるような学生たちが多かったし、決して優等生ばかりではなかった。それどころか、私は再履修クラス専門で、とにかく大学に出て来なかったり、卒業できそうにない学生ばかりだったりしたが、それだからこそ濃密に関わることが出来た。再履修クラスが廃止になって私の仕事も無くなった。

2011-07-20 22:30:35