『武田信玄の上洛路は青崩峠越えか駿河路か』所感

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日光81 @nikko81_fsi

「日本歴史」12月号 柴辻俊六先生 研究余録『武田信玄の上洛路は青崩峠越えか駿河路か』を拝読。従来説(信濃からの南進)・新説(駿河からの西進)の各要点を押さえて再検証しつつ、新説を批判する鴨川氏の主張の問題点も指摘。結局論点は奥平道紋宛信玄文書の「当城主小笠原梱望」の解釈次第と理解。

2020-12-26 19:52:29
日光81 @nikko81_fsi

ただ、これを拝読しても南進説が支持できるとは思えなかった。信玄の元亀二年遠州侵攻は否定されているはずで、元亀三年の高天神城攻めの疑義が生じた(=元亀二年を支持)というところがわからない。

2020-12-26 19:57:44
日光81 @nikko81_fsi

結局軍鑑に依拠せざるを得ないのが厳しいところだけど、軍鑑にある元亀二年の記述が実は元亀三年の動向を示しているという軍鑑にありがちな年代の誤りを認識しつつ、元亀三年の条に高天神攻めの記載がないということが、元亀三年の高天神城攻めの疑義になるのだろうか。

2020-12-26 20:00:47
日光81 @nikko81_fsi

元亀二年とされている項目が実は元亀三年の誤りで、かつ元亀二年の侵攻路は駿河路としているのなら、軍鑑が年代を誤っているだけで、ルートは駿河路と理解するのが自然だと思われ、論の背景に元亀二年の侵攻を前提としているように読み取れた。

2020-12-26 20:03:28
日光81 @nikko81_fsi

結局ここ次第、という「当城主小笠原梱望」の解釈も城主が降伏する文脈と解釈する本多説と一般的な希望と解釈する鴨川説についても、「梱望」の事例をいくらだしても、どちらの使い方もあるという根拠にしかならず、この文書の「梱望」をどう解釈すべきかを特定する根拠にはならないと考えた。

2020-12-26 20:07:13
日光81 @nikko81_fsi

「梱望」の本多・鴨川両説の用例の件数の多さでどちらに解釈すべきかは決められないだろうと思うのだが、結局鴨川説(=一般的な希望)と解釈する柴辻先生の根拠はここだけのように思え、やはり本多先生の解釈が理に適うと考えたい。

2020-12-26 20:09:19