編集可能
2011年7月22日

日本海軍の大艦巨砲主義と漸減邀撃作戦構想について

60
のり @DDH_182_no2ri

日本海軍の大艦巨砲主義と漸減邀撃作戦思想についての纏めとか考察とかって需要あるんかな。まあ無くても自分の考え纏めたいから垂れ流すけど。

2011-07-21 23:22:42
のり @DDH_182_no2ri

@mikemaneki ども。今ぼつぼつ考えまとめながら書いてますのでお待ち下さい

2011-07-21 23:27:56
のり @DDH_182_no2ri

よしなんとかまとまったぞ。

2011-07-22 01:10:29

はじまりはじまり

のり @DDH_182_no2ri

日本海軍の大艦巨砲主義と漸減邀撃作戦構想について一席持ちたいと思います。ぐだぐだです。ご容赦下さい。

2011-07-22 01:11:36
のり @DDH_182_no2ri

日本海軍は大艦巨砲主義に染まる余り航空主兵主義を理解しなかったから負けたとする主張は今以て根強い。太平洋戦争が航空機の戦争であり、あの大和を始めとした戦艦群が(金剛型を除き)少しも活躍せず沈んでいった史実を見れば頷きそうになる話であるが、事はそう単純な物ではないと考える。

2011-07-22 01:11:52
のり @DDH_182_no2ri

世界列強の海軍にとっては20世紀前半のトレンドは大艦巨砲主義であった訳だが、こと日本海軍の場合は時代が下るにつれ漸減邀撃作戦の中に大艦巨砲主義が組み込まれるようになる。つまり日本海軍は漸減作戦を遂行するためだけの組織であり、大艦巨砲主義とはその手段の一部に過ぎなかった。

2011-07-22 01:12:09
のり @DDH_182_no2ri

その漸減邀撃作戦は、対米7割の戦力を保有していれば遂行可能と(一応)判断されていて、そのためにロンドン軍縮条約締結後に統帥権干犯問題なんてものが噴出するのだが、同条約破棄後の日本海軍は「これで対米7割の戦力を保持して漸減作戦はとりあえず安泰だ」と考えた。

2011-07-22 01:12:24
のり @DDH_182_no2ri

根拠は、米国が軍縮条約規定量の上限まで各種艦艇を建艦する計画(1934年まで米国は空母・巡洋艦等は制限一杯まで保有していなかった)は40年代初頭に完遂するものと推定しており、また当時日本は平時の米国建艦能力は8万トン/年であると推定していてた。

2011-07-22 01:12:39
のり @DDH_182_no2ri

ここから、米国は日本が軍縮条約を脱退しても、その年間建造量一杯の計画を推進しているから対抗して建艦競争には乗り出せないという見通しを抱いていたのだが、実際は米国は38年に第二次ヴィンソン案を可決(戦艦2、空母2、巡洋艦9、海軍航空機3000機)し、あっさりと日本の見通しを裏切る。

2011-07-22 01:12:59
のり @DDH_182_no2ri

続いて41年には両洋艦隊計画(戦艦9、空母11、巡洋艦44等)を開始し、一挙にもう一つ日本海軍分の艦隊の増強に着手する。こうして日本が発生しないと楽観した建艦競争の結果、41年末で対米7割、43年で5割、19年で3割にまで落ちる羽目になる。漸減作戦の崩壊が決まった瞬間である。

2011-07-22 01:13:20
涼風紫音/圧縮 @sionsuzukaze

@norikainigata 確かにその見方は問題がありますね。戦前に立てられた戦時改装計画にも空母改装がいくつもあったわけですし。寧ろ航空戦力強化という点では基地航空隊も含めて精力的整備が行われている。大陸での戦線においても航空戦力の活用は当時としては十分に。

2011-07-22 01:14:42
のり @DDH_182_no2ri

@sionsuzukaze 仰る通り、それらの点を交えて続けてみたいと思います。

2011-07-22 01:16:33
のり @DDH_182_no2ri

また30年代末から40年代に入ると、戦術面からも漸減作戦の遂行が不可能であるとする各種研究・演習の結果が出され、漸減作戦のためだけに存在していた日本海軍は、文字通り存亡の危機に立たされることになる。

2011-07-22 01:16:49
のり @DDH_182_no2ri

ここで時間を少し遡る。航空機は30年代中盤以降目覚しいの速度で進歩し、机上研究では航空支援を受けられない戦艦は航空攻撃で撃沈される事があり得ると考えられるようになり、決戦時の味方上空の制空権確保のため、敵空母撃滅を目的とした第一航空艦隊の編成に繋がる。

2011-07-22 01:19:28
のり @DDH_182_no2ri

航空機の性能向上は一航艦に敵空母撃滅後の戦艦撃滅をも可能にすると見積もられ、戦艦部隊と同等の決戦中核兵力と見なされるようになる。これと歩調を合わせる様に陸上航空兵力も順次拡大(マル4計画ではそれまでの40機のみから約300機まで増強される予定だった)されていく。

2011-07-22 01:21:19
のり @DDH_182_no2ri

つまり、漸減作戦構想の下では大艦巨砲主義と航空主兵主義は対立構造ではなく、互いに漸減作戦完遂のための重要な二枚看板であったという事である。 話を戻すと、漸減作戦構想の崩壊に伴い日本海軍は新たな作戦構想を練らなくてはならなくなり、白羽の矢が立てられたのが航空主兵主義だった。

2011-07-22 01:22:29
のり @DDH_182_no2ri

より正確に言えば海軍の空軍化である。建造に手間隙掛かる戦艦その他水上艦艇は出来うる限りの整備に留め、艦隊航空兵力でさえ空母隻数の点で不利なため空母機動部隊拡充ではなく陸上航空兵力を決戦兵力の主体とする内容である。

2011-07-22 01:23:34
のり @DDH_182_no2ri

これらはマル4計画以降の戦備計画で拡充される手筈だった。ところが太平洋戦争が始まった41年末の時期では、マル3計画及びそれ以前に整備された旧来の漸減作戦構想に基づく兵力しか存在しなかった。航空兵力の強化が未完の状態で陸上航空兵力を主体にした新しい決戦の実施など不可能である。

2011-07-22 01:24:25
のり @DDH_182_no2ri

つまり日本海軍は、無理だと分かり切っている作戦構想で対米戦を戦わなくてはならない羽目に陥り、そして尚且つ実際の戦局が短期決戦で終わるはずも無くずるずると長期戦に引き込まれ、にっちもさっちもいかない事態になったのである。

2011-07-22 01:25:08
のり @DDH_182_no2ri

「海軍は大艦巨砲主義に染まり航空主兵を理解していなかった」とする意見は、少なくとも海軍中央部においてでは当てはまらない可能性が高い。まず言えるのは漸減作戦が崩壊する直前まで、海軍中央部は大艦巨砲と航空主兵は漸減作戦という車の両輪だと認識していたという事である。

2011-07-22 01:26:03
のり @DDH_182_no2ri

では海軍の実戦部隊はどうかと言うとこちらは少々怪しい。というのも漸減作戦の崩壊から陸上航空決戦構想とでも言うべき新たな構想に切り替えようとした矢先に対米戦が始まってしまったため、同構想が実戦部隊に浸透しないまま戦争になだれ込んだ結果、中央と実戦部隊で構想の一致が不完全だったのだ。

2011-07-22 01:27:05
残りを読む(17)

コメント