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"フォイエアアテム" 馬首の騎士が、奇妙な兜の奥からくぐもった声でつぶやく。いつしか夢の舞台は要塞の地下深く、巨人のために鋳られた大扉の前に移っていた。 "フォイエアアテム" 「ア゙ー」 名前をなぞろうとして、喉から言葉は紡げず、ただしわがれた鳴き声がこぼれるだけだった。 「ア゙ー」
2020-12-14 21:57:35「殿様…殿様…ええいこのトウヘンボクいつまで寝てんだい」 誰かが懸命に話しかけている。 鳥籠の騎士がまぶたを開き、首を巡らすと、小太りの女が口をぱくつかせ、指で裏口の扉を指している。
2020-12-14 21:59:03重々しい足音が聞こえてくる。 男は立ち上がって、檻を背負い直し、拍車を鳴らしながら歩きつつ、ゆっくりと扉の真横に陣取り、短剣を構える。
2020-12-14 22:01:16錠前が外れ、閂が抜ける響きがして、扉はゆっくりと開いた。 まずぬっと大きな牛の頭、次いで巌を積み上げたような肩が潜り抜けてくる。さらに人間の頭より大きな乳房とその先端を貫く鋲につながった鎖も。
2020-12-14 22:03:47鋭くとがった角を持つ獣の首は、明らかに雄をかたどっていたが、肩から下はどうやら女であるらしかった。とはいえ横幅だけでも鳥籠の騎士が二人並んだほどあり、前かがみになっているだけで背もはるかに上回る。
2020-12-14 22:05:25牛首の籠番は、乳房をつなぐ鎖に鍵束を吊るし、革の腰巻を締める帯に鋲を打った棍棒をさしていた。 異装の巨女は初め誰かを探すように被り物の鼻面を左右に動かした。
2020-12-14 22:10:33はやく、はやくと床屋は合図していたが、鳥籠の騎士はあまりの図体に急所を定めきれずためらい、やがて足を狙うべく低く構えた。 短剣を握りしめ、突きかかろうとした刹那、拍車の音が牛首を振りむかせた。 騎士はしくじったとほぞをかんだが、籠番は意外にも無防備に向き直っただけだった。
2020-12-14 22:14:34鳥籠の騎士は短剣を投擲して標的のむきだしの太腿に突き刺すと、背負っていた檻をおろして、鉄球のごとく振り回した。 要塞のほかの兵とちがい、巨女は痛みに野太い叫びをあげ、もう一度、相手を牛首ごしに見定めようとした。
2020-12-14 22:17:22その横面に鳥籠がぶつかり、青い刻印が輝いて炎を発する。 だが巨女はこゆるぎもせず、痩躯の男が拍車を鳴らし、火花を散らしながら機敏に遠ざかるのを凝視しているようだった。 太腿に突き立った刃もものかは、岩山のごとく微動だにせず、やがて慟哭するよう吠えると、棍棒を引き抜いた。
2020-12-14 22:20:28牛首の籠番はそう速くはなかったが、しかし歩幅が広く、さらに長い腕を持ち、鈍器は恐るべき間合いを誇った。 唸りを上げてそばを掠める鋲付きの棍棒を、ただ一撃でも身に受けようものなら、骨はばらばらになって砕け、臓腑は爆ぜるだろう。
2020-12-14 22:22:58巨女が猛撃を繰り出すたび、たわわな乳房が左右に揺すれ、黒ずんだ先端に打たれた鋲と鎖がきしんで、間にぶらさがる鍵束も耳障りな音を立てる。 だが痛みを感じないのか、あるいは激昂のあまり意に介さないのか、太腿に食い込む短剣さえまるで虫が刺しただけであるかのように、荒々しく暴れ続ける。
2020-12-14 22:26:57鳥籠の騎士は死角へ回り込み、再び鉄球のごとく鳥籠を振るって牛首を打とうとしたが、向こうは巨大な掌ではっしと受け止め、逆に掴んで振り回し、円蓋をかたちづくる曲壁に叩きつけようとする。 「ア゙ー!!」 男は叫びながら宙で身を丸めて向きを変え、足から先に壁に着ける。拍車がぶつかって、
2020-12-14 22:29:23火花を散らすと、騎士の腰から靄のような後ろ半身が生じ、おぼろな半人半馬の姿をとると、そのまま壁面を蹴りつけて跳躍した。 牛首の籠番は一瞬見とれるように動きを止めた。
2020-12-14 22:32:05虚空をよぎりながら、騎士は鎖をもぎはなすと、袖に隠していた弩の鏃(やじり)を滑り出させ、先程の短剣のように投擲した。 奇妙な飛び道具は過たず牛首の籠番の左の眼窩に吸い込まれ、深々と奥まで食い込んだ。
2020-12-14 22:34:39巨女は鳥籠を放り出して叫び、被り物をかきむしりながら棍棒をむちゃくちゃに振り回した。 鳥籠の騎士は再び鎖を掴んで檻を引き寄せると、拍車を鳴らして火花を散らし、また透き通った後ろ半身を生み出して、棹立ちになると、吶喊をかける。
2020-12-14 22:36:14だが図体の大きな敵に直接ぶつかるのではなく、手前でまた拍車を鳴らして火花を散らしつつ巻乗りのごとく円弧を描かせると、加速をつけた鳥籠を牛首へ打ち込んだ。
2020-12-14 22:38:48籠番はのけぞり、膝をつくと、棍棒を落とした。 一方、騎士は曲線の軌道を描く疾走の途中で転げ、ぐるぐるとでんぐり返りながら壁にぶつかった。 「グエエエ」
2020-12-14 22:40:50拍車がまた鳴って、火花を散らす。 巨女は音のする方へ腕を伸ばし、何かを求めるように指を開き閉じてから、乳房をつなぐ鎖の刻印を青く煌めかせ、やがて全身を燃え上がらせて灰に還った。
2020-12-14 22:42:13鍵束がじゃらりと床へ落ちる。 「いひゃぁあ!あの籠番をしとめちまった…殿様は本当に王の騎士?鳥みたいにひらひら飛び回ったかと思ったら、軍馬(いくさうま)みたいに駆けたり…おまけに鳥籠をぶん回して戦うなんて、どんな競技会だって見たことがありませんよ!」
2020-12-14 22:45:09床屋のシルバシェラが昂ってまくしたてるのへ、鳥籠の騎士はうめきながら立ち上がる。 「ひょっとしたらあの馬の頭の兜をかぶっただんまりやの騎士も、殿様がやっつけたんです?たいしたもんだ!いひひ!いひひひ!」 男はのろのろと燃えかすの中から鍵束を拾い上げると、やかましい女の檻へ近づく。
2020-12-14 22:47:58鳥籠には鍵穴らしきものは見えなかったが。鍵束を近づけると、一本が青い輝きを発した。それととって近づけると、格子に触れた瞬間に籠の一面が開く。 「自由だ!あたしは自由ですよ!殿様!ありがとう…ありがとう…ほんとに…もうだめかと思ってましたよ」 小太りの囚人はよたよたと外へ出る。
2020-12-14 22:50:21「さて…だけどこれからどうしたらいいんだろ。この砦の兵隊どもはどいつもこいつもおかしくなっちまってるし、あたしに髭剃りだの散髪だのを頼んでくれそうもないでっすしねえ…いったい手入れはどうしてんだか…ああ…せめて商売道具がありゃあねえ…」
2020-12-14 22:52:25「グワー」 「探してきてくださるんで?さすが殿様だ…騎士の道ってものを心得てなさいますよ。殿様のおぐしもおひげも、これからずっとただで整えさせていただきますよ…鋏や剃刀や櫛を取り戻していただけりゃ…ですが」
2020-12-14 22:54:06