「息を引き取った人はポーンと列車から投げて捨てられてた」90代の入院患者さんから聞いた「シベリア抑留の体験談」

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ノトヴェイト @prime51041373

90歳代の入院患者さんからすごい話を聞くことができた。 検温の時に「若い頃はシベリアにいた」と。俺が思わず「え?シベリアに抑留されてたんですか?」と聞くと「はい」と。それで、俺も興味があったので少しお話させてもらった。以下におの人から聞いたお話を要約して記す。

2021-01-02 20:48:10
ノトヴェイト @prime51041373

90代男性患者の話 ロシア人の言うことは嘘はかり。「国に返してやる」と言われて列車に乗ったらシベリアに連れて行かれた。当時自分は民間の仕事で満州にいた。シベリアでは森林伐採をさせられた。ある時、37℃ちょっと熱が出て、そしたら通訳やってた人が自分の先輩で「お前すぐ入院しろ」と言って

2021-01-02 20:55:29
ノトヴェイト @prime51041373

入院の手続きをしてくれて、それで入院したら帰国する列車に乗せてもらえることになった。完全に仮病だった。シベリアには4年いた。その先輩はその後どうなったかわからない。ロシア人の言うこは本当に嘘。誰それがあそこで亡くなったとか埋葬したとか、そんなのは全部嘘。具合が悪くなったり

2021-01-02 20:59:12
ノトヴェイト @prime51041373

息を引き取った人はポーンと列車から投げて捨てられてた。誰がどこに埋められていとか、そんなのわかるわけない。ロシア人は嘘ばかり言ってる。 これはすげぇこと聞いた。俺は仕事中だったけど思わず直立不動になってた…

2021-01-02 21:01:50
桜に百年の樹少なく松に千年の緑多し @doilf5_w

@prime51041373 祖父がシベリア抑留組。ロシア語が話せたので、通訳として厚遇されたようです。日本の物資にあったスルメをこれは何だと聞かれ、靴の中敷だと言ったら貰えたので、捕虜仲間とこっそり焼いて食べたとか。あっちでもモテたから青い目の親戚がいるかもな、と大叔父に葬儀の日に聞かされて私動揺www

2021-01-03 05:03:26
ノトヴェイト @prime51041373

@toodukamamiya 貴重なお話ですね。お祖父様のご苦労様が窺われます。 私にお話してくれた患者さんも「若い頃は苦労した」と言ってました。帰国してからも苦労があったようです。今度その話も聞いてみようと思います。

2021-01-03 10:21:39
空飛びマン @soratobiman

@prime51041373 私は昔特養で働いていた時に、ノモンハンの生き残りの方がいらっしゃいました。 あれにはびっくりしたなぁ。。。

2021-01-03 22:36:24
ノトヴェイト @prime51041373

@soratobiman おぉ、ノモンハン事件の経験談ですか。それは貴重ですね。 ノモンハン事件は日本陸軍の目を南方へ向けさせた契機となった戦いではなかったでしょうか。日本陸軍は関東軍を始め本腰を入れて仮想敵国・ソ連軍と戦ったものの歯が立たなかった… ぜひ、その方のお話も聞いてみたかったですね。

2021-01-03 22:50:31
めなぞ~る♪ @menazor

@prime51041373 20年くらい前に死んだウチの親父もシベリア抑留経験者でしたねえ。トロッコの事故で片耳をほとんど引きちぎられるほどのケガを負ったが、たまたま腕のいいロシア人の女医につなげてもらった話とか聞きました。

2021-01-04 00:43:39
めなぞ~る♪ @menazor

@prime51041373 収容所には本とかないので、普段本とか読まないような人でも文字に飢えてて、それを狙ってロシア人はマルクスとか共産主義とは何ぞや、みたいな本をポンと差し入れると、そんな面白くもない本でもみんな争ってよく読んだ、とか。

2021-01-04 00:46:38
めなぞ~る♪ @menazor

@prime51041373 それで共産主義に目覚めたかというと全然そんなことはなく、ぜんぜんアカ嫌いでしたが(笑)

2021-01-04 00:49:20
めなぞ~る♪ @menazor

@prime51041373 しかし引き上げ後、警察官になったんですが、大阪の西成あたりにはルンペンのくせに妙に学のある乞食とかいて偉そうに共産主義のことを語るので「ほなオマエはマルクスとレーニンの違いとかわかっとんのか!」とかいってへこませて「あの時読んだ本が役に立ったわ」とか言ってましたが(笑)

2021-01-04 00:49:53
🍿🇺🇸ぴよ🐸🇯🇵🍿 @aquapiyo

@prime51041373 祖父が列車の中で仲良くなった満州人から、この列車はシベリアに行くんだよ、なんであんたたちそんな楽しそうなんだ(祖父の部隊は知らされておらず遠足気分)川を渡る橋でギリギリ速度落としてやるから、飛び降りるならその時と。祖父とあと数名が脱出に成功したとよく聞かされました。

2021-01-03 15:34:42
ノトヴェイト @prime51041373

@aquapiyo ありがとうございます。お祖父様は抑留することなく帰国されたのですね。 今回のツイートに対するリプの中には、ぴよさんのようにご自身の聞いた当時の体験談を教えてくれる方が何人かいます。どれもとても貴重なお話です。どうにかこれらのお話を語り継いでいきたいですね。

2021-01-03 15:50:30
🍿🇺🇸ぴよ🐸🇯🇵🍿 @aquapiyo

@prime51041373 ありがとうございます。中国残留孤児やシベリアから戻された方の報道を熱心に観ていたのを覚えています。口数の少ない祖父でしたが、お酒を飲むと満州の話を聞かせてくれていました。

2021-01-03 15:55:53
めるま @westymilk

@prime51041373 友人のお父様はシベリアから昭和27年に帰国されたそうです。 食事が小さな饅頭(まんとう)のような物とたくあんだけだったのでずっとたくあんが食べられず、友人とお母様はこっそりたくあんを食べていたそうです。 皆様ご苦労なさって、無事に帰還できるのは奇跡のようですね。

2021-01-03 20:08:05
ノトヴェイト @prime51041373

@westymilk 終戦から7年後に帰国…大変なご苦労をなされたのでしょう。 「たくあんが食べられない」 壮絶な体験が窺われます。現代に生きる我々には想像もできない。だけど、先人のそのような苦労があるから今の我々の幸せな生活があるのですね。 我々は先人達の犠牲を決して忘れてはなりませんね。

2021-01-03 22:38:47
KàrenKäminSkiski@Having a little Snooooze @KarenKaminSkiii

@prime51041373 父方の祖父がやはりシベリア抑留組でなんとか帰還しましたが、その後数年寝たきりだったそうです、晩年近くになってもあまり当時の詳しい話は聞けませんでした。とにかく寒いのと、食べ物が無くて虫をとってまで食べたと言っていたような、、、友人も多数失いとても色々家族に話せなかったのかなと(泣

2021-01-03 22:57:41
ノトヴェイト @prime51041373

@KarenKaminSkiii なんと、寝たきりになるほど壮絶な体験をなされた…お祖父様のご苦労が忍ばれます。 死と隣り合わせの状況…現代に生きる我々には経験できないし、したくもない。しかしお祖父様はそれを経験された…なかなかお話されなかったのは、やはり思い出したくなかったのでしょうか…

2021-01-03 23:26:31
KàrenKäminSkiski@Having a little Snooooze @KarenKaminSkiii

@prime51041373 腎臓を片方失い傷痍軍人となりましたが、祖父はその後結婚もできその時亡くなられた方々に比べたら不幸中の幸いだったかも知れません。お酒に酔うとブツブツ何かをこぼしていて不気味に思えましたが、今はお酒を飲んだ時でもないとその頃のことを回想も出来なかったのかなと(汗

2021-01-03 23:35:14
ミルヒャス @MILCHSNACK

@prime51041373 私の祖父96歳もシベリアから帰還しました。 2年前に念願だった舞鶴の引揚記念館に伺いました。頑固な祖父も懐かしくて涙するのではと思ってましたが、悔しさや怒りが蘇ったようで終始唇を噛みしめていました。長い年月を経てもなお当時の記憶が鮮明に残っているようです。

2021-01-04 01:49:55
ミルヒャス @MILCHSNACK

@prime51041373 祖父の記憶をどうにか残しておきたいのですが、どんな形がいいのか...

2021-01-04 01:55:47
ろすまりん🌿8964 六四天安門 🐻 @amenbowater

@prime51041373 うちの親戚(既に他界、生きてれば100近い位)の話。母からの又聞きだけど。シベリア抑留でみんな重労働、食べ物ないでバタバタ倒れていく。冬場雪が積もってるので、何処からか馬を盗んできて雪の中に隠し弱った仲間に食べさせた。見つかれば銃殺。自分からは言わなかったが、戦後助けて貰ったと

2021-01-04 03:02:00
🦋アイスティー🎧🎮 @icetea730

@prime51041373 シベリアは大変なんですね。 ウチの育ての母親(故人、大正13年生まれ)は慰問団として満州に渡り、芸事を見せて回ったそうです。 「前線は悲惨だったらしいが私らは安全な所を回り、東京大空襲とか戦争の大変さをほとんど知らない」って言ってた。 タイミングによって戦争の経験が全く違うようです。

2021-01-04 04:39:29
gaw # DOJ🛡No.30 @ya_gaw

@prime51041373 貴重な話ですね。 自分の祖父は終戦時、軍人として満州の奉天に居たので立地的になんとか帰って来れましたが、もし帰ってきていなければ、戦後生まれの父親含めた父方の親類はこの世に居なかった…。 そうなれば必然的に自分も今この世に生きては居ない…。 感謝しかないですね…。

2021-01-04 05:03:45