魏志倭人伝を解読してみる🔍🤔

邪馬台国を北九州説だとすると吉野ヶ里遺跡のみで根拠が薄くなってしまう。丁度発掘された同時代の遺蹟や遺物が大体筑紫のみならず出雲や畿内にも大量に出て来るのだから益々暗礁に乗り上げるばかり。 ・邪馬台国が確認された頃の女王卑弥呼(卑彌呼)は既に高齢 ・文献から出て来る倭人達の言葉は地名人名含めて「木」「子」「日」など一語で済ます単音節言語ではなくなっている ・倭国の公用語は漢語(日本書紀成立時まで公用語が漢語、もっと言えば明治時代の公文書は漢文) 続きを読む
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

NHKBSで邪馬台国の番組やってたみたい。音韻についての話は無さそうなので、邪馬台国の当時の発音が「やまたい」では無いことは説明されて無さそうでした。

2021-01-01 20:56:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

現在、米国の『魏志』倭人伝研究では主流になってるというアクセル・シュスラーの「後漢時代中国語」の発音から、邪馬台国の邪馬台は「ヤマト」と読める範囲内だということが明らかにされてます。

2021-01-01 21:09:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヤマトは、「山の入り口」もしくは「山+処」を意味する地形地名でして、奈良盆地東南部が古く「ヤマト」と呼ばれたことは、よく知られてます。例えば地名「奈良」も日本各地にありますが、鎌倉幕府の鎌倉が、偶然そこも奈良という地名で、奈良幕府と呼ばれる可能性を議論するのは現実的でしょうか…

2021-01-01 21:13:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「邪馬台国はどこにあっても良いんだよ」と「九州説VS畿内説」という枠組みは、もうこれからの研究の展望に合って無いと思うんですよね。とくに畿内説については、奈良県にあると言うだけで強固な日本国家が存在してたと早合点されやすいのは、問題です。

2021-01-01 21:20:30
巫俊(ふしゅん) @fushunia

最近の考古学では、纏向遺跡が「邪馬台国」だとするのが有力になっていますし、卑弥呼は「倭の女王」であり、邪馬台国=ヤマト(奈良盆地東南部を指す地名)は、あくまで魏使が訪れた頃の居所に過ぎないと思います。 twitter.com/fushunia/statu…

2021-01-01 21:28:06
天孫降臨 @tennsonn11

「九州の卑弥呼・邪馬台国」と「畿内の台与・邪馬台国」でいんじゃない。「二つの邪馬台国」こうしたら戦う必要もないし、私的には、本居宣長の邪馬台国説が真実味をおびてきそうだけどね。

2021-01-02 08:47:04
未開の住人 @kokirikoo

@fushunia @muhedoruri 大和国の姫巫女=「邪馬台国の卑弥呼」ですよね

2021-01-02 18:50:39
せるふぃむさん @seruphim_THCM

つーか、巫俊(ふしゅん)さんって考古学者だったのか……

2021-01-02 18:52:27
秋都禰 〖𝔐𝔞𝔠𝔖𝔦𝔬𝔫𝔫𝔞𝔦𝔤𝔥〗 @akitune

これ見て「華奴蘇奴国」のとこにある「(丹後国風土記)」が気になって調べてみたら風土記に登場する人名と同じ「和奈佐」という古地名(および和奈佐意曽神社)が現・徳島県海部郡にあるのだな 当地にある芝遺跡は外来の搬入土器が多く発見され交易拠点だった様だ sitereports.nabunken.go.jp/ja/33233 twitter.com/cicada3301_kig…

2021-01-02 20:39:28
すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig

邪馬台国の地名列挙パート、乱雑に並べてあるようにしか見えないがラストだけ動きが追えるので、それが正しいなら「躬臣」は毛国ではなく京都南部付近に欲しい pic.twitter.com/w4glafQgUe

2021-01-02 16:45:53
リンク sitereports.nabunken.go.jp 芝遺跡
巫俊(ふしゅん) @fushunia

季節風の吹く方向が「ニシ」の古い日本語で、漢語方位「北」に誤って翻訳されたので、『魏志』倭人伝の方位がおかしくなってるとのお話がありますが、ニシの反対の「南」に行くはずなのに西に向かうのは、何か良い説明がほしいところです。 twitter.com/cicada3301_kig…

2021-01-02 20:57:16
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@kokirikoo @muhedoruri 姫巫女説は、言語学に詳しい人たちからは、支持されて無いようです。卑弥呼の呼がHの音なので、古い日本語の語尾の特徴か何かだと想定し、女を意味する「姫」の古語か、「秘め」の古語ではないか?などと議論されてますね。

2021-01-02 21:10:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@kokirikoo @muhedoruri 歴史学の方からは、巫女は「御子」が語源とされますが、古代の日本語「子」(こ)は、男性のみを指す言葉で、「彦」と「姫」が男女で対になってますから、卑弥呼の呼を「子」と解釈するのは、疑問が残ります。イザナキ、イザナミも語尾がK音(男)とM音(女)で、対になってます。

2021-01-02 21:14:38
the loyaltouch @theloyaltouch

@fushunia 一応自説としては3世紀あたりの日本語「ニシ」の方角は ・狗邪韓国~奴国までは北 ・不弥国以降は西 を示すとしているため、不弥以降は西の逆東に行くことで解決します

2021-01-02 21:15:52
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@theloyaltouch 出雲(於投馬国)からヤマト(邪馬台国)へは、日本海から若狭湾に吹き抜ける風を利用して、一気に航海できたようですが、その後に出てくる国々がどこなのか、が課題ですね。

2021-01-02 21:22:53
鬼塚健太郎 @KentaroOnizuka

@theloyaltouch @fushunia 投馬國、出雲か吉備か、人口から考えて、出雲だろうとおもいますが。 比定が合意されている末盧國から奴国までが、東南とされていて、実際は東北なので、ここまでは、90度ずれてまして、そうすると、瀬戸内海航路は東南にならず、日本海航路で、途中から陸路で奈良でしょうね。

2021-01-02 21:25:44
イヌノ マキビ @shinoburi4989

@tennsonn11 女王国の中に邪馬台国があったと考えたら…女王国の一部に邪馬台国、 女王国に敵対する国は狗奴国、 問題は東鯷国、この国は女王国にとってどんな存在でしょう、 それとも一部…でしょうか?

2021-01-02 23:04:21
鬼塚健太郎 @KentaroOnizuka

@theloyaltouch @fushunia 考古学的に見て、卑弥呼の時代は、纏向では、布留0式からで、また、纏向の土器は非常に多数の地域の土器がでていて、中でも出雲の土器は多いです。 で、魏志倭人伝で、投馬國が出雲なら、魏の使者が、なぜ一般的な瀬戸内海航路ではなく、日本海航路だったか、というあたりが興味深いです。

2021-01-02 23:20:29
すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig

魏志倭人伝、ついに大筋で解読できたのでは pic.twitter.com/T0841BG3ka

2021-01-02 23:28:30
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ファン・エイク兄 @ish69fsp

遼東半島の豪族公孫氏は朝鮮半島に進出して帯方郡を建設した(楽浪郡の南部)。邪馬台国はこの帯方郡との交流のなかで先進文化を吸収した(特に鉄の輸入)。諸葛亮が没して蜀の力が衰えると、魏は公孫氏への攻撃を強化(238年)。魏と公孫氏が戦っている最中に、邪馬台国は魏に使者を派遣している

2021-01-02 23:33:55
すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig

魏志倭人伝の翻訳 ぜんぶ太字だと見にくいので修正しました pic.twitter.com/X4gGO52FDQ

2021-01-02 23:52:22
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すとまい @kaido_rakugo

これが正しいのであればガチでやべえ twitter.com/cicada3301_kig…

2021-01-03 00:09:13
原田。 @a1LeS_kLAr

邪馬台国の場所、遺物調査的には九州説有力だけど、言語論では畿内っぽい…? え、どうすりゃええの?

2021-01-03 00:16:29
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