- ShinShinohara
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両親は昔、大きな商売をしていた。その間はみんながチヤホヤしてくれた。しかし社内にいた親族の争いが絶えず、嫌気がさした両親は商売を手放した。その際、多額の借金を背負った。すると、「手のひらを返したよう」とはまさにこのこと、というように、人が近寄らなくなった。もう面白いほど。
2021-01-16 00:31:04ところがごく少数なのだけれど、以前と以後とで全然態度が変わらない人がいた。そうした人は、父や母が社長と社長夫人だったとき、ヨイショしなかった。「今日も暑いですねえ」。両親が失敗者になっても「今日も暑いですねえ」。その人は、両親の「素」を見ていた。そして態度は変わらなかった。
2021-01-16 00:35:31似たような経験を私はもう一度することになる。「京都大学に合格するかもしれない人間」とみなされているとき、妙にチヤホヤする人が多かった。しかし母が大病し、家事をやらねばならず、どうにも勉強が足りなくて落ちた時、人がスーッと引いていった。
2021-01-16 00:37:13第二志望の大学に合格した時でも、「京都大学に受かることができなかった人」扱いをする人が多かった。そんな中、お向かいに住むおばあちゃんが涙を流して喜んでくれた。「あんた、お母さんが倒れて料理とか家事をやって、本当によう頑張ったね」といって、合格祝いを下さった。
2021-01-16 00:39:18そのおばあちゃんは「京大に受かるかもしれない人」から「京大に受かることができなかった人」に私が変化する前後で、全然態度が変わらなかった。私が夕食の買い物に行くときに「あんた、本当に偉いねえ」といつも声をかけてくれた。第二志望合格時も、大学名より、家事の頑張りのことを言ってくれた。
2021-01-16 00:42:11それはその時、私が一番欲しい言葉だった。京大落ちたのは仕方ない。勉強が足りなかったのだから。けれど、母が倒れた時に家事から逃げなかった。商売を手放した時にできた借金が巨額で、父は必死に働いていて、家事はどうしても私がせざるを得なかった。そこから逃げなかったのが誇りだった。
2021-01-16 00:43:58けれど、世間は「京大」しか見ない。それに合格したか落ちたかしか見ない。母親が大病で家事ができない中、それを肩代わりしたなんてことは誰も見てくれない。評価してくれない。そう思っていたら、お向かいのおばあちゃんは見てくれていた。しかも涙まで流してくれて。
2021-01-16 00:45:15私はその時、あらためて痛感した。社会的成功の有無で態度を変えるような人のことは、まあお愛想笑いで流してしまおう。社会的地位だとか成功だとか関係なしに、「素」を見てくれる人、「素」で付き合える人、態度が社会的地位などでは変わらない人こそを、大切にしよう、と思うようになった。
2021-01-16 00:47:22それでも苦悩は続いた。翌年、京都大学に合格すると「手のひらを返したように」チヤホヤする人ばかりが周りに現れた。「素」でつきあえる人とつきあいたいのに、チヤホヤ族が私を包囲する。「しまった、京大なんか行くんじゃなかった」鬱状態が3年ほど続いた。
2021-01-16 00:49:40そんな中、高知に一人旅に行った時、ぬれねずみになっていたところ、声をかけ、泊めてくれた老夫婦のことは前にも紹介した。「素」でつきあえる人がいる、ということを再認識させてくれた出来事だった。 togetter.com/li/1623016
2021-01-16 00:51:40それでもなお、チヤホヤ族は多い。気分がずっと重かった。このままチヤホヤ族に囲まれて生きなきゃいけないのか?お先真っ暗な気分。それを振り払う出来事が起きた。阪神大震災。
2021-01-16 00:53:21私は、週末だけの義援活動をしただけだから大したことは何もしていない。しかし痛快だったのは、学歴だとか社会的地位とか、被災地では何も関係がないこと。被災地で何ができるか。私たちは必死になって考え、行動した。
2021-01-16 00:56:43トウモロコシみたいに黄色い髪の毛した若者は、餅つきで威力を発揮した。料理をしたことがなく、絆創膏だらけにした手で「もっと勉強しとくんだった」と泣きながら料理をした子もいた。黙々と水を運ぶ子。お湯を沸かす子。様々。
2021-01-16 00:58:47ボランティアの一人が「俺、今この場で死ねたらムチャクチャ気持ちいい」と言った。被災地に入るまでは、自己嫌悪でいっぱいだったという。ボランティアに行くのも自己満足じゃないか、自分を善人だと他人に信じ込ませるダメの偽善じゃないか、と、自分が嫌いで仕方なかった、と。
2021-01-16 01:00:02ところが被災地の惨状を目にし、それまでクヨクヨ考えていたことが吹っ飛び、寝るのも忘れて連日、何が自分にできるかと走り回って、ふと気がつくと、人のために必死になって動いている自分を発見して、初めて自分を全面的に肯定できたのだという。しかし。
2021-01-16 01:01:12「もし都会の日常に戻ったら、きっと利己的で偽善的な自分に戻ってしまう。そしたらきっと自分が嫌いになる。だったら、自分を好きになれたこの瞬間に死ねたら、自分を肯定したまま死ねて気持ちいい」と言った。私も同感だった。
2021-01-16 01:02:18阪神大震災で、私は腹をくくれた。「好きに生きよう」。社会的地位とか成功で右往左往するのはもう願い下げだ。人と「素」で向き合いたい。「素」でつきあえる人と出会いたい。そのためには、自分自身が「素」で勝負できる人間になろう。そのために好きに生きよう。
2021-01-16 01:04:18面白いもので、私がこうした生き方を選んでみると、似たような人と出会う確率が増えた。社会的成功だとか地位だとかに全然頓着せず、「素」で向きあえる人と出会えるようになった。「素」の私を面白がってくれ、私も「素」のその人を面白がる。
2021-01-16 01:06:38一つには、インターネットのおかげもある。身近な中では、出会いも限られる。しかしインターネットは、「素」で向き合える人と出会える確率を劇的に高めてくれた。私と同様、「素」でつきあえる人を求めている人に出会えるようになった。
2021-01-16 01:08:56社会的地位とか社会的成功をちらつかせて「さあ、俺をチヤホヤしなさい」という態度に出る人に、いまだに出会うことがある。うん、それで?あなたの「素」はどこなん?そのヨロイを脱いで、柔らかくてあたたかな「素」を見せてごらんよ。恐くないから。
2021-01-16 01:11:11社会的成功だとか地位だとかで態度を変える人は、まあ実際にいるから仕方ないけれど、あまり付き合う価値を感じない。しかしそんなものに頓着せず、「素」でつきあえる人は、気持ちいい。そういう人間関係を、私は大切にしたい。
2021-01-16 01:13:04