【キューガーデン:大英帝国植物政策の司令塔】-西欧の生態資源支配の最終形態-

石油化学や金属工学が未発達だった19世紀以前、生物由来の資源は現在とは比較にならない重要性を持っていました。殊に植物は、食糧や衣類に留まらず、船舶や建物の資材、薬品など幅広い用途があったのです。 そんな時代に大英帝国の制度化された植物政策の司令塔として機能し、帝国各地に設置された多数の植物園と緊密なネットワークを形成、国外の戦略的植物を収集し、帝国内に定着させることに成功したキュー植物園。 パクス・ブリタニカを支えた知られざる国家機関の全貌を素描します。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

【キューガーデン:大英帝国植物政策の司令塔】 -西欧の生態資源支配の最終形態- 石油化学や金属工学が未発達だった19世紀以前、生物由来の資源は現在とは比較にならない重要性を持っていました。殊に植物は、食糧や衣類に留まらず、船舶や建物の資材、薬品など幅広い用途があったのです。 pic.twitter.com/6Jjxb8bR8E

2021-01-16 17:50:43
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大航海時代以降、「新大陸」とアジア・アフリカへ進出した西欧人は、世界各地で有用な植物・動物を手にし、それを他の地域へ(多くの場合自分の植民地へ)持ち込みました。 このグローバルかつ大規模な生物の移転は、主軸となる欧州-新世界間の所謂「コロンブス交換」など、多岐にわたります。 pic.twitter.com/igifSiOTbb

2021-01-16 17:51:12
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米国の歴史学者A・W・クロスビーは、著書「Ecological Imperialism」の中で、この過程を旧世界による新世界への一種の生態学的侵襲と捉えています。それは、南北アメリカ大陸やオセアニア等において、広大な土地の植物相・動物相を根底から改変し、先住民を駆逐、西洋の支配を確立しました。 pic.twitter.com/6bEtE8jUdp

2021-01-16 17:51:43
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かくて得られた巨大な植民地は、西欧列国へ食料や植物・鉱物資源を大量に供給しました。それは、ヨーロッパが飢餓を克服し、近代化を成し遂げる上で、非常に重要な意味を持ったのです。 本稿の主役である英国のキュー植物園は、そうした時代の最中、産業革命黎明期の1759年に開設されました。 pic.twitter.com/6Qw55bf5Zb

2021-01-16 17:52:21
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そして18世紀末から20世紀初頭まで、大英帝国の制度化された植物政策の司令塔として機能。帝国各地に設置された多数の植物園と緊密なネットワークを形成し、国外の戦略的植物を収集し、帝国内に定着させることに成功しました。 そのなかには、茶樹、キナの木、マホガニー、ゴムの木などがあります。 pic.twitter.com/1u5256dQ67

2021-01-16 17:52:55
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植民地大臣ジョセフ・チェンバレン(任期1895-1903)はこう述べています。 「今日、重要な植民地における繁栄は、キューガーデンの権威と援助によって実現した、知識と経験によるものと言って差し支えない」 前置きが長くなりましたが、今回は大英帝国の覇権を陰で支えたキュー植物園のお話です。 pic.twitter.com/raUOoSjJyj

2021-01-16 17:53:35
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まずは、同植物園設立までの近世西欧の生態資源支配について概観しておきましょう。かの「コロンブス交換」は、他ならぬクリストファー・コロンブス自身が先鞭をつけました。1492年の航海では、カリブ海の島嶼でトウモロコシ、サツマイモ、トウガラシ、カボチャ、タバコなどを入手しています。 pic.twitter.com/wfBYt0QFRt

2021-01-16 17:54:10
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翌1493年、彼は「インディアス」に恒久的植民地を建設すべく、17隻、1,500名の大船団を率いて2回目の航海に出港。小麦、サトウキビ、ブドウ、牛、馬、豚などを西インドに持ち込みます。 なかでも、サトウキビはこの地に輝かしい繁栄と、筆舌に尽くしがたい惨禍をもたらすでしょう。 pic.twitter.com/EyATSizM58

2021-01-16 17:54:47
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東南アジア原産と考えられるこの植物は、インドを経由してムスリム商人が地中海へ持ち込みます。十字軍などを通じて砂糖の味を知った西洋人は、当時極めて高価であったこの産物の国産化を試み、15世紀にはポルトガルがマデイラ島やアゾレス諸島での栽培に成功。しかし産出量は僅かでした。 pic.twitter.com/wT00jEwBk8

2021-01-16 17:55:32
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ところが、コロンブスと彼に続く航海者たちが「新大陸」を「発見」すると状況は一変。サトウキビの栽培に適した暖かく雨量の多い土地を得たことで、西欧は大規模なプランテーションを基盤とする砂糖の大量生産に乗り出すのです。 pic.twitter.com/3zJq02GJOe

2021-01-16 17:56:14
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16世紀にはポルトガル領ブラジルが、17世紀にはカリブ海に浮かぶ英領バルバドスや仏領マルティニクが有力な産地となり、本国に莫大な富をもたらし、市民の生活水準を改善しました。(なお、19世紀初頭には英領西インドは西欧世界の砂糖生産の4割を占めるまでになります) pic.twitter.com/8xn6YWKrIA

2021-01-16 17:56:53
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最初期の農園では先住民が使役させられましたが、酷使と疫病の為に早々に死に絶えると、アフリカから連行した黒人奴隷が用いられるようになりました。(新大陸の先住民は8,000万を数えましたが、50年で1,000万人に激減する一方、15~19世紀にかけて運ばれた黒人奴隷は1,000万人に上るといわれます) pic.twitter.com/dcWAHN9Xf7

2021-01-16 17:57:32
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新大陸の人口を激減させた病原体(天然痘、チフス、インフルエンザなど)の伝播も「コロンブス交換」の一部であり、西洋人の征服者にとっては姿の見えない同盟者だったのです。かくして緑豊かなカリブの島々の生態系はそこに暮らした人々もろとも消滅し、広大な砂糖農園が残されました。 pic.twitter.com/xDvCRPHe0w

2021-01-16 17:58:12
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砂糖の他、カリブ海ではタバコ(西インド原産)や綿花(インド原産)も生産されました。またフランスはコーヒー(エチオピア原産)、スペインはカカオ(中南米原産)を栽培し、それぞれ大きな利益を上げています。(なお、オランダは蘭印でコーヒーを生産しています) pic.twitter.com/Gqk4XrDqb0

2021-01-16 17:58:54
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西洋人が持ち込んだ小麦は、今日南北の両アメリカ大陸で大量に生産されており、近年の作付面積は北米だけで日本の国土の65%(アメリカ:18万㎢、カナダ:7万㎢)に相当します。また、輸出量に占める新世界(南北米州+オーストラリア)のシェアは約50%に上ります。 pic.twitter.com/GGUUrIY2V7

2021-01-16 17:59:33
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え?いきなり現代の話するなって?済みません、小麦については昔のデータがあんまりないんですよね。北米では、18世紀初頭まで輸出用産物は専らタバコで、同世紀の間に小麦の生産が急伸、カリブ海や欧州への供給が拡大し、最大の輸出品になったようですが。 pic.twitter.com/evHwsSL7We

2021-01-16 18:00:15
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かくして18世紀に欧州、アフリカ、北米、カリブ海を相互に結びつける環北大西洋貿易システムが完成。これは英国における産業革命の生起と発展を促す一助となりました。 pic.twitter.com/9ju31WeBfi

2021-01-16 18:00:56
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この仕組みは貿易とは言うものの、欧州の本国(特に英国)による植民地からの収奪の色合いが強い取引で、アフリカから新大陸へ奴隷を連行、新大陸(北米・カリブ海)で植物・鉱物資源を生産し本国へ移送、本国からは工業製品をアフリカ・新大陸へ供給しました。 pic.twitter.com/4EL4XWSH19

2021-01-16 18:01:34
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この経済的関係は、一般的に「三角貿易」(欧州-アフリカ-新大陸)と呼ばれますが、「砂糖やコーヒーの供給地としてモノカルチャー化した西インドが、食料供給を北米植民地に依存している」⇒「新大陸内の取引も重要である」、という点を忘れてはならないと思います。 pic.twitter.com/PRLyX19lqH

2021-01-16 18:02:16
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また、新大陸から砂糖・コーヒー・タバコ、アジアから綿製品(18世紀後半以降は北米から綿花を輸入し自国の工場で生産)・茶を獲得したことで欧州の生活は大きく変化しました(生活革命)。これらの商品は当初は奢侈品でしたが、18世紀末には市民階級の間に広く普及していたのです。 pic.twitter.com/VTALgIal7G

2021-01-16 18:03:03
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「コロンブス交換」で新大陸に持ち込まれたのは植物や病原体だけではありません。家畜もまた、重要な生態資源だったのです。パンパ(現在のアルゼンチンに広がる肥沃な平原)では、競合する動物がいなかったため、牛が大繁殖し、一部は人間の管理を離れて野生化しました。 pic.twitter.com/GCvRGOG02s

2021-01-16 18:03:45
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1700年頃に4,800万頭に達したとされるパンパの畜牛は、猛烈な勢いで草を食べ、在来の植物相を壊滅させてしまいます。この時急速に勢力を広げ、パンパの土壌を守ったのはヨーロッパから偶発的に持ち込まれたクローバーやオオバコ、ペンペン草、ハコベなどの「雑草」でした。 pic.twitter.com/gY18EBta56

2021-01-16 18:04:28
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強靭な繁殖力を持つこれらの外来植物はパンパの大地を埋め尽くし、1920年代には自生する植物の8割を占めたと言います。同様のプロセスは、時期や変化のスピードこそ違えど、北米や豪州でも進展しました。 例えば北米の雑草の6割が外来種です。(画像は北米で野生化・繁殖した馬、マスタング) pic.twitter.com/xo65AAZ7dT

2021-01-16 18:05:12
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後にキュー植物園の園長をつとめるJ.D.フッカーは1840年頃、こう述べています。 「オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの地方的な植物の小さな属は、結局、大部分消滅せざるを得まい。それと言うのも北半球から持ち込まれた植物はもともと攻撃的な性格が強い…からである」 pic.twitter.com/tRocK88ymJ

2021-01-16 18:06:10
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こうしてヨーロッパの植民地となった世界各地の温帯には、外来の雑草が侵入し、ヨーロッパ人が持ち込んだ家畜と共生関係を築いたのです。例えば、南アフリカでは植物種の3割、哺乳類の9割が外来種となっています。 (画像は南アフリカの放牧地) pic.twitter.com/iIKwdGrzkf

2021-01-16 18:06:56
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