
劇団トム論「無観客無配信公演」気づき
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Tom_Theory
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無観客無配信公演ということで「絶対に変な卓を使ってやる」と思って変な卓を直したりしていたけど、稽古への参加、打合せ、議論を通じて一周回ってCX-1203が一番良さそう。これは熟考の末の結論なので、最初からCX-1203を選ぶのとは違う。
2021-02-09 22:25:01
with no audience and no live streaming. twitter.com/Tom_Theory/sta…
2021-02-09 22:21:03
無観客無配信公演の稽古が終わろうとしている。本番が近づくから。 これまでの『岡田世界一周の旅』では役者に課されるタスクの量と世界一周の体験者であることにかまけて、テキストを読んでこなかった。いかに両立しうるかを突き詰めてやっていく。アクターズラボで学んだことを思い返してみよう。
2021-02-08 20:54:23
ここ数日の稽古でブログが原作であることと無観客無配信公演がマッチしてきた。過去公演から上演台本も変わる。ブログ外の内容を作品内で伝えなくていい。みんな知っているから。 この考えをヘタに突き詰めるとテキスト自体無くてもよくなる。やはり情報や知識ではない何かを突き詰めていかないと。
2021-02-06 21:35:33
今回の気づきを少しずつ書かなくなっているのは、書いたりはっきりと固定化して話すことに危うさというか勿体なさを感じているから。終わってからでも良い。それより今この目の前にあるふわふわとした触りにくいものをできるだけそのままにしておきたい。
2021-02-06 01:44:19
他方で、無観客無配信公演には共演者・演出家・照明オペレーターといった他者が存在する。観客の存在を無視していいが、そうした他者から見られていることまでを無視することは役者としてというか人としてできない。つまり、出せない身体や言葉が存在してしまう。
2021-02-04 22:49:30
無観客無配信公演ではコンテクストを観客に合わせる必要がない。上演内で観客とコンテクストを共有するための何かを入れ込まなくてもいい。稽古などを通して積み上げてきたものの上に本番を積み重ねればいい。観客の存在を無視するとはある種そういうこと。
2021-02-04 22:49:30
やりたいことというのを、やらなきゃ生きていけないようなことを一度疑ってそれでもなお残っていること、と置き換えはじめている。 やりたいことを探すのは暗中模索すぎるので、手掛かりとして義務や生理みたいなものを使ってみる。個人という枠の外に広がって考えられたらなおよい。
2021-02-04 14:04:32
今日の『”The Students”』の稽古でも思ったんですが、役を演じる、というのはやっぱり難しすぎますね。 僕の作ったレジュメを別の役者が読むことなるんですが、誰がその役をやろうと難しい。仮に僕が他の人の発表をするにしても難しい。 当たり前の難しさ、というより不可能さを改めて痛感した。
2021-02-02 21:54:03
初演の『”The Students”』で用意した上演台本『学生をたくさん集めてびっくりしたい』は、観客にあわせるために不本意ながらキャッチーなタイトルと内容に変えた。 無観客無配信公演ではそんな不本意はいらないので考えたいことをそのまま舞台にあげる。自分の中の欲の強さが試されている。
2021-02-02 21:43:50
本番では、役者はやりたいとかやりたくない以前に、やらなきゃいけなくてやることになる。(無理矢理)やりたい気持ちを作り上げてる、と言い換えられるかもしれない(言い換えれないかもしれない)。 あまりよく知らないけど、コンテンポラリーダンスやアレクサンダーテクニークがヒントになりそう。
2021-02-02 21:36:04
『岡田世界一周の旅』の出演者は、1回目が4人、2回目が15人、3回目が1人、そして今回4回目が3人です。 毎回出演している僕のセリフ量は、1回目は人生で1番多いセリフ量で、2回目で激減して、3回目は1回目の倍でした。 さてさてどうなることやら。頑張って言語化していきます。
2021-02-01 23:21:07
『岡田世界一周の旅』はこれが4度目の上演です。出演人数は毎回違って、上演台本も演出も毎回違います。 今回は無観客無配信公演なので、どこに向けて上演すべきかなかなかに分からないです。分からないその感じを無理に崩さず、誰のものでもあるようなないような、変な感じで創作を進めている感じ。 twitter.com/kuzukawayuri/s…
2021-02-01 23:07:29
。それをTwitterに書くと色々抜け落ちてしまいそうな気がしている。「観客の不在」、「観客が不在の公演」。さて、テキストの構成に入ろうか。
2021-02-01 21:34:26
今日は「岡田世界一周の旅」の稽古。こないだの土曜の稽古もそうだけど、気づきとかをTwitterに書くべきだと分かってはいるんだけど、まとまりが良い状態ではない。というか、説明するには煩雑なことのような、漠としたものが増えてきていて、でも確かに前進しているということだけは認識できている→
2021-02-01 21:34:26
他者に見せずとも楽しんでいた幼少期の「ごっこ遊び」。なぜそれを楽しめなくなってしまったのか。進歩か退化か。 登下校中の大冒険。現実世界を想像力で塗り替えて遊んだ毎日。越えられなかった「奈落」を遂に飛び越えられたときの達成感。 そんなこととかを考えています。
2021-01-31 00:34:27
、みたいな議論だった気がするけど上澄みしか覚えてないな…… 最終的に、役者の好きな照明の変化(フェードアウトとか)をずっとやってても良いのではという話にもなったけど、あれはどういう理屈だったっけ…? 舞台上で起こる出来事に呼応しないのは、照明家が気持ちよくないはずだが……
2021-01-31 00:24:27
今日は照明さんも稽古に参加。 役者も演出も照明も、観客が不在になったとき何を取っ掛かりに創作するのか。 本来的には自分たちで面白かったから他者に見せるという順序だと感じるのだけど、いざ他者という要素を無くすと何もできなくなる。 承認欲求に慣れ腐っているのか、動機の順番が逆なのか。
2021-01-31 00:18:08
同じ結果の可能性はあるが、照明家の仕事のうち「観客のためにしていること」は取り外せる可能性がある。 Q: 明るくすること自体が観客のためかもしれないので、真っ暗でも良いか? A: 照明を点けることで役者のテンションや満足感に良い影響を与える。 結論: 観客が不在でも舞台照明は点灯する。
2021-01-31 00:16:45
自分たちさえ楽しければ何でもいいのかという極論はさておき、少なくとも演者自身が楽しめる開演中であるべきだ。 一方で照明は?→照明家は、“舞台上の出来事に呼応した照明”を目指しているが、それ自体が気持ち良さにも繋がっているため、結局「自分が気持ちいい」を追求しても同じ結果の可能性。
2021-01-31 00:12:09
『岡田世界一周の旅』は人に見せることを目的としたブログが原作なので無観客無配信公演とは矛盾する。 でもブログは人に見せることだけが目的ではない。他人を介さず自分のためになっている部分がある。 他者と比較する「承認欲求」ではなく、自己と自己を比較する「達成感」を手掛かりに進める。
2021-01-31 00:08:57
演出家が不在になる前段として、「観客が不在になった今、誰のために公演をするのか?」という議論がある。 今まで観客に見せようと思って(動機は承認欲求はじめいくつかありそう)発揮していたパワーのベクトルは自分自身とか、演者相互の向きになる。∴極端な話「自分たちが楽しければいい」?
2021-01-31 00:07:17