渡邊先生の行動分析学関係のつぶやき
もともと人は「やるといいことがある」ことをしようとします。最初はその「いいこと」は生理的な快感だったりママのおっぱいだったりしますが,成長するにつれて「人にかまわれる」ことの優先順位が上がってきて,悪いことでもよいことでも人にかまわれることをやるようになります。
2011-07-25 19:49:10人にかまわれた喜びが内在化したものが「意欲」とか「動機づけ」です。他人にかまわれるためにやっていたことがそのうち「自分で自分をかまう」ことで維持されるようになります。「主体性」なども,そうした「人にかまわれることが内在化した機能」です。
2011-07-25 19:50:53さっき書いたように,主体性とか意欲といったものは「人にかまわれる喜びが内在化して,自分で自分をかまうようになったもの」です。まずは人にかまわれないと発達しない。RT @finalvent: ええ。主体性のない馬鹿。
2011-07-25 19:51:54もともと「人にかまわれる喜び」が遺伝的な基盤を持っているという意味では遺伝ですが,それが内在化して主体性だの意欲だのになるには「かまわれる経験」が必要です。 RT @finalvent: いや、遺伝でしょ。
2011-07-25 19:55:03逆説的に聞こえるかもしれませんが,「自分で考えて主体的に行動する子」にしたいならなおさら,他者との関係を悪くするような行動でなく他者との関係をよくするような行動によって「かまわれる」体験をたくさん与えなくてはなりません。
2011-07-25 19:56:45「主体性がある」ということは「まわりを無視して行動する」ということではありません。「まわりとの関係を自分にとって望ましいようにする行動を自分で選べる」ことです。その力の基盤を作るのは「他者との関係をよくするような行動できちんとかまわれた体験」です。
2011-07-25 19:58:51私がいま書いたことは私個人の考えではなくて,自発性とか動機づけについて心理学が100年にわたって研究してきたことのエッセンスです。「自発性」とか「動機づけ」はもともと「他者との関係によってつくられるもの」なのです。
2011-07-25 20:01:29「誰にも言われなくても自発的にやる」ということは「それをやっている自分を自分でほめる」ということです。それができるようになるためには「それ(あるいは類似した行動)をやって誰かにほめられた体験」が内在化されることが必要です。ほめられたことがない人は自分をほめられない。
2011-07-25 20:03:06その「環境」のうち,人間にとって著しく重要なのが「社会的環境」つまり「他人にかまわれること」なんですよ。RT @finalvent: 動機は遺伝しない。主体は環境トリガー。意欲は遺伝性向の派生。
2011-07-25 20:04:19この問題については操作と操作されるものは視点によって簡単に入れ替わります。親も子どもから「よくかまわれる」ために子どもをかまうわけです。 RT @finalvent: どうかまわれるかという操作性の問題ではないけど。
2011-07-25 20:08:39「親が子どもの行動を特定の方向に誘導するのはよくない」というならしつけも教育もやっちゃいけないことになります。しつけも教育も否定する,というならそれはそれでひとつの見識ですが,私はそうは考えない。
2011-07-25 20:11:42「しつけ」とか「教育」でわれわれが行っていることの本質はなにか,ということを考えて初めて「どうしつけるか」「どう教育するか」を考えることができます。その「本質」が常に耳触りのよいものとは限りません。
2011-07-25 20:13:08ちなみに教師の行動もなんらかの意味で「子どもにかまわれたいからやっている」部分の多いものです。どちらかが一方的に「かまって支配する」などということはそう簡単に成立しない。
2011-07-25 20:15:04むしろ「自分が子どもにできることはかまってあげることだけ」なんですよ。そうだったら「他者との関係を悪くするような行動をかまっちゃう」んじゃなくて「他者との関係をよくするような行動をかまってあげようよ」というお話。
2011-07-25 20:20:33私は「自主性とはほめられることの内在化である」と書いています。そして感謝や尊重をそだてるのも「かまうこと,ほめること」です。 RT @ne2007: 褒めることで自主性は育たない。感謝や尊重が大事ですね。
2011-07-25 20:22:14もちろん含まれます。RT @nyanhositaro: いきなり質問スミマセン。教師の例での「かまわれる」には、「ギャグ言ったら笑ってくれる」など生徒のリアクションが含まれますか?
2011-07-25 20:58:03ほめられてもその行動が増えなければそもそも「ほめられた」ことにならない。 RT @massurubodee: 褒められてもうれしく感じない場合は内在化はしないんですか?
2011-07-25 20:58:51「ほめる」とは「なにかの言語的な働きかけによってその直前の行動を増やすこと」としか定義のしようがないです。 RT @new_hamster: 操作主義的な意味でですか?
2011-07-25 21:10:33だから「ほめたつもりで叱っている」ことがあるし,問題行動に対しては「叱ったつもりでほめている(その行動を増やしている)」ことがありうるわけです。
2011-07-25 21:11:31言い換えれば,ほめるとか叱るとかは「与える側の気持ちや意図」の問題ではなく,結果として行動が増えるか減るかなのです。叱っても行動が増えればそれは「ほめている」んだし,ほめても行動が減るならそれは「叱っている」んです。
2011-07-25 21:13:46肯定することによって行動が増えるならそうです。RT @okikazuya18: 「肯定する」ということと同義と考えてよいのでしょうか?
2011-07-25 21:14:19まさにまさに。 RT @noiehoie: 煙草の害を指摘し、煙の迷惑さを詰り、健康被害を訴えても、聞き手の喫煙量が減らないと、叱った事にならないってことか?
2011-07-25 21:17:33