【静寂について】2011.07.

静寂について日頃考えていることを綴りました。
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リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について1】静寂は、間違いなく現代においてもっとも蔑ろにされているものの一つだ。人工の音が耳に入らない環境を見いだすことは、視界に電線が入らない風景を見いだすこと以上に難しい。

2011-07-22 08:02:25
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について2】静寂とは、音が無い状態のことではない。静寂は生きている。風の音、雨の音、木々のざわめき、渓流の瀬音、打ち寄せる波の音、鳥のさえずり、虫の声、雷鳴…。それらは静寂を乱すものではなく、静寂の一部だ。自然の音に満たされた静寂こそが「生きた静寂」なのだ。

2011-07-23 09:14:14
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について3】人がこれほどまでに静寂を蔑ろにするのは、静寂を恐れているからだ。人は人工の音が無い環境に放り出されると、自身の内部の絶え間ない騒音、耐え難い空虚と向き合うことになってしまう。それが恐いのだ。

2011-07-24 08:32:52
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について4】完璧な防音設備を備えたスタジオの中の静けさは死んでいる。そのような静けさの質は重苦しく、耳と心を圧迫する。自然の音に満たされた生きた静寂こそが、人の耳と心を解放し、人に創造的インスピレーションを与えてくれる。

2011-07-25 08:34:10
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について5】朝焼け燃ゆる里山や海辺の静寂は何ものにも代え難い。自然や環境を大切にすると言うその人が、そんな静寂の中で車の音や自分が出す騒音には無頓着であったり、人の言葉を遮って話し続けて平気だったりする。耳を塞いで生きている人は、実は眼も心も閉じているのではないか。

2011-07-26 08:31:14
Krishnamurti @krishnamurtibot

われわれが沈黙に耳を傾けないのは、われわれの耳が精神のざわめきでいっぱいになっているからである。

2011-07-26 08:16:48
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について6】機械の騒音に耳の照準を合わせてみる。反射的に騒音に反発し呪いの言葉を浴びせているときは、心が乱れたと感じている。で、反発せずじっと聴いていると、心が縛り付けられ、凝固し、身動きできない感覚になる。この感覚が最も辛い。心は救いを渇望し始める。

2011-07-27 08:09:17
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について7】自然の音に耳を澄ましていると、心が静止するときがある。機械音を聴くときの縛り付けられている感覚は無い。音が心に、細胞に染み入ってくるかのようだ。では、人が心と呼ぶものは自然の秩序の内にあるのだろうか。それとも、心とはただのフィクションなのだろうか。

2011-07-29 08:16:01
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について8】人混みの中で、運転中の車中で、神々しい風景の中で、静寂は突然訪れる。が、それは気が付けば過ぎ去っており、二度と戻ってこない。言えることは、その静寂とは音がない状態ではなく、すべての音と風景がかつてなく生き生きとしている「場」だったということだ。エンジン音でさえ。

2011-07-30 08:59:33
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について9】演奏仲間と充実の夜は湖畔のバンガロー。贅沢な静けさに抱かれて眠りに着いた。が、ウシガエルの咆哮はまだしも、安眠の最大の障害は、仲間の雄叫びのごときイビキであったとさ。

2011-08-01 08:02:20
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について10】つまり静寂とは、音が無い状態ではなく『場』であり『反観念』なのだ。たとえ雷鳴が轟いていても、心が何ものにも囚われていなければ、そこには静寂が息づいている。

2011-08-12 08:51:21
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【静寂について11】(奇しくも気がついた。目を閉じ耳を澄ますとき、心の照準を、静寂に合わせようとしているのだ。自分の外側の音、内側の音、すべてを聴く心。集中しない心、すなわち囚われない心。開かれた心)

2011-08-18 07:45:57