- Ryohei_TMD
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先の戦争中、精神力で戦争に勝てると考えた人々は、自分たちに従わない人に「非国民」という烙印を押した。今、被曝から自身と家族を守ろうとする人を責める人々は、いったい何のためにそうしているのだろう。やはり精神力で放射能に勝とうとしているのだろうか。
2011-07-23 18:09:04戦前の非国民狩りの背後には、無知と国家への依存があった。これは放射能から避難しようとする人を責める人々にも共通しているのだろうか。また非国民狩りの背後には、国家と同一化した自己意識の崩壊の恐怖もあったと思う。が、今の放射能避難者を責める人の自己意識には、実体がないように見える。
2011-07-23 18:17:41放射能から避難する人を責める人々は、ただ土着の集団に帰属することだけで安心を得ようとしているのではないか。それは、空気に従うという戦前来の行動原理が自己と同一化してしまっただけの、中身の無い自己意識の為せる業ではなかろうか。そこには人権意識や民主主義が見られないように思う。
2011-07-23 18:23:13むろん、自己意識など内容によらず有害なものに違いない。が、権威という虚構に身を委ねればすべて良しとする意識は、権威に於いて排他的にならざるを得ない。そして排他的であることをまるで顧みないがゆえに最も暴力的であり、始末に負えないのだ。
2011-07-23 18:29:06戦後の日本は「非国民」のアイデンティティーに沿って造られてきた。問題は、そのアイデンティティーが実際にはお飾りであり、国民に浸透してこなかったことだ。原爆を落とされても、戦争に負けても、憲法が変わっても、空気に従うという戦前来の「ムラ」の行動原理は生き長らえている。
2011-07-23 18:36:20ムラの原理は、事あるごとにこの国を戦前に引き戻す。ムラから生まれた原発を無くし、被害の清算を進めるには、戦前の亡霊をまず清算し、新しいつながりを創造していくことが欠かせないのやもしれないと思うきょうこの頃。ぶつぶつ。
2011-07-23 18:50:03我々が内的に依存しているとき、伝統は我々に大きな支配力を及ぼします。そして伝統の線にそって考える精神は、新しいものを発見できません。順応によって、我々は凡庸な模倣者、冷酷な社会という機械の歯車となります。
2011-07-18 13:16:56いま福島のこどもたちと母親たちに起きていることは日本社会の拭いきれぬ病理のひとつだ。異なる価値観を認めないばかりか一つの価値観にしようとする。そこに個人に対する尊敬の念が無い。行政も現場の教師も規則を守らせるだけの管理者だ。なぜこどもの被曝といじめに眠れぬほどの心配をしないのだ。
2011-07-23 06:33:47自分と考えは違っても意見交換はとても大切。その中で進化するものがある。争うのは人も否定し自分をも否定してしまうと感じる。真逆の意見でも何か中心を見出せないだろうか。。争うのではなく、何か・・・大切なものは1つな気がする。
2011-07-20 23:16:01