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2021年2月7日

【三つ葉葵】どこの松平家?【放香堂】

宇治茶の放香堂(@chashou_hokodo)さんが屋号を頂戴したという「松平家」が「どの松平」かを探索しています。情報募集。
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リンク 宇治茶の老舗 京都・放香堂 宇治茶の老舗 京都・放香堂 宇治茶の老舗 京都・放香堂の公式ページです。放香堂は宇治茶を主とする日本茶を取り扱う専門店です。宇治茶の主産地である京都府和束町に自社茶農園を保有し、美味しいお茶創りに日々取り組んでおります。 1 user 163
放香堂 @chashou_hokodo

放香堂に伝わる桐箱ですが、どこの松平家由来のものか分かれば嬉しいです。 桐箱は全長30センチほど 葉の一枚が意図的に濃淡を変えた意匠 現在久松松平では?とのご意見を頂いております。 twitter.com/hirataitaisho/…

2021-02-06 09:09:40
放香堂 @chashou_hokodo

放香堂という屋号は1858年に松平家より頂戴した名前で、 時の徳川幕府にもお茶を納めていました。 古きを温ね、新しきを知る。 かつて使っていた茶箱も今は本店の装飾の一部となっています。 変わらぬものと変えていくものを過去から学び、 真心を今に伝えていきます。 #放香堂 #以茶伝心 #神戸 pic.twitter.com/y0tnzioZQ8

2021-02-04 15:35:50
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清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

山城国って松平家の藩あったっけ

2021-02-04 20:30:54
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

ワンチャン京都所司代かとも思ったが安政年間の所司代は本田と酒井だった。

2021-02-04 21:21:41
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

ものすごい重箱の隅つつきなのはわかっているけど「何処の松平家」なのかが気になって仕方がないのです。 twitter.com/chashou_hokodo…

2021-02-04 21:18:59
放香堂 @chashou_hokodo

@hirataitaisho ありがとうございます。今手元に資料が少なくハッキリとした回答ができないことをまずはお詫びいたします。後日、分かった際には回答させていただきます。

2021-02-04 22:01:43
リンク Wikipedia 松平氏 松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族であり、後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体である。室町時代は伊勢氏の被官として活躍した。江戸時代は徳川将軍家の一門、あるいは将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の姓となり、あるいは将軍家が勢力・格式ある外様大名に授けた称号としての役割をも果たした姓である。 松平氏について、同時代資料で確認できる最も古い記録は、3代松平信光以降についてのものであり、それ以前は判然としていない。 後世の徳川氏・松平氏の系 3 users 83
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

@chashou_hokodo 返信ありがとうございます。 松平でも徳川一族・親藩の松平と、島津や前田のように有力大名で「松平」の姓を与えられていた家があったりする(後者の場合、表向きには「松平」を名乗ることが基本)ので、「何処の松平」かが判ればその大名の旧藩の土地ともひとつ縁ができるのではないかと思います。

2021-02-04 22:21:44
放香堂 @chashou_hokodo

@hirataitaisho 貴重なご意見ありがとうございます。仰る通りですね。戦中や震災で焼けてしまった資料等もありますから全てが分かるわけではないですが、調べさせていただきます。

2021-02-04 22:29:46
リンク Wikipedia 三つ葉葵 三つ葉葵・三葉葵・三つ葵・三葵・葵巴(みつばあおい・みつばあおい・みつあおい・みつあおい・あおいどもえ)は日本の家紋「葵紋」の一種で、葵の葉を3つ描いた図案の家紋のことである。通常「三つ葉葵」といえば徳川家の用いた「丸に三つ葉葵」のたぐいの紋を指すことが多い。 葵紋(あおいもん)はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したもので、フタバアオイの通常の葉の数は2枚である。3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものである。葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵 27
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

三ツ葉葵、宗家と三家三卿御連枝で「葉脈の数が違う」とか「茎が曲がってる」とか聞くけど pic.twitter.com/3ulkwz0Lqs

2021-02-05 14:24:27
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清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

徳川葵、将軍でも度々意匠変えてるみたいだし、賜姓松平は言うまでもなく十四松平や親藩でも軽々には使わせなかったというから、なんか色々ややこしいんだよな。 pic.twitter.com/QhkbSpr3Do

2021-02-06 23:34:54
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清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

@tomoshibi6o6o 図書館で家紋の本見てきたけどよくわからんかった

2021-02-05 14:14:49
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

【家紋に自信ニキゆる募】 これは「何処の松平家」の三ツ葉葵ですかね twitter.com/chashou_hokodo…

2021-02-05 13:13:25
放香堂 @chashou_hokodo

@hirataitaisho どこの松平家かまでは未だ分かっておりませんが、写真の桐箱を当時拝領した模様で残念ながら戦中の混乱の最中にいつのまにか中身は空になっておりました。 pic.twitter.com/SAhK9Q1bb7

2021-02-05 09:05:18
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久松松平家説

リンク Wikipedia 伊予松山藩 伊予松山藩(いよまつやまはん)は、江戸時代、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市)を中心に久米郡・野間郡・伊予郡などを知行した藩。藩庁は松山城。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにて東軍徳川家に味方した加藤嘉明(外様)が20万石で立藩。寛永4年(1627年)陸奥国会津藩42万石に加転封される。 同年(寛永4年)代わって、出羽国上山藩より蒲生忠知(外様)が24万石で入封。寛永11年(1634年)嗣子無く死去のため蒲生氏は断絶した。 寛永12年(1635年)、伊勢国桑名藩より松平定行(親藩)が15万石で入封し 1 user 22
ぶるじょわ鰻 @anguille_bourge

@chashou_hokodo @hirataitaisho こんばんは。こちらの松平家ですが、おそらく伊予松山藩の久松松平家ではないでしょうか。流線状の茎に、細やかな葉脈。久松松平家に伝わる「葵の御紋」と瓜二つです。同様のデザインは越後高田藩も用いていた筈ですが、安政年間とのことですので、やはり久松氏かと思われますcity.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankogui… pic.twitter.com/lgkpIv83Tr

2021-02-06 02:35:25
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放香堂 @chashou_hokodo

@anguille_bourge @hirataitaisho 参考になるかわかりませんが箱に描かれている三つ葉葵は葉の一枚が濃淡の違いがあり、劣化して禿げたものではなく意図的な意匠のようです。

2021-02-06 08:54:28
リンク Wikipedia 久松氏 久松氏(ひさまつし)は、知多半島阿古屋発祥の氏族。 近世大名の久松松平家は源義家の末裔を称したが、これは松平姓を称することにより、松平・徳川氏の公称する清和源氏新田氏流を冒したことによるものと考えられる。 系譜類では、久松氏は本姓菅原氏とされ、遠祖は菅原道真と伝える。それによれば、道真が大宰府に左遷されたとき、長孫の久松麿(後の雅規)は、尾張国知多郡阿久居(現在の愛知県知多郡阿久比町)へ配流され、この地の人は彼を久松殿と呼んだ。のちの南北朝時代に京都から雅規の後裔が阿久居に下向し、この地の領主となった。そ 2

久松家は徳川家康の母・於大の方の再婚先であり、血縁上家康の異父弟となる(久松)康元・勝俊・定勝へ松平姓が与えられ、家康の一門として扱われた。

清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

@anguille_bourge @chashou_hokodo 久松系松山松平家は田安宗武の子が養子相続してから葵紋を使用するようになったと理解していますが、久松系桑名松平家も田安宗武の子(松平定信)が入るという同様の経緯があります。桑名家の家紋は葵を使っていたかどうか……?

2021-02-06 10:47:52
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コメント

文里 @wenly_m 2021年2月7日
判明すると良いなぁ
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p @pon_iris_ 2021年2月7日
地方新聞社に持ち込んだら解決せんだろうか……
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