コロナ禍のテレワークは「疎開」と同じではないかと思った→「応仁の乱」で一条兼良が美濃に疎開したのはなぜか:「疎開」で新しいことに気付くかもしれない。

コロナ禍のテレワークは「疎開」と同じではないかと思ったことから、疎開について、また「応仁の乱」で一条兼良の疎開先だった美濃について、雑談をまとめました。
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MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

中世欧州のペスト禍でもテレワーク、疎開が行われた。その一人が若きニュートンで、彼はこの間に万有引力の着想を得た。日本でも「応仁の乱」の間、都の貴族は地方に疎開。その一人が一条兼良で、彼を美濃へ招いた守護土岐氏と守護代斎藤妙椿が関わった。これが後の世の斎藤道三・織田信長に繋がった。

2021-02-10 21:59:52
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

例えば、京に妙心寺という禅宗・臨済宗の門跡寺院があるが、応仁の乱の頃に荒れていたので土地を寄進したのが、斎藤妙椿だった。これがご縁だと思うが、今も妙心寺の管長には岐阜市出身の人がなっていて驚く。そんなこんなで、美濃と都に関係が続くことになり、信長の京への野望も、美濃で育った。

2021-02-10 22:18:56
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

なぜ美濃なのかと思うわけだが、大きくは木曽、長良、揖斐という濃尾三川の濃尾平野が肥沃(日本アルプスのお陰)。清流のお陰で美濃和紙は古事記の紙に採用。関ヶ原は関所の近くの原っぱで、関所とは不破関、古代日本の壬申の乱の舞台の一つで、関の刀鍛冶は乱前に刀を提供。神話時代も倭姫神が関係。

2021-02-10 22:42:51
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

誤記訂正です。 twitter.com/y_mizuno/statu… において、   誤:神話時代も倭姫神が関係   正:神話時代も倭姫命が関係 上記、お詫びして訂正します。 (ここで倭姫命は「やまとひめのみこと」と読みます。記憶違いで失礼しました。)

2021-02-11 21:24:44
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

つまり美濃地方は、大和からみて、程よいポジショニングの地域だったという気がする。実際に岐阜城の天守閣から、はるか遠くには海(伊勢湾)も見えるし、鈴鹿山脈の向こうには都もイメージできる。信長が花押に、そこから都方面を見つつ「天下布武」を使ったのもあながち無関係ではないと言われる。

2021-02-10 22:52:45
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

もう少し続ける。美濃と大和の関係は古代、神話時代に遡る。今の伊勢神宮は、第10代崇神天皇と11代垂仁天皇の時代に、大和政権の政教分離政策の結果、天照大神を祀る場所を探して旅に出て発見した場所にある。倭姫神がその先導を務めた。東に行けず、引き返した付近が美濃で、最終的に伊勢を発見した。

2021-02-10 23:07:08
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

#知らんけど の神話の世界)その倭姫神の弟は、五十瓊敷入彦命といって、今の岐阜市で最大の神社、伊奈波神社の祭神だ。だから姉の伊勢神宮探しの旅にも関心があったと思う(仮説)。残念ながら彼は悲運の人だったので、三種の神器の剣は今の名古屋の熱田神宮にある。美濃・尾張はそういう場所だ。

2021-02-10 23:20:14
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

(これで終わり)この倭姫神は実は我々聞いたことがあって、毎年の京都での葵祭で、斎王代に対応する古代斎宮の初代が、その旅に出た倭姫神だったはずだ。その旅路を忘れないための祭りが、出発点だったと思う。実はもっと遡れて、それは天津神の前、国津神時代、本当の神話でも美濃は関係する。(了)

2021-02-10 23:37:36
Toshiyasu ICHIOKA @itchy_jp

@y_mizuno 父は美濃の山奥出身ですが、家も妙心寺派で、こんなところになぜ、と思っていました。

2021-02-10 23:31:16
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@itchy_jp はい。実はうちもそうです(臨済宗、妙心寺派)。今回ご紹介したのは、「点」としては事実ですが、点と点を結ぶ因果関係は、あの書き方からもお分かりにように、私の推測も入っています。なので、一つの仮説として、受け取っていただけるとありがたいです。

2021-02-10 23:41:19
Toshiyasu ICHIOKA @itchy_jp

@y_mizuno お返事ありがとうございます。以前、美濃の山奥を布教して回った臨済宗のお坊さんのお話を読んだことがありますが、なぜ妙心寺かは初めて知りました。岐阜は治水工事で鹿児島とも繋がりがあったり、いろいろ興味深いですね。

2021-02-11 01:16:14
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

補足。倭姫神(倭姫命)は「やまとひめのみこと」と読む。五十瓊敷入彦命は「いにしきいりひこのみこと」。舌を噛みそうだが、私は最近はもう忘れなくなりすらすら言えるようになった(笑)。伊奈波神社は「いなば」神社で、美濃の三宮である。美濃の一宮はもっと都に近い、今の大垣にある南宮大社。

2021-02-10 23:48:59
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

最近のテレワークは疎開と同じではないかと思った。「疎開」は改めて「土地」の名前や、地理・歴史と繋がる契機になる。時間空間と今ここを繋ぐ最も簡単な方法は、近くの神社や古寺の由緒書をもらうこと。あるいは土地の名前を古事記で見つければ、そこが入り口だ。全国どこでも起こることである。

2021-02-11 00:08:06
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

あ〜、間違えていますね。すみません。「やまとひめのみこと」の文字は「倭姫命」。 (倭姫神という人(神話の登場人物)はおられないですね。)大変、失礼しました。

2021-02-11 00:18:24
大塚岳 @SBm4us8tDSrd9d9

@y_mizuno すみません、南宮大社は大垣でなく垂井町です。

2021-02-11 09:14:59
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ごめんなさい、間違えていますね。かなり距離ありますもんね。失礼しました。訂正twします。 twitter.com/SBm4us8tDSrd9d…

2021-02-11 09:19:28
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@SBm4us8tDSrd9d9 あそこ(南宮大社の地区)は、昔の国司か郡司かがあったのでしょうか?街道筋からも離れているのでは?(むしろ東海道に近いのか。中山道からは離れていますが)... ググると、やっぱり古代の美濃国国府の跡地に近いんですね。素晴らしい。もう風土に埋れている。風と土になっているんでしょうね。

2021-02-11 09:25:18
大塚岳 @SBm4us8tDSrd9d9

@y_mizuno 寂しいですが仰る通りです^_^;

2021-02-11 09:27:22
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@SBm4us8tDSrd9d9 いやぁ、奈良の平城京も、明治になるまで、どこにあるか(正確には)わからなくなっていたそうなので、普通です^^; 古墳でも古墳とわかるだけ、まだマシで...。平城京の(本当の)場所は、子供たちがザリガニとりをする場所だったと聞いてます。千年の「風土」とはそういうものかと思ったものです。

2021-02-11 09:32:28
大塚岳 @SBm4us8tDSrd9d9

@y_mizuno ただ南宮大社は現在の地に移りましたが、元には御旅神社がございます。主祭神は金山彦大神の妻とも妹ともされる金山毘女大神です。

2021-02-11 09:30:47
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

訂正。 twitter.com/y_mizuno/statu… において、 誤:「今の大垣にある南宮大社。」 正:「今の垂井町にある南宮大社。」 垂井町は、大垣の西、JR東海道線で大垣の隣駅でした。お詫びして訂正します。 @SBm4us8tDSrd9d9さん、ご指摘、感謝します。

2021-02-11 09:49:15