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小此木、見て覚えろ身体で覚えろ的指導の負の連鎖を自分の代で断ち切って丁寧に後輩の指導しているのでめっちゃ良い奴(なので後輩も明らかに小此木を慕っている) pic.twitter.com/4mgiwWfjTk
2021-02-15 11:15:33近所の料理屋で、料理長が若い弟子に全技術を教えた結果 弟子は辞め、なんと近くに店を出した。 味が同じなので、若くトークが上手い新店舗に客が流れ 元の料理長は無理が祟り、体を壊し店を畳んでしまった 目と耳で時間をかけ覚えさせないと すぐに巣立ち、潰されてしまう事もあるので 難しいのです twitter.com/sp8a79/status/…
2021-02-15 15:40:34これは暖簾分けに近いやり方なんで、 ・2店舗が成り立つほどの需要はなかった ・料理長の店には客が離れる要因が隠れてた と、2つのことが同時に存在する必要があったと思うのですよ。 twitter.com/youkai_ankake/…
2021-02-15 17:11:59後付けでもう1つ。 コピペの料理で近場の客を拾って稼ごうと考える程度の料理人が従業員に甘んじず独立を考えるほどの職場環境だった、と言うケースも考えられる。
2021-02-15 18:23:23こういうことがあるので、昔の料理人はレシピを自分一人で独占し、洗い場の見習いに味を盗まれないように、ソースの残ったナベに塩を打ち込んでいたそうな。 twitter.com/youkai_ankake/…
2021-02-15 16:39:24レシピってのは自分の生命線とも言えて、それを他人に盗まれたら、自分は用無しになってしまう・・・なので死活問題だったのな。そういった背景があるので「見て覚えろ」的な風潮が生まれてしまった。
2021-02-15 16:40:43だがなんでそもそもこうなっちゃうかって言うと、昔の外食産業、特に洋食なんかは、市場規模があまりに小さすぎて、料理人よりも店の方が少なかった。 なぜ店が少なかったかというと、洋食がまだ日本人に根付いていなかったからなのね。
2021-02-15 16:41:41んで、ある天才料理人が考えた。 「なら、もっとみんなが洋食食えばいいじゃん」と。 そのためにどうしたかと言うと、「家庭でも簡単に作れる洋食」を広めまくった。 ともすれば「家でも食えるのに店で食いにくるわけ無いだろ!?」と思いそうなものだが、結果は違った。
2021-02-15 16:43:01洋食が生活に根付き、家庭でも食べられるほど身近になったことで、国民の洋食への認知度が上がり、当たり前のレベルになり、舌が肥えた。その結果、市場は拡大し、かつ「高い金を払っても上質な洋食を欲する」層が広がった。
2021-02-15 16:44:27洋食を「特別なもの」ではなく「日常のもの」にしたことで、料理人の需要は上がり、独占しなくても、皆が技術を共有しつつも、食いっぱぐれない職業になったのだ。 これは、日本の食文化すら変えた、一大パラダイムとも言える。
2021-02-15 16:45:49これを行ったのが、「いだてん」にも登場した帝国ホテル総料理長村上信夫。オリンピックという多種多様な人たちが集まる場所で、皆が等しく楽しめる「バイキング」方式を考案した人物。 むしろそういう人だからこそ、思いついたのかもしれないね。 pic.twitter.com/Awsp8JukFU
2021-02-15 16:48:33帝国ホテルシェフ・陸軍軍曹(歩兵砲小隊)村上信夫を見習え pic.twitter.com/F9WhXujAEp
2018-02-14 19:34:49この「技術を独占するのではなく、開放することで市場を広げ、需要を開拓し、総合的に皆が発展する」発想をした者たちは歴史上にちょくちょく現れる。 例えば回転寿司だが、あの名称は実は商標登録されていて、元祖の元禄寿司しか使えなかった。 pic.twitter.com/j66R5WCvrK
2021-02-15 16:51:48だが、「一企業の商品に留めるのではなく、一般名詞にまですれば、もっと広がる。結果としてその利益は自分たちに元に帰ってくる」と、使用を開放。結果として、「回転寿司でないお寿司」を「回らない寿司」と言うまでになった。 pic.twitter.com/Z0S0zyB7Yg
2021-02-15 16:54:25さらにここらへんの逆転の発想をした人物で、もしかして世界で一番有名な日本人は、かの本田宗一郎だろうと。 技術立国日本の歴史に語られる氏だが、元は自動車修理工だった。
2021-02-15 16:57:08大変腕のいい自動車修理工であり、当人が機械好きなのも相まって、関東大震災時は壊れた車を勝手に修理しまくり、「直しといたから持って帰れ」と張り紙をはったという逸話を持つほど。
2021-02-15 16:58:04んで、厳しいながらも弟子たちの育成にも力を入れ、次々と暖簾分けをして独立させた結果・・・競争相手が増えすぎて自分の修理会社が経営難になってしまったw
2021-02-15 16:58:59それもそのはずで、この当時は国産車がほぼなかった。 全て外国からの超高額な輸入品。そりゃ持てるのは大金持ちのお大尽なんだから、修理工のシェアも限られる。 そこで考えた。 「なら、国産の安い自動車作れば、修理工の市場も増えんじゃん!」とw
2021-02-15 17:02:45かくして世界のホンダが誕生したというものすごい話。 「修理の仕事を増やすために自動車を作って売った」というね。 これらの逆転の発想者たちの功績によって、市場は拡大し、経済は刺激され、なにより技術レベルが格段に上がった。 安価な良品が庶民にも広まった。
2021-02-15 17:06:05狭い業界の限られた市場で、パイを奪い合い、ほんの一部の人間のみが「勝ち組」とされるような社会は、実は凄まじく「未来がない」ことを感じさせる話です。 どれだけ立派なことを言っても、「食えない」業界は廃れるのが約束されているのは、歴史の証すところなのです。
2021-02-15 17:07:32