社会学叩きしている「表現の自由戦士」と一部のオタクは社会の一員であるという責任から逃げて客観を装うご都合主義な人々だ⁉️

その彼らのご都合主義な立場に、直接的に反省を迫るのが社会学です (証拠は自分)
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リンク note(ノート) 『鬼滅の刃』鼎談企画 歴史編(今井宏昌×嶋理人×髙橋優):戦間期の純情な感情|髙橋 優|note ※本記事は『鬼滅の刃』の原作最終回までのネタバレを含みます。 原作未読の方はご注意ください。 はじめに 世のなかに鬼の族(うから)は多けれど 人にましてぞ鬼なるはなき ――ソポクレース『アンティゴネー』、第1スタシモン(Soph. Ant. 332-3) (日本語訳は文学研究者の長谷川晴生氏からのご提案に従った) このたび、漫画・アニメ文化にも造詣の深い歴史研究者の二人を招いて、大ヒットが続く『鬼滅の刃』に関するオンライン鼎談を実施した。『鬼滅の刃』はその内容に鑑みて、私一人の力では到底批評できない作品だ 57 users 44

一週間前に公開された『鬼滅の刃』鼎談企画 歴史編:戦間期の純情な感情 note.com/iovis_takahasi… は、おかげさまでかなり多くの方に閲覧いただき、ざっと検索した限りではおおむねご好評をいただいたようで嬉しい限りです。とはいえ、中には不満を感じた方もおられたようで……
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T @FUNDOSHIMASK

『鬼滅の刃』鼎談企画 歴史編(今井宏昌×嶋理人×髙橋優):戦間期の純情な感情|髙橋 優 note.com/iovis_takahasi… なんか現実の自助・共助へのカウンターに使おうとしている辺り、Twitterでも悪い意味で流行りの社会学仕草の匂いがするような……。あとまーた戦争描いてないから駄目理論かよー。

2021-02-09 16:46:47

この点は長谷川晴生さんがすでに辛辣に指摘されてますが、気に食わないものに「社会学」のレッテルを貼るのが昨今のネットでは多く見られます。私の観測範囲では、「オタク」を自称して「表現の自由」を守ると称する人々が、「社会学者は表現規制する敵!」と喚く例が多々。
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それはさておき、なんでも「社会学」を名乗る文盲ごっこをすると楽しいのではないか。詩や戯曲の読書会を開くときには「これから『社会学』を読むぞ」と、哲学の学会の事務作業が終わったら「今日は『社会学』に貢献したな」と言わなければならない。当然ながらドイツ語の授業も「社会学」教育である。
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紹介した鼎談(note.com/iovis_takahasi…)への反応を眺めていて笑ってしまったのは、明らかに歴史家が歴史の話をしている内容にもかかわらず、これを「社会学」と言っている輩がいたことで、つい先ごろ下記のツイートをしたばかりだったのも手伝って感動的であった。文盲社会学はいよいよ不滅である
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ちょうど二週間ばかり前でしたか、1月から2月になるころに何故だか「社会学」叩きとそれへの反発のツイートが盛り上がっていました。私も人文社会系と称する大学院の出身なもので、その叩きが社会科学と人文学の区別もついていなさそうなのに辟易しつつも、なぜ叩く連中が現れるのか、少々考えました。
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 で、いま思いつくままRTしましたが、とりわけ社会学がネット上で叩かれやすい理由について、先のRTでいくつか示された意見にも肯うところは多々あります。ですのでそれ以外の点で、社会学が、ありていに言えば「オタク」と称する人の中の一部に、嫌われる理由を挙げてみたいと思います。

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同書の43ページの挿絵を引用します。これはどういうことかというと、社会を外部から「客観的」に観察することはできない、なぜなら誰しも社会の一員であり、社会の内側から見える範囲を照らしていくことしかできない。しかも照らすことによって、社会自体が変わってしまうこともある、というものです。

だから、社会学的に何かを調査・分析する、ということは、社会に対し自分が超然として観察者の立場に立つのではなく(そんなことはできない)、自分は社会の一員であり、自分がどうやって社会を見ているのか、ということを自問自答しながら進んでいくものなのです

そう、この自問自答から全力で逃走しているのが、「社会学」をヒステリックに叩く人々の実態なのではと私は考えています。なぜ逃げるのかといえば、自分はこう思う、と表明すると、時に間違えることもあるかもしれないし、バカにされたりもするかもしれません。そういったリスクから逃げているのです。
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ニド @2ewsHQJgnvkGNPr

リスクから逃げてないお偉い学者様の方々は「間違っていた」時にどんな風に責任取っておられるんですかね twitter.com/bokukoui/statu…

2021-02-16 17:25:42

「社会学」叩きをする人々は、やたら人の意見表明を「お気持ち」と、まるで無意味であるかのように攻撃します。それは、実は碌な意見もない自身の空虚を糊塗するために、人を攻撃しているのです。それが誤りであることを指摘した学問こそ、フェミニズムでした。「個人的なことは政治的なこと」という。
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だからそういった人々は、「客観的」とか「科学的」といった概念に逃げ込みます。個人的なことは問題ではない、客観的・科学的でなければならないのだ! ですが、社会科学や人文学では、先の図のように、「客観的」というのは成り立たないのです。自分が何者であるかを問い直し続けないといけません。
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「社会学」叩きの連中、特に一部の自称「オタク」が社会性そのものを否定している、とは先にRTした中に指摘がありましたが、先の図でいえば社会の中にあってその一員として社会を見つめるのではなく、自分は(上の図のように)外部から「客観的に」社会を見ているのだ、というのが彼らの主張なのです。
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 しかし、繰り返しますが、社会科学では(人文学でも)外部から「客観的に」見る、ということはあり得ないのです。あり得ない立場を標榜しているとは、つまり彼らが、社会の内部にあることを拒否している、といってもアウトローになりたいのではなく、社会の便益は享受したい。虫のいい話です。
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麻雀宮和了仁 @nzk02846320

虫のいい話とかファシズムみてえなこと言ってて草 左翼側かと思ったら右翼だったわ twitter.com/bokukoui/statu…

2021-02-16 19:59:19
麻雀宮和了仁 @nzk02846320

社会学はまあ社会と一員として主観性からは逃げられない、これは真よ でも客観性は無視できるかって、そんなの偽に決まっとるやん 主観性から逃げられない=客観性の無視が可能にはどうしてもならんでしょ というか歴史について触れるくせに人類が自然科学やヒューマニズムを通して得た客観性の獲得から

2021-02-16 20:05:03
ニド @2ewsHQJgnvkGNPr

客観的に見ることがありえないのであれば、その正否は誰がどう判断して、その正当性をどう担保するんですかね。そういう愚にもつかない言い訳を並べるから「お気持ち作文」「学術に寄生してる活動家」「社会運動標榜ゴロ」扱いされてんだぞ twitter.com/bokukoui/statu…

2021-02-16 17:28:53
一条和城@C104は頑張るぞい @ichijou_kazuki

@2ewsHQJgnvkGNPr (あの辺の「凡人は社会の不可視のバイアスを気づかないし自由になれないが我らはそれから自由で指弾するべき立場にある」というポストモダン系哲学・社会学をキメた考え、容易くブートアップ問題に帰着すると感じてしまうんだよなぁ…

2021-02-16 18:05:15

身も蓋もないことを言えば、一部の「オタク」、社会学叩きを率先してやっているような、「表現の自由戦士」と揶揄されるような人々は、社会の一員であるという責任から逃げ、それじゃあ子供だねと半人前扱いされないために、社会の外部にあって客観を装おうとしている、甚だご都合主義な人々なのです。
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その彼らのご都合主義な立場に、直接的に反省を迫るのが社会学ですから、彼らは社会学を敵視します。しかし、社会の内部でその一員として社会に関わりながら研究するしかない、というのは大なり小なり社会・人文科学全般にあてはまります。なので、彼らの叩く「社会学」は、人文社会学全体に及びます。

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珈琲☕提督@雑多垢 @coffee_admiral

一連のツリーが「社会学を信奉している人達のそういうところが嫌われているんやで」としかならないんだよなぁ…。 twitter.com/bokukoui/statu…

2021-02-16 21:05:53
ニド @2ewsHQJgnvkGNPr

>直接的に反省を迫るのが社会学 無知な庶民に「政治的に正しい生き方」をご指導くださる大先生の慈悲に涙が止まりませんわ。そういうとこやぞ twitter.com/bokukoui/statu…

2021-02-16 17:31:54