競馬、競輪、競艇……なぜ同じ「競」でも「ケイバ」「ケイリン」「キョウテイ」と違う読み方をするの? 主に競輪の事例から

競 [音]キョウ(キャウ)(慣) ケイ(漢)https://kotobank.jp/word/%E7%AB%B6-477638
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遠藤 @enco2001

競売、競馬、競輪、競艇。後ろ三者は公営賭博という共通項がありながら同じ「競」の字を使うが読みが異なる。競売も法律用語としては「けいばい」。

2019-04-04 23:13:57
競輪文化

岳志, 古川

遠藤 @enco2001

日本語で「競」は漢音の「ケイ」で読むのが一般的で、「キョウ」は比較的新しい慣用音らしく、戦前から言葉が存在した「競売」「競馬」はまずケイで読まれた。競艇は戦後、1950年代に起こったもので慣用音の「キョウ」で読まれた

2019-04-04 23:18:18
遠藤 @enco2001

公営賭博としては1948年に小倉競輪から始まる競輪は、競艇同様当初は「きょうりん」「きょうわ」「けいりん」と当事者であってもまちまちに読んでいて、統一がなかった。競輪のポスターをみて「きょうわ」とよんで桶屋の何かかと推測した人もそのころはいたらしい。

2019-04-04 23:22:31

反競輪キャンペーン対策で「ケイリン」呼びへ

遠藤 @enco2001

国語的な話は調べられなかったが、「競」の漢音「ケイ」が慣用音「キョウ」に移り変わる過渡期だったのだろう。しかしとある事件とその後に巻き起こる反競輪、ひいては一大反公営賭博キャンペーンをへて「ケイリン」が定着していく。1951年、鳴尾事件の勃発だ

2019-04-04 23:27:38
遠藤 @enco2001

僕がソースにしている『競輪三十年史』とおそらくそれが下敷きになっているwikipediaの記述はほぼ同じなのでwikipediaをみれば概要はつかめるが、この事件後、全国紙はもちろん地方紙まで一斉に反競輪キャンペーンをはり、文字通り連日のように叩かれ続けた。 ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4…

2019-04-04 23:34:13
遠藤 @enco2001

そうしたなかで「きょうわ」「きょうりん」の読みはただちに「凶輪」「恐輪」と引っ掛けられて紙面に踊った。最終的にこの騒動は、ぶっちゃけ競輪がたいへん儲かってやめられないという地方自治体の事情全競輪場の開催自粛という競輪関係者の誠意ある対応とにより沈静化した

2019-04-04 23:38:10
遠藤 @enco2001

(再開後にまた揉め続けるのだけれど)。

2019-04-04 23:38:31
遠藤 @enco2001

自粛からの再開にむけて競輪業界は写真判定技術の改良や公認審判員制度の確立、選手団体の結成など様々改革を断行していったがそうした流れの中で「ケイリン」読みが統一的に用いられ、定着、以後現代に至るまで用いられている。

2019-04-04 23:41:25
遠藤 @enco2001

以上、日本自転車振興会『競輪三十年史』をもとに書いた。

2019-04-04 23:47:02

キョウテイは反競輪キャンペーンに巻き込まれなかった?

遠藤 @enco2001

競艇が「ケイテイ」ではなく「キョウテイ」なのは、競輪同様戦後に広まった催しなので「キョウテイ」呼びが一般的に受け入れられたのだろう。そのうえで「ボートレース」「レジャー」とよんだりしていて前述の「キョウリン」呼称には巻き込まれず、あえて古い読み方を採用せずにすんだのだとおもう。

2021-02-25 22:30:23

坂口安吾と競輪

遠藤 @enco2001

坂口安吾、競輪好きだったのは知ってたが順位操作を巡って伊東競輪場を運営する静岡県自転車振興会の告発までしてたんか(嫌疑不十分で不起訴)。これも反賭博キャンペーンに持ち上げられて競輪がたいそう叩かれたそうだ。賭博だからね、糞味噌にけなされるのは仕方ないね

2019-04-04 23:50:13

競輪という世界 (文春新書)

隆史, 轡田,哲, 堤,勇彦, 藤原,隆司, 小堀

「穴場」の喪失(祥伝社新書)

本村 凌二,マイク・モラスキー