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𝕏amo𝕏amo @xamoxamo74

都市観光政策を学び始めようと研究の真似事を始めると、事情が従前の認識と異なることに気づいた。都市観光において観光を創り出し、そこで消費される対象を作り出しているのは、もはやかつてのような企業等のマーケティング活動や観光協会などの機関のみの役割ではなくなっていることであった。(1)

2010-04-21 00:43:47
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高度に発展した消費社会において観光は、消費者である観光者によって自ら創り出されて行くような社会となっており、消費者の果たす役割が大きな力を持っているのである。彼らは社会生活において「差異」を顕著に意識する傾向が強く、それが具体的な消費行動を形作っていくことになるのである。(2)

2010-04-21 00:49:39
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そのような社会では、商品とは物財やサービスそのものというよりも「差異」であり、旧態依然とした市場細分化型配給論が実効的な指導力を失っているのであった。(3)

2010-04-21 00:52:02
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このことに気づいたとき、「果たして観光者はかつての観光産業のように観光の創造主体となりうるだろうか」という疑問が湧いてきた。つまり、高度情報社会における観光、ことに都市観光は、高度消費社会の真っ只中にあるとすれば、それは消費者である観光者に牽引されて変化するのだろうから、(4)

2010-04-21 00:56:11
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観光者の主体性を反映したものとなっていなければならない、という論理的な筋道から生まれる疑問であった。観光産業を構成する企業やそれを誘導する観光機関は、これまで主体性を発揮する一つの方法として、例えば市場細分化を戦略として用いてきたのである。(5)

2010-04-21 00:59:33
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もし、消費者である観光者がこれに代わるならば、当然彼らも主体性を持って行動をしていると考えるべきである。(6)

2010-04-21 01:01:28
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(承前)しかし、私たちの周りの状況は、そのような論理的な期待を裏切るものではないだろうか。観光者が消費している「差異」は、消費者である観光者により自動的に意識され、行動されているようにも見えないだろうか。

2010-04-21 22:58:09
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日常生活を思い返す限り、例えば雑誌の旅行記事を丹念に読んだり、テレビの商店街紀行番組を見たりはするものの、彼らはそれほど深く考えずに「差異」を見つけ出し、物財やサービスを買っているように思える。(8)

2010-04-21 23:01:19
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そこには主体性の欠如した、なかば自動装置のように「差異」に向かって行動している消費者をイメージすることができないだろうか。(9)

2010-04-21 23:02:46
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そして、観光事業者の側は、その自動化された仕組みが与える「差異」の比較対象の多様性に沿うように物財やサービスを提供するよう、マーケティング活動を通じて努力する、そう考えることが素直な現実理解のように思える。(10)

2010-04-21 23:05:47
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仮にそうだとすれば、社会はこれまで長く続いてきた企業など観光事業者の主体的な行為を、半分だけ消費者の自動化された行動に置き換えられたことになり、その分だけ進化を遂げたようにも思える。(11)

2010-04-22 00:14:40
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企業や観光機関などの事業者側にいると見えない、消費者と事業者を包んでいるような新たな関係、それがこの「差異」により商品の存在が与えられるという進化の構図なのであろう。(12)

2010-04-22 00:17:32
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ただし、その構図を窺い思えるとしても、それが合理的な結論を導くためには、当の消費者の内にある自動装置が無差別に「差異」を与えることが、別の説明で保証されてのことである。(13)

2010-04-22 00:20:09
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しかるに、そう考えてみると、今度は実は自動装置のように見えている消費者すなわち観光者の「差異」化行動は、実際は自動化された行動というよりは、やはり意識された行為ではないだろうかと思えてくる。(14)

2010-04-22 00:23:29
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(承前)雑誌の旅行記事を丹念に読むことは、そこに書かれている飲食店や小売店あるいは見物対象の内容を比較した上で知ることができる“最高評価”を自動的に消費すべき「差異」として行動の原理とはなっていないと考えられるからである。(15)

2010-04-23 01:30:47
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1冊の雑誌には数多の飲食店が紹介され評価が与えられている。それらの最高評価の店を一度の食事にこなせるだろうか。無理である。同様に数多の小売店が土産物の購買の良好店としてされているが、紹介されている品々をすべて陳列できる面積が自分の部屋にあるだろうか。否である。

2010-04-23 01:36:51
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小さな土産品を箱庭化することこそ“かわいらしさ”の表現なのである。そうすると「差異」は消費者に自動的に生み出されるのではなく、某かの自分らしさへの行為の結果が「差異」化した行動として表象されるのではないかというさらなる疑問に行き着くこととなる。(17)

2010-04-23 01:41:19
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この何某かの行為とは何であろうか。それは、消費者である観光者が“社会生活において個人を発揮することが出来る世界”と考えることができるのだろうか。(18:続く)

2010-04-23 01:43:46
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(承前)観光経験を他の社会生活で自分を活かすためにうまく使うことが大切なのではないだろうか。その機会が単調な人ならば、観光旅行において意識される「差異」は小さく、複雑にすることが可能な人ならば「差異」は多様に広がることになるものであろう。(19)

2010-04-24 01:39:47
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観光行動は属性として「差異」への志向を持つのであるから、この機会は従来の観光行動の外側にあって、観光行動に還元するものでなければならない。研究の出発点はこの機会の存在に気付いたことから始まったのである。(20)

2010-04-24 01:43:15
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消費社会における観光が広い意味の消費行動の一部であるとすれば、観光に人を営ませるため、多くの社会的要因が働くように、視点を変えれば、今度は観光が他の多くの消費行動へも影響を持っていると考えなければならない。(21)

2010-04-24 01:47:25
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このような相互関係がありながら、観光の研究者は往々にして観光行動を従属変数とする研究に没頭しがちであって、観光の経済効果や観光の文化人類学研究などを除けば、観光と人々の消費生活との関係には関心が薄いかのように思える。

2010-04-24 01:51:01
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まして、言語活動や家族や知人とのコミュニケーションなどを変革してゆく社会的な力という認識は、育ってこなかったように思えることがある。(22)

2010-04-24 01:53:37
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観光が近代社会における個人の自由に根ざした旅行行動であるとするならば、彼らは観光経験を自分の生活の中に取り込み、様々な消費の判断基準としているかもしれない。あるいは、経験を重くとらえ、生きる糧としているかもしれない。(23)

2010-04-24 01:56:46
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そのような個人の生活の中に取り込まれた観光経験が、再び何かの機会を経て、社会的な行動の側面に顔をを出すときに、観光研究が対象としている領域の外において新たな人間関係を育む道具となり、同時に再び次の観光に「差異」を創り出して観光研究の対象に登場してくるかもしれないのである。(24)

2010-04-24 02:01:36