似非フェミ(いわゆるツイフェミ)は、誰よりもネオリベで、女性差別主義者である件
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似非フェミ達は、意識的にはネオリベを嫌いつつ、無意識的には誰よりもネオリベと親和性が高い。しかも自分は旧日本の悪しき権威に寄りかかりながら、他者にはネオリベ的思想を強要する。 それが似非フェミの気持ち悪さの正体の1面である。
2021-03-07 13:18:04似非フェミ達は高度化された資本主義、ボードリヤール的な差異の原理、異性恋愛至上主義に染まりながら、激しい違和感を表明している。つまり意識と無意識が乖離していて、人格が統合されていない。 似非フェミ達の表面的な反ネオリベ的言質は、個人が市場経済や異性恋愛至上主義に、
2021-03-07 13:22:07完全に囲い込まれてしまっているというニヒリズム的思い込みから、発せられているに過ぎない。だから、文句だけで対案を示さない。似非フェミ達のルサンチマン的ツイートは、逆説的にネオリベ社会を反映している。言うなれば、ネオリベ社会に対する捻れた奴隷根性である。
2021-03-07 13:24:41似非フェミ達は、意識的には 「女性差別構造」 と戦いながら、創作物を潰すことによって、逆に 「女性差別構造」 を強化している。似非フェミ達が認識している 「女性差別構造」 はあくまでも自分自身の内面を模したシミュラークルに過ぎないからである。
2021-03-07 13:27:27つまり、似非フェミ達は誰よりも女性差別主義者と言える。 それを規定しているのは、現代日本社会における 「家父長制なき女性差別システム」 に他ならない。似非フェミ達は、ネオリベ社会、異性恋愛至上主義、女性差別構造に過剰適応して苦しんでいる。
2021-03-07 13:30:26似非フェミ達の精神とは、ポストモダンの時代精神であると共に、日本文化の立場主義や強い同調圧力の反映でもある。 だから、フェミニズムにすがりつつ、立場をわきまえず性的消費をする「ズルい」オタクを攻撃するのである。
2021-03-07 13:33:51ロラン・バルトが言うように日本文化には中心がないように見える。西田幾多郎のいう絶対無である。実際には中心がないように見えるだけである。 似非フェミ達は、自分達は社会の中心とは関係ないと思い込みつつ、日本のある種大政翼賛会的なステータスに加担している。
2021-03-07 13:37:33似非フェミは被害者意識を持ちながら、本当の被差別者を抑圧している。そうした状況を顕在化させたのが、ネオリベ社会と決断主義的状況である。 似非フェミの跋扈は近代資本主義社会や、共同幻想としての国民国家の歪みである。 似非フェミと対決するには、それを生み出したネオリベ社会そのものと、
2021-03-07 14:48:58対決する必要がある。 それには、ネオリベ社会のイデオロギーから自由である必要がある。似非フェミのように社会への無関心を決め込まずに、それでいてネオリベ社会の外部から批判する。そういう姿勢が必要なのである。
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