面接室、施設臨床、中立性

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モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

「面接室至上主義」みたいなのが嫌い。週一回の面接なんて所詮1/168時間でしかありませんしね。残り167時間という膨大な時間を無視して、その人の生活なんて見えるわけがない。「週に1時間、現実から離れる時間が重要」なんてどうやって証明するんですか?

2011-07-28 10:27:45
いま~じゅ太郎♪ @image_taro

@moe_zou 全く同感です。面接と生活をリンクさせてみていく必要がある。可能な現場では…という条件付きですが。ただ、私は面接だけで会うことしかできない構造でも、生活への眼差しやセンスを持っていればいいと思うんです。それが、自分が見ているのはごく一部だという節度につながる。

2011-07-28 11:16:50
いま~じゅ太郎♪ @image_taro

@moe_zou 面接の中で見える内的世界の変化や成長が、すぐに日常生活に反映されるとは限らないので、(私の場合)その辺のズレを直接処遇職員に説明して理解してもらうことや、日常生活において行動療法的に行動に焦点を当てる方法を用いていくことが有意義だと感じています。

2011-07-28 11:26:58
藤山直樹 @monomorahi

@moe_zou 証明は手続き的に難しいでしょう。週1回では足らないかも知れません。しかし、心理療法で起きていることと外部の時間が交流してつよい力が生まれます。面接のときにだけプロセスが動くのではないでしょう。患者になって経験しないと実感するのは難しいかもしれないですが。

2011-07-28 11:29:32
モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

@monomorahi 「面接室至上主義」的な人には、その時間が「面接室」でないといけない、かつ「現実から離れる時間」でないといけないという「自動思考」に囚われてはいないか?と問いたいですね。その人のLifeは「面接室で起こっているのではない。現場で起こっているんだ!」

2011-07-28 12:19:05
モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

@image_taro 「自分が見てるのはごく一部だという節度」はとても大切ですよね。いい言葉だ。メモしておこう。面接室の中で、その人のこれまでの167時間、これからの167時間の存在を大切に出来ることが心理療法にとっての必要条件のように思います。

2011-07-28 12:28:54
モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

@monomorahi ところで、「心理療法で起きていることと外部の時間が交流して生まれる強いちから」ちゅうのは、患者・治療者関係でないとできないもんですか?バイザー・バイジー関係の中では生まれないのですかね?それともそれとは次元が違うものなんだろうか??

2011-07-28 12:38:29
藤山直樹 @monomorahi

@moe_zou その人のライフが生起している「現場」はどこなんでしょう。面接室でのほうがより「生きている」という体験は多くの患者がもつと思いますし、私も患者としてもちました。しかし、私は面接室がその場所だとは思いません。でも社会空間がその場所でもないように思います。

2011-07-28 12:51:31
KABA @KABA0115

@moe_zou 「面接室至上主義」でないと体験できないもの、成長(他の言葉の方があっているような)させられないものがあるので、クライエントには建設的なアイデアが出るように、互いの否定的見解を述べるより相補的な関係作りを述べた方がいいように思いますが、さてどうでしょう?

2011-07-28 13:11:41
モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

@monomorahi 面接室での体験がより「生きている」という実感を持つということはどういうことなのでしょうか?それは「自分の体験が整理される」体験を持つことによって起こってくるのではと考えます(むろんそれだけではないでしょうが)。

2011-07-28 17:59:19
モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

@KABA0115 僕はクライエントの「面接至上主義」についてはなーんにも思っていませんよ。セラピスト側にある「面接至上主義」ってものに対しての疑問です。しかし、『「面接室至上主義」でないと体験できないもの成長させられないもの』って本当にあるんですか?

2011-07-28 18:10:41
藤山直樹 @monomorahi

@moe_zou あまりに本質的な問です。精神分析内部に限っても、それについてフロイト以来100年以上夥しい言説が積み重ねられてきました。私も20年そのことを考えて書いてきました。私の直観では「整理」という言葉は薄すぎる気がします。早わかりしなくてもいいのではないでしょうか。

2011-07-28 18:55:15
ロテ職人 @rotemeister

この議論全体も面白いけど、@moe_zou先生と@monomorahi先生との異種格闘技戦の続きが大変気になる / Togetter - 「臨床心理学とは何か~日本とアメリカの類似性とか,あるいは,167時間とか」 http://htn.to/fH65np

2011-07-28 20:35:29
KABA @KABA0115

@moe_zou 無いという答えだけしか想像できていなかったら、少し残念ですね。単純な否定は自分の臨床を狭めてしまう危険があるように思います。ただ、これまで思われていたよりは、多くないでしょうね。氏原先生が悩んでましたね。

2011-07-28 23:41:37
いま~じゅ太郎♪ @image_taro

@monomorahi @moe_zou 正に本質的な問い。面接室がその場で無いというのには同意です。面接室は北山修先生がいう様に「楽屋」であって生き生きとした舞台上の現実の一歩手前、仮初めの体験と思います。おそらく面接室外のどこがその舞台になるのかはクライアント毎に違いますね。

2011-07-29 00:34:10
藤山直樹 @monomorahi

@image_taro @moe_zou 本質的な問いとはmoe-zoさんの問いであり、場所についての問いではありません。議論がすれ違っているようです。

2011-07-29 00:39:35
いま~じゅ太郎♪ @image_taro

@monomorahi @moe_zou そうかもしれません。しかし、どこがその場かというのはクライアントさんにとっての切実な問題では?臨床家にとってそれがどこの場なのかは大した問題ではない。むしろ、場を無視してそれを議論しようというのが本末転倒と私は思いますよ。

2011-07-29 00:45:19
藤山直樹 @monomorahi

@image_taro @moe_zou あなたは彼の出した本質的な問いはお読みになっていますか。そのうえで、場所の問いのほうが本質的であると思われるのなら、その論拠をお示しください。

2011-07-29 00:51:08
いま~じゅ太郎♪ @image_taro

@monomorahi @moe_zou moe_zouさんは、まず「面接室でなければいけないのか?」というところから問いを発せられていますね。そこを無視するのですか?出発点の問いをむしろ私はすり替えている様に見えてしまうのですが。

2011-07-29 00:58:12
藤山直樹 @monomorahi

@image_taro @moe_zou それはずいぶんまえの話です。私が本質的な問いだいったのは、直前のツイートでした。話は変化しているのです。すり替える必要など私にはないわけですが。というか、私は明日8時からセッションなんで、もう寝ます。

2011-07-29 01:18:57
ピュアリー @purely1939

禁欲原則や中立性によってしか出会えない患者のパーソナルな部分・真実の部分があるように思うので、剥奪とは感じなかったですね。勿論これだけが全てかどうかは分かりませんが。 RT @image_taro 飢餓感を目の当たりにしていると「剥奪」も言い過ぎでない @kazeatume

2011-07-29 07:29:13
モエゾウ(もえぞう) @moe_zou

@monomorahi 当方若造なもので、結論を急ぐきらいがあるかもしれません。ご容赦を。確かに整理という言葉は軽いかもしれません。ただ、そこにセラピーの機能が表れるのだと思います。

2011-07-29 08:31:02
藤山直樹 @monomorahi

@moe_zou ゆっくり考えていきたいものです。何が独特の「生」の感じをそこにもたらし、人を変えることとつながっていくのか。「整理」という言葉で表現される、分節化と連結の要素はたしかに関係があるとは思います。

2011-07-29 08:54:32
いま~じゅ太郎♪ @image_taro

一般的にはそうでも、施設入所児にはそれが外傷体験の上塗りにしかならないと強く感じる。 RT @purely1856: 禁欲原則や中立性によってしか出会えない患者のパーソナルな部分・真実の部分がある RT 飢餓感を目の当たりにしていると「剥奪」も言い過ぎでない @kazeatume

2011-07-29 09:03:57
Miyako Shirakawa-Nishi @myksrkw

@image_taro ニュートラルなんて放置か場合によっては敵対としか感じられないですものね、、

2011-07-29 09:22:17