twitterオンライン講評×建築LOVE
いろんな話を最近して、形而上的なものから実作へっていうポリシーはあまり変わらないけど、もっと突き詰めると、形骸化している建築のかたちを、もっと現実の社会に即したものにしていきたいのだと思う。
2009-12-11 16:14:57昨日友達と話していた事をまとめてみると、うちの大学のうちの学科のうちの学年の方々には、設計に問題意識が無い。なぜ、設計をするのか?どのようにプログラムを考えているのか?どんな風に使って欲しいのか?って事を考えたら良いと思う。ていうか、教え方が悪いんだな。
2009-12-11 16:55:47平成世代平成世代とかいうけども、俺はどちらかというとそれよりも90年代世代という意識のほうが強いかな。平成(1〜10?)世代≒90年代世代で、完全にイコールじゃないってのが面白い。そうなのです。僕は、まだ未成年。
2009-12-11 17:00:52設計するのは僕らで、社会学者から学べばいい。「徹底討論 私たちの住みたい都市」は社会学者vs建築家でおもろかったよ。RT @jun_que 社会学者が建築を設計したら、どんな風になるのだろう。めちゃくちゃ気になる。
2009-12-11 17:22:54@aruteist そういわれたらそうですけど、純粋に建築のバイアスがかかっていない空間提案を見てみたいです。どうしても、建築を学んでしまった以上、視点が建築的になってしまうのではないかと。
2009-12-11 17:26:51二年生は素人から専門家に変化する過渡期。ほぼ素人なのだから建築を評価することは不可能。というか今線引きしてしまってはもったいない。ということを心にとめておきたい。
2009-12-11 17:27:23その壁を乗り越えるには、意識的に理論を組み立てていく他無いと思うのです。まあ、逆に建築関係でない一般人のほうがバイアス掛かっているのかもしれないな。住宅=nLDKだとか。
2009-12-11 17:27:59@jun_que いまの俺らにそこまで建築のバイアスがかかっているとは思えない。だからこそ俺は建築書より人文書を読む。バイアスにかかるまえに人間としてもっと成長したい。
2009-12-11 17:29:55@aruteist ちなみに、なんで社会学者に設計して欲しいかというと、51Cシンポの本の中で、「建築家は与条件を前提に考えるが、社会学者は与件を疑う訓練を受けている」という話が出たからです。
2009-12-11 17:34:43例えばうちの大学の住宅設計のプランのほとんどがnLDKをなんの疑問も無く受け入れてたように、なんていうか、やっぱりどこかしらでこのビルディングタイプはこうあるべきではないかというバイアスがあるように思えます。
2009-12-11 17:37:00@jun_que うちの先生とかも与条件を前提に考えてはいない。そして建築をつくる上で与件なくして建たない。その矛盾を解決していくのが設計。なのか?w。
2009-12-11 17:38:19社会学者とは違うが、中村雄二郎が自邸を自分で設計したというので興味津々で話を聞いてみたら、単に間取りを考えただけだったという残念が事実があったなぁ。
2009-12-11 17:40:47@jun_que うちももちろんそうだよw。そのバイアスを取り払ったとこから設計を始めたい。結果的にそうなってしまうならそれはそれで仕方がないんだけどw。
2009-12-11 17:42:11今の言説はまるで追ってないので分からないが(これはこないだのクラス他の忘年会で痛烈に感じたところ)、90年代後半に哲学やら社会学の連中が建築に言及し始めた時には、設計者≒建築家という個人的な人格やら作家性を疑っていても、設計≒間取りという固定観念を前提にしていたように思う。
2009-12-11 17:46:54@aruteist そうそう。たぶん、結果的にそうなっちゃうんだろうなーって事がたくさんあるんですよね。だから、本当に新しいかたちを提案したいのなら、まず今までの集積である知識=バイアスを学ぶ必要があって、その次段階としてそのバイアスの再考があるんでしょうね。
2009-12-11 17:47:13RT @net_heads: 今の言説はまるで追ってないので分からないが(これはこないだのクラス他の忘年会で痛烈に感じたところ)、90年代後半に哲学やら社会学の連中が建築に言及し始めた時には、設計者≒建築家という個人的な人格やら作家性を疑っていても、設計≒間取りという固定 ...
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