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父 徳川慶喜様へ 息子 慶久の絵葉書 慶久様はとても絵が上手く、様々な方に自筆の絵葉書を書いています。 この絵葉書からは父上である慶喜に尊敬と親愛を持って描かれているのが伝わってきます。 慶喜は歴史上の人物かも知れないのですが、心が通う素晴らしい人でした。 pic.twitter.com/t9WZK32Kna
2021-03-24 22:08:23徳川慶喜と松平容保の玄孫。第五代徳川慶喜家当主 祖母・徳川和子との共著『みみずのたわごと』(東京キララ社)2020年12月刊行。名古屋在住。 メニコン芸術文化記念財団、日本文化国際交流協会 理事 将軍珈琲宣伝大使bernardyamagishi@gmail.com
へええ…徳川慶喜は大正時代まで生きられていたのね 明治四年に郵便制度が始まって、二年後から郵便はがきがあったらしいから、大正時代まで慶喜さんが生きてたのなら葉書も使えることになるのか…
2021-03-25 12:06:31@yamagishimadam 山岸さま なんと素敵な絵葉書ですね!徳川慶喜氏は公としては歴史上の人物ですが、明治になってから、写真など色々な趣味を楽しんでいて、ヒューマンなぬくもりのある方でほほえましく感じておりましたが、こちらのはがきを拝見してほっこりと致しました☺️
2021-03-25 14:40:08@yamagishimadam 追伸:幾つか分かりませんが読んでみました。 拝啓 御客体追々御快方に(尓)御趣の事と存じ奉り候。 昨日は(ハ)都合により、長野に止り[塗抹]泊りて、 今直江津発新潟に(尓)乗る前に(尓)御望■に候。 新潟に(尓)来れば(バ)御様子を知る事と存じ候、 一同無事に相候間、御安心を下さゐ。
2021-03-25 15:42:16@yamagishimadam 続きです。たびたび失礼いたしました。 甚(だ)失礼と(所)謂へ共、 端書を以て消息御報知迄(まで)。 如斯(かくのごとく)に(尓)御座候。 失礼なが(可)ら、皆々に宜敷(しく)願上げ■し候。 此図:直江津近傍スタンダード石油製造所見物の途中 ■の所が分かりましたら嬉しいです🙏
2021-03-25 15:47:20@yamagishimadam 追記:もう一度ぱっとみましたら、二つ目の■は今でも使う「草々」と分かりました!「皆々に宜敷(しく)願上候。草々」でした😊 一つ目の■は傘の留め金の画でした😅
2021-03-25 17:16:00身近でなんか不思議な感じ
@yamagishimadam おはようございます。 歴史上の人物と思っていた方の住所で【東京都】などと見ると、何だか身近に感じられ、不思議な気持ちが致します。 いつも素敵なお話を、ありがとうございます。
2021-03-25 05:53:35@yamagishimadam 突然の書き込み失礼致します。 歴史上の人物となるとすごく遠く感じますが、最後の将軍であった慶喜公に現代のようなハガキが宛てられているのが残っているのを見ると激動の時代を越えて今があることに感動します。
2021-03-25 11:21:18@kuginukiautumn 慶喜宛の手紙は全て公開されているわけではありませんが、多く残されています。 必要に応じて公開する時が来たのではと思っております。 家庭のプライバシーと歴史の狭間。 歴史と現代をつなぐ糸のような品ではないでしょうか?
2021-03-25 12:06:35明治政府と徳川家の関係が何となくわかる資料。 教科書で習っただけだと、いつまでも敵対関係のように思ってしまうが、今の文京区に住んで、好きなところに移動している様子がわかる。 慶喜の弟も多くの写真を残しており、安穏な生活を送っていたようですね。 twitter.com/yamagishimadam…
2021-03-25 07:23:56