ネット上でも実社会でも、言葉で何かをやろうとする人は、正しさに甘えたり、相手を論破することで満足してはいけないのだと思う。それはルールと審判がいる場所での勝利条件であって
- lucifer_af
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猪木と戦ったルスカは、オリンピックでメダルとったぐらいだから、柔道は間違いなく強かったのに、プロレスは不得手だったというし。相手の良さを引き出して、面白い試合にする能力が不足していたのだと
2011-07-29 16:51:55おしゃべりというルールで柔道とプロレスに相当するものを見渡すと、プロレスっぽいメディアはたくさんあって、柔道っぽいのは少ないというか、ない。相手の言葉につきあわないと、おしゃべりは成立しないし。
2011-07-29 16:55:13で、相手の良さにつきあわずに、自分の強みを徹底的に押し出すようなやりかた、スポーツに近いものは、やっぱり審判の存在と、厳密なルールが欠かせない。競技ディベートはそれに近いのかもしれないけれど
2011-07-29 16:56:02そういう意味で、世の中で行われるコミュニケーションのほとんどは、当事者がどれだけそれをまじめにやろうが「プロレス」である必要があって、審判抜き、ルール抜きで相手に対する気遣いを抜くと、それは真剣勝負でなく、単なるつまらないやりとりになる
2011-07-29 16:57:19勝負それ自体を盛り上がりに結びつけるためには、審判と、ルールの存在が欠かせない。観客は、これを代行することはできないように思う。何が違うのかといえば、最初からルールを知っている人と、やりとりを見てルールを学んでいく人と
2011-07-29 16:58:54厳密な総合格闘技は、もしかしたら素人の観客には理解できないし、プロレスは逆に、子供でも心から楽しめなかったら、プロレスラーの人たちはそのことを悔しがる。あるいはそうであってほしい
2011-07-29 16:59:43ネット上でも実社会でも、言葉で何かをやろうとする人は、だからこそ正しさに甘えたり、相手を論破することで満足してはいけないのだと思う。それはルールと審判がいる場所での勝利条件であって
2011-07-29 17:01:47@medtoolz 端から見て上手いコミュニケーションは、プロレスより、さらにダンスに近いんじゃないかと。
2011-07-29 17:07:22@twit_shirokuma 格闘技だと、カポエラなんかはまさにそんなかんじですよね。。空気読むの間違えると怪我しそうですし
2011-07-29 17:07:58@medtoolz やりとりの目標が、「勝つ」ことにあるか、それ以外のところにあるかの違いが、そのコミュニケーションの外観にも大きく関わるのかなとも思います。
2011-07-29 17:12:49アントニオ猪木にはタックルの技術がなかったのだと、猪木のルポルタージュに書かれていた。ゴッチは教えなかったんだと。猪木-アリ戦はだからああなったのだ、という指摘というか、推測が行われていた
2011-07-29 17:20:21タックルというのは、言ってみればボクサーの持ち味を殺すための技術で、相手の良さを引き出しつつ、技の応酬を目指すプロレスには、もしかしたら必要ない。でもタックルできない人が総合格闘技に出場しても、相当に苦戦する
2011-07-29 17:21:32相手の持ち味を潰すための技術というのは、普段のコミュニケーションに用いるものではないし、いくら勝てるからといって、それをやると「つまらない奴」と切り捨てられる。かといって、これを知っておかないと、勝ち負けを争う場に出たときに苦労することになる
2011-07-29 17:22:36@medtoolz それは狭義の対話希求というより、勝利の栄光に飢えた軍人の「戦術」だと思います。そういうのも大切ですし、切り離して考えるのは難しいですけどね。
2011-07-29 17:23:42@twit_shirokuma こう、プロレスしたいのに、勝負にこだわる人が勝ち奪いに来ても、「すいません。面白くないです」という返事しか返せないのですよね。。
2011-07-29 17:24:44@medtoolz そうですね。だから、コミュニケーションの相手はよく選ばないといけないなあと思います。
2011-07-29 17:30:15