医学者(小野昌弘氏)から見た福島での健康調査と倫理について
「フクシマにおいては、倫理が科学に優先すべきである」放射線基準値のひきあげと福島住民への健康調査についての私の意見文(レター)が昨日発行の医学誌BMJに掲載されました http://t.co/rgNci36 これを翻訳・紹介します http://t.co/3HCXtwT
2011-07-03 15:56:03福島における健康調査について:福島住民に対する線量調査と健康調査の計画は予定通り進行中のようであるが、「どのようにして調査を福島の住民のためになるものに担保するか」という視点が、この件についてどの立場を取っている人にもすっぽりと欠けているのは大きな問題であると思う。
2011-07-26 07:23:35続)現に放射性物質による汚染が一定程度存在している以上、住民の健康調査を行うということ自体は必要なことと思う。ただし、健康調査を行う動機と目的は、たずさわるひとによって大きく異なっている。しかもそれぞれの立場がその枠内では論理的には正しいのである。このことをまず理解する必要がある
2011-07-26 07:49:053月のあの日以降、Lancet OncologyやNatureといった医学・科学を先端でリードする雑誌の論説において、「将来の世界のために」フクシマにおける犠牲を無駄にせず、日本は綿密な線量調査を伴った最大限の健康調査を行うべきであるという論が展開されました。
2011-07-26 07:56:25続)このように外国からみると、福島における調査は「将来の世界のひとのため」になる。ここに、福島の住民がその地に暮らす光景は見えない。ただ、チェルノブイリ、フクシマ、に続く次の原発災害や放射能事故にどのように対応するか、という思考があるのみである。
2011-07-26 08:08:35続)これらの意見に対する反論として http://t.co/2kVTgnk 拙論を書きました。つまり、福島、日本には住民が暮らしている。ことが終わったわけではない、のだと。医学・科学誌でありながら「科学は倫理に一歩譲るべきだ」という意見を掲載したBMJの懐の深さには敬意
2011-07-26 08:31:49続)ことが終わったわけではない場所である福島においては、科学調査よりも、医療におけるヒューマニズムの精神をひとつ優先させる必要がある。つまり、西欧社会でいう、倫理(Ethics=強者弱者をとわず共有される公正さにもとづいた理念)で科学調査の方向付けをして行く必要がある、と。
2011-07-26 08:40:33このような状況において、具体的に、どのようにして、健康調査を福島の住民のためになるものに担保するかを真剣に考えるべきと思う。
2011-07-30 18:41:27実はこの問題は、放射線の線量上限をどこにするかという問題とはまた別個のものである。また、やみくもに「人体実験」だと非難することはかえって問題を曖昧にしてしまう。なぜなら医学は個別の医療の実践と研究の2本足で進んで来たものであるのだから、福島の問題の個別性を捉えることはできない。
2011-07-30 18:45:27続)再度言うと、健康調査を行う動機と目的は、たずさわるひとによって大きく異なる。しかもそれぞれの立場がその枠内では論理的には正しい。このことをまず理解する必要があり、そのうえで福島の人のためになるよう担保する方法を考えるべきだろう。
2011-07-30 19:09:53続)ここで、「世界のために」調査データを集め放射線の危険性を推定しようという立場と、福島の住民の健康と生命を守るという2つの立場があろう。これは、一般的にいえば、研究と医療、世界と地域(日本、福島)、医学の一般性と個別性といった対立項に重なってくる。
2011-07-30 19:14:32続)実践的にいうと、拮抗するひと(組織)のバランスを意識的に配置してこの違う立場のバランスをとることを保証していくこと、理想的に言うとこうした立場の違いを超えて福島のひとのためになることを目指すのが重要と思う。
2011-07-30 19:15:48具体的にもっとも懸念されるのは、調査に関わる事柄が、国立がん研究センター、放射線影響研究所、福島医大、広島大、長崎大といった、研究志向かつ行政の強い影響下にある組織によって完結してしまうこと。これでは、得られた情報をいま生活している住民のために生かすことも、透明性の確保も困難
2011-07-30 19:45:08医療系の研究機関が福島における健康調査をするなら、きっと福島の住民の健康の維持に役立つことをするだろうと期待されるだろう。もちろん、そう願いたいところだが、業務に携わる一人一人の人間は自分の持ち場以上のことはそうしないものである。例えば、健康調査で中心になる統計学者は何を考えるか
2011-08-02 07:40:04続)統計学的には、可能なかぎり多くの人を、被曝線量の正確な測定を行ったうえで、定めた健康調査項目を均一な条件で定期的に確実にこなし、長期にわたり調査するという向きに思考がむくものであろう。統計学者が健康調査を統計学的に有意義のする条件を考えるのは必要なことであり間違ってはいない
2011-08-02 07:45:38続)また、各々の健康調査項目を担当する医師は、その本分をつくして、正確な診断を行う努力をするであろう。それは、その一人一人の患者の早期発見・治療にむすびつくならば、重要な努力となる。しかし、この医師たちは、全体として何が起こっているのかを知ることができる立場にはいないかもしれない
2011-08-02 07:47:47続)つまり、研究機関だけが参加している状況では、福島の現状をなるべくこのままにしておきたいという向きの力がかかりやすい。なるべく住民には移動してもらいたくない。なるべく同じような変化のない生活をしていてほしいという向きに。
2011-08-02 07:52:56続)一方で、この健康調査により、研究結果がまとまる5年・10年後より前に、特に危険な地域についての情報や、住民が特定の疾患になりやすいというデータがみえてくるかもしれない。このとき、情報が公開されて、公衆衛生政策に使えるならば、それ以上の被害を回避する手段がありえるかもしれない
2011-08-02 07:55:02つまり、福島での健康調査を、公衆衛生的な意味で、住民の健康のために生かすためには、放影研などの研究機関が情報を独占してはいけない。研究機関以外の組織、特に直接住民の健康維持に責任を持つ地域の医療関係者が、収集されて来るデータにアクセスできるようにすることが重要になると思う。
2011-08-06 17:22:31