迫る危機にどう対応するつもりなのかと切り返したツァイツラーに、ヒトラーは、こう答えたという。 「第一に、それ[危機]はまだ深刻ではない。第二に、死守、死守、死守によってだ!もし、我が部隊がそんな陣地のことを聞いたら、そこに退却したがることだろう。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:32:57その防御意思はむしばまれてしまう。彼らには、前線に立ち、守り抜くこと以外は許してはならん。」 現実に敗勢に直面してからも、ヒトラーの姿勢は変わらなかった。東部戦線、あるいはOKHの将軍たちが退却を懇願しても、ほとんど認めようとしなかったのである。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:32:57通常の戦争では、軍事的合理性に従い、敵に空間を差し出すことによって、態勢立て直しや反攻準備のための時間をあがなう。しかし、世界観戦争、また、それを維持するための収奪戦争の必要から、ヒトラーには、後退という選択肢を採ることはできなかったのだ。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:32:58ファシスト・イタリアの独裁者、頭領ベニート・ムッソリーニも、スターリングラードの敗戦後、ソ連との和平をヒトラーに訴えていた。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:54:19しかし、結局のところ、日本も他の同盟国も、さらにはリッベントロップによる和平交渉の勧奨も、独ソ戦を、外交による解決が可能な戦争だと誤解しつづけていたのである。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:54:19クラウゼヴィッツは、戦争の本質が、敵に自らの意志を強要することである以上、敵戦闘力を完全撃滅し、無力化する「絶対戦争」を追求するべきだと考えた。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:54:19けれども、現実には、さまざまな障害や彼のいう「摩擦」、また、政治の必要性などによって、戦争本来の性質が緩和されるために、絶対戦争が実行されることは例外でしかないとみなすようになったとされる。だが、ヒトラーは、まさにその例外を実現しようとしていた。 「独ソ戦」 大木毅
2021-03-30 23:54:20ドイツ一国の限られたリソースでは、利によって国民の支持を保つ政策が行き詰まることはいうまでもない。しかし、1930年代後半から第二次世界大戦前半の拡張政策の結果、併合・占領された国々からの収奪が、ドイツ国民であるがゆえの特権維持を可能とした。 「独ソ戦」 大木毅
2021-04-04 23:27:56換言すれば、ドイツ国民はナチ政権の「共犯者」だったのである。それを意識していたか否かは必ずしも明白ではないが、国民にとって、抗戦を放棄することは、単なる軍事的敗北のみならず、特権の停止、さらには、収奪への報復を意味していた。 「独ソ戦」 大木毅
2021-04-04 23:27:56ゆえに、敗北必至の情勢となろうと、国民は、戦争以外の選択肢を採ることなく、ナチス・ドイツの崩壊まで戦いつづけたというのが、今日の一般的な解釈であろう。 「独ソ戦」 大木毅
2021-04-04 23:27:57独ソ戦とその結果は、さまざまに利用されてきた。最近では、プーチンのロシアが、民族の栄光を象徴し、現体制の正統性を支える歴史的根拠として、対独戦の勝利を強調しているのは、周知の通りだ。 「独ソ戦」 大木毅
2021-04-04 23:41:58また、かつての西ドイツ、そして、現在のドイツにおいても、非追放民の政治団体「非追放民同盟」は政治に右バネを効かせつづけている。 独ソ戦終結から70年以上を経ても、この戦争の余波は消え去ろうとはしていないのである。 「独ソ戦」 大木毅
2021-04-04 23:41:58絶滅・収奪戦争を行なったことへの贖罪意識と戦争末期におけるソ連軍の蛮行に対する憤りはなお、ドイツの政治や社会意識の通奏低音となっている。敢えてたとえるなら、ドイツ人にとっての独ソ戦のぞうは.日本人が「満州国」の歴史や日中戦争に対して抱くイメージと重なっているといえよう。 「独ソ戦」
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