@negadaikon2 「批判的」という語はもはや別物として用いられつつありますね。それはたしかにくやしい
2011-08-02 01:12:11@itsuchide 2010年に出たある図書館史研究の方法論の論文に「歴史研究には史料批判というものが付きもので、それが非常に大事だ!」と書いてあったんです。全くその通りなんですけど、史学科の人はそれ大学1年で習うんです・・・。あのときは分野の壁を感じました。
2011-08-02 07:09:20@Zhang_Mao あ~、厳密に定義するのは難しいですが、一例でいうとこういうのがありますね。http://t.co/y4fxSwt @itsuchide
2011-08-02 07:20:47@negadaikon2 @itsuchide あー、うちらが「これ、江表伝が出典だから眉唾」とか「漢晋春秋のこの文は小説」とか言うような感じですかね?
2011-08-02 07:24:39@Zhang_Mao 近いと思います。感覚的には、引用したり参照する文献の立証能力とか妥当性に言及する際に使う気がします。「その史料批判は甘くないか」とか。 @itsuchide
2011-08-02 07:27:00@negadaikon2 @itsuchide なるほど。自説と対立する説に、ちゃんと史料に記述があるときは、そうやって攻撃すれば良いんですね。
2011-08-02 07:31:15@negadaikon2 やあ、それこそ手続きの問題だから区別無意味じゃね、って話なかったかいな。コアな政治史は別かもしれませんが
2011-08-02 07:34:48@archivist_kyoto コアな政治史に限らず、博論とかの引用・参照文献一覧ではまだ区別している印象がありますよ。その是非の議論ももちろんあると思いますが。
2011-08-02 07:37:00@negadaikon2 あー、一覧にするときに史料の種類別に分けるのはあるかも。でもそれと、昔昔概論でならったような数字による一種の序列化は同じではないのでは、と。まあ結論はないですが
2011-08-02 07:42:34@archivist_kyoto そうですねえ。ただ、例えば私なんかは、近デジが一次史料って言われると心理的には抵抗を覚えるクチです。っていうと現物フェチみたいですが、媒体変換されたものは二次史料でしかないと思っているので。二次が無意味なのではなく。そこは分けたいですねぇ・・・。
2011-08-02 07:46:29@archivist_kyoto いや、だから無意味じゃないんですよw 保存しなきゃいけないんだしw それにメタデータが付けば一次史料とは別個の価値を有するという意味もあるし。同一物と見なすのはちょっと、というだけで。
2011-08-02 07:51:17.@hayashiyutaka @Zhang_Mao @negadaikon2 写本の善し悪し?を検討するのが大事になるわけであります。そこら辺はゴトーが話しませんでしたか?
2011-08-02 07:53:22@negadaikon2 なるなる。まあ引用するときは現物見たときとアジ歴見たときとは別の書き方しますからね。近デジも引用方法の指定ありましたっけ?
2011-08-02 07:56:00写本でも、研究内容によって一次資料になりうるのでは? 写本系統の研究の人ってどうみなしてるんだろう。…というか写本(といわれているもの)しか現存していない物語だったら永遠に一次資料にはめぐり合えなくなっちゃう。
2011-08-02 07:57:21@negadaikon2 @archivist_kyoto @hayashiyutaka @yaskohi 近デジが一次史料かどうかは、現物に何を求めてるのかによりそうです。テキストだけなら、一次史料扱いでもいいような。紙質とか綴じ方とかだと一次とはいえないと思いますが。
2011-08-02 07:58:20@hayashiyutaka @yaskohi たぶん、「史料」という言葉に引っかかってるんだと思うんだけど、「一次史料」とか「二次史料」とかいう区別は、使用するとき(=論文で引用する/されるとき)に初めて意味を持つのであって、研究者が筆写したメモが一次か二次かは議論にならない。
2011-08-02 07:59:03ちょっと話がそれるけど。よく勘違いされがちで自分の記憶も曖昧やけど、例の停止中の附則を除けば著作権法上は手書きでもコピーでも複製は複製だった様な。
2011-08-02 07:59:46