中世ヨーロッパの都市世界

河原温、1996,「中世ヨーロッパの都市世界」、山川出版社   http://amzn.to/rqneBj   基本の内容としては「中世の都市は自由とか自治とか幻想もたれてるけどそんな自由って感じでもなかったよー」みたいな話 続きを読む
メモ ヨーロッパ 西洋中世史 中世 歴史
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m_um_u @m_um_u
#中世ヨーロッパの都市世界 「古代ローマ文明の及んだライン川 http://bit.ly/gBjPLy http://bit.ly/ng3o8r ドナウ川 以南のヨーロッパ」という記述に改めて「川」という境界線を意識。境界であり流通
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#中世ヨーロッパの都市世界 中世の都市はもともとローマの衛星都市「キヴィタス」の名残り起こってきたもの。キヴィタスを中心にその市外に市場を、内部に教会を抱えこれらを中心に都市が編成されていった
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#中世ヨーロッパの都市世界 (ライン川やドナウ川などの流通を中心に発展していった)都市の構成要素は「壁、門、塔」であった。外敵から都市を守るための壁と門。塔は市庁舎と教会 (cf.ノートルダムなど
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#中世ヨーロッパの都市世界 代表的都市はキヴィタスを中心に発展していったが、貴族の城砦や修道院の近くで余剰作物や主工芸品を取引する市場集落が発展していった。こういった市場集落はカストルムもしくはブール(ブルグス)と呼ばれキヴィタスの周囲に衛星のように発展していった
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#中世ヨーロッパの都市世界 キヴィタスやブルグスをはじめとする都市的定住地の住民は「キヴェス」や「ブルゲンセス」といった統一的呼称をもって史料に現れてくる。ブルゲンセス(burgenses)という呼称はブルジョワ(bourgeois)やビュルガー(Burger)の元になっている
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#中世ヨーロッパの都市世界 中世の都市はそれほど自由で自治に富んだものではなかった。たとえば11c後半から北フランスからライン地方に生じたコミューン運動は「自由」や「自治」の不可欠のモデルとされることもあるが都市領主からの完全な自由というわけではなく一定の契約に基づいた自由だった
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#中世ヨーロッパの都市世界 それは都市の領域的平和を目指し「平和の制度」と同義であった。また「身分を超えた水平的連帯」ではなく、その特権は都市内に家屋または土地を持つものに限られていた。少数の有力者層による寡頭政治的性格をもつものであった
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#中世ヨーロッパの都市世界 既製のコミューンは王権の内部では鎮圧されていたが、軍役の義務との交換にコミューン特許状を王から付与されることで王権により公認され公的制度へと変容していった。コミューン制度は王の保護のもとに封建的階層秩序へと組み込まれていった
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#中世ヨーロッパの都市世界 中世人、中世の教会人の理念としては都市はイェルサレムがごとくの理想的なものであるべきであった。しかし実際の中世の都市は埃とゴミにまみれ、キヴィタスや市場を中心に建て増されていった無計画なものであったので人口密度も多い生活環境の悪いものであった
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#中世ヨーロッパの都市世界 中世の都市空間は一般に狭小であり、人口過密は恒常的であった。市民の住宅は部屋数も少なく、一般に三階から五階建て、プライバシーや快適さにかけていた。職人や商人の家は一般に木造の長屋式であった。道路は舗装されていなかったため埃が舞い、悪臭を放っていた
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#中世ヨーロッパの都市世界 中世ヨーロッパ都市には自由とか自治とかのイメージあったけどあれは一部(ドイツとか)で、実際は都市そのものも、都市内部も「自由」ってのとは違う、と。「王権」「都市-商人」「諸侯」「教会」の4者関係。この辺の色合いがそのままブリューゲルに表されてる感じ
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#中世ヨーロッパの都市世界 中世の社会は身分制社会であり、いきるためには自己の身分と働きに応じて、すくなくともひとつの団体に所属しなければならなかった。都市民であれば同業組合(ギルド/ツンフト)に所属することがもっとも一般的な生き方であった
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#中世ヨーロッパの都市世界 ギルトとは、本来血縁関係を持たない者たちが、相互扶助を目的として結成した自発的仲間団体であり、その起源については、ゲルマン的共同宴会の伝統とローマ時代の都市手工業の同業者関係(コレギウム)との連関が指摘されている
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#中世ヨーロッパの都市世界 ギルトの内容として。商人ギルドと手工業者ギルドは判別され、商人ギルドが都市の経済生活全体を制御する団体であったのに対して、手工業ギルドは製品の質を統制し、品質を管理する団体として機能した。また、ギルドは仲間の埋葬に関する儀礼と密接な関わりを持っていた
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#中世ヨーロッパの都市世界 ギルドは教会にステンドグラスを寄進し、ギルド会館を呼ばれる建物を市庁舎や大聖堂と並ぶ規模で建設し、都市にそのアイデンティティを刻んでいった。都市の手工業者たちは「祈るもの」「戦うもの」に続いて「働くもの」として農民と共に社会に位置づけられていった
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#中世ヨーロッパの都市世界 一般的にギルドの序列は 法律家・商人>毛織物・絹織物業者>医師・鍛冶・甲冑工>パン屋・肉屋・宿屋 となっていった感じであったが都市によってまちまちであり、身分的序列が経済的序列を反映していたわけではなかった
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#中世ヨーロッパの都市世界 多くの都市では、ギルドはカルテルのような機能をし、一度特権を得るとそれをわけ競合しないように相互規制を行った。そういった職業的絆に基づいた利益共有団体としてのギルドに対して、兄弟団のようなボランタリーな団体もひろがっていった
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#中世ヨーロッパの都市世界 都市民の社会的絆を示す別の形として兄弟団もしくは信心会(コンフラタニティー、ブルーダーシャフト、コンフレリーー、コンフラテルニタ)と総称される団体があった。
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#中世ヨーロッパの都市世界 兄弟団とは、共通の守護聖人に帰依し、善行を通じて死に備え、来世での救済を希求した慈愛のためのネットワーク的団体である。ギルドと異なり、兄弟団は都市に限られた組織ではなく農村においても広く展開された
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#中世ヨーロッパの都市世界 兄弟団には一般に毎年加入金さえ払えば身分や職業、居住地域の区別なく、また女性や子供も入会できた
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#中世ヨーロッパの都市世界 兄弟団の会員はキリスト教の7つの愛徳を実践することを期待された。すなわち、病気のメンバーを見舞い、貧しいメンバーにはパンや飲み物・衣類などを分け与え、また物故したメンバーを埋葬し、物故者の魂の救いのため一定期間主の祈りなど祈祷文を唱える義務を負っていた
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#中世ヨーロッパの都市世界 また、処刑前の罪人の元へ赴いて慰めを与えたり、貧しい子女の婚資を援助するなどの活動も行い、新たな信心の形態を求めて、能動的な宗教・社会活動に従事した
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#中世ヨーロッパの都市世界 11C後半以降、ヨーロッパの幾つかの都市では知識の蓄積と伝達を軸とする知的営為に関わる媒体として「大学(ウニヴェルンタス)」という研究・教育組織が姿をあらわす。
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#中世ヨーロッパの都市世界 大学は、法的特権を持つ独自の共同体(ギルド)として同業組合と並んで成立したのである。こうして「教師」と「学生」の組合を構成した大学人は、教会裁判の管轄権下にある存在として聖職者特権を認められ、一般の都市住民とは区別された存在であった。
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#中世ヨーロッパの都市世界 大学では、神学、法学、医学、自由学芸などが教えられた。大学に向かって他地域、他国から多くの学生たちが訪れ、消費者集団として需要を生み出していった。
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