4/25 景徳院参詣、神長官守矢史料館、諏訪大社参詣

1
日光81 @nikko81_fsi

勝頼公に手を合わせに参りました。 pic.twitter.com/HWbvdbSNyz

2021-04-25 09:45:52
拡大
日光81 @nikko81_fsi

景徳院での天目山勝頼公太鼓と巫女の舞を堪能。勝頼公太鼓、鉄琴や銅鑼も組み合わせた個性的な演奏で、特に鉄琴が神々しさや少しの寂しさを力強い太鼓の中に含ませ、なかなかよくマッチしてました。 pic.twitter.com/7vJUKDKGRq

2021-04-25 11:58:33
拡大
拡大
日光81 @nikko81_fsi

勝頼公、来年はまた以前のように開催できますよう、甲斐を、日ノ本を御加護くださりませ。 pic.twitter.com/B3hed1Ob8C

2021-04-25 11:59:37
拡大
日光81 @nikko81_fsi

さて、日付変わりそうですが、本日景徳院から諏訪に移動してました。信玄公生誕五百年記念企画が諏訪でも!再見ですが、入場券に印刷されてもいる神事の席次の揉め事に勅許で決したことを伝える信玄公文書が好き。内容よりも文字の美しさに痺れる。 pic.twitter.com/OW4z6mSQXS

2021-04-25 23:55:27
拡大
拡大
日光81 @nikko81_fsi

展示解説そのままを資料としてくださるのは毎回ありがたい。守矢頼真は天文22年に正三位、晴信公から偏諱を受けた信実は永禄二年に従五位下宮内少輔に。神長って、位階高いんだな…とびっくりした。それくらい高いと朝廷に裁定をお願いする必要あるんだなと想像しちゃう。

2021-04-26 00:00:46
日光81 @nikko81_fsi

ポスターにもわかりやすく掲載されている、諏方社御頭役の怠りが著しいので何とかするという固い決意の文書。確かにいわれると筆跡が山本菅助が出てくる市河文書そっくりだわ。びっくり。 pic.twitter.com/srBjQcEwCL

2021-04-26 00:05:40
拡大
日光81 @nikko81_fsi

諏方安芸入道(頼満)、同刑部大輔(頼重)の時代の祭礼に戻すためとあるのが興味を引く。その頃はきちんと行われていたという認識?

2021-04-26 00:08:45
日光81 @nikko81_fsi

こちらもポスターより。願文は楷書にするルールがあるのか知らないが、大体楷書が多い。そして信玄公いい字書かれますよね。 pic.twitter.com/fc1WnXaNTY

2021-04-26 00:10:30
拡大
日光81 @nikko81_fsi

以前にも言及した気もするが、諏方社に対し、神感余り有りさらに○○叶えば、神前において僧に大蔵経を五部読誦させてその神徳に報いるとあり、神仏習合感がなんともいえずよき。

2021-04-26 00:15:01
日光81 @nikko81_fsi

それにしても永禄五年に朱印状を出されて以降、また永禄九年以降は奉書式になって以降は、神長官への信玄署名と花押の文書は姿を消す。諏方郡司を基軸にした指示系統が様式が整ったとみるべきなのかな。

2021-04-26 00:20:06
日光81 @nikko81_fsi

あと冒頭に朱印が押された永禄五年朱印状と吉田信生が奉者となった二通と市川昌房が奉者となった朱印状では少し違って見え、後者の方が龍の印影がハッキリしている。二重枠の龍朱印は二種類あるときくがそれなのかな。

2021-04-26 00:25:22
日光81 @nikko81_fsi

諏方上社の宝鈴を鳴らすのが家中で流行り、皆鳴らすための使用料が高騰したため、上中下に値段を定めてるのが興味を引く。家中での信仰ぶりとどれだけ金を積んででも、何とか誓いが破られない御利益を得ようと必死になる俗っぽさが共存していて興味深い。

2021-04-26 00:33:29
日光81 @nikko81_fsi

展示量こそ多くはないが、一気にこれだけを並べられるのはすごいですね。いいものをみました。7月までやってるからもう一度みるかも?

2021-04-26 00:35:38
日光81 @nikko81_fsi

守矢史料館のあとは、諏訪大社上社に参詣。厄除の際には大変お世話になりました。一部工事中でしたが、むしろ文化財がしっかり保護されて伝えられていくんだなと思うとこういう様子もうれしくなります。御柱大祭に向けて奉賛申し上げました。 pic.twitter.com/8FlS01hd4Z

2021-04-26 00:39:36
拡大
拡大
拡大
拡大